孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

本来の精神世界は…己の精神の有様がどうなっているのか問い掛ける・自問自答することにあります。

2019年12月31日 | Weblog
本来の精神世界は…己の精神の有様がどうなっているのか問い掛ける・自問自答することにあります。

然るに金銭物質や名誉名声肩書や権威権力を必要としません。

まして人を大勢集めて何某を語ることでもありません。

また常識や伝統風習を守ることでもありません。

ましてこの世に実在しない先祖を祀り上げたり大事に守ることではありません。

また誰もが実践できそうもない理想目的や信念や願望を掲げることではありません。

だから困っている人を何とかして助け・施し与えることなどの外向けが精神世界ではないのです。

然るに人様のことではなくて、自分の内なる精神に関わることなのです。

ちなみに私は巷で言われる精神世界や神仏霊魂や先祖のことなどは…大人の夢や幻や想像の世界の作り話であって…困ったことの事実から一時的に逃避するための・気休めの…大人のお伽話…くらいにしか思っていませんでした。

だから先祖供養やら冠婚葬祭やら神社仏閣や教会に違和感があって馴染めませんでした。

ちなみに私は世間体からして両手を合わせて合掌する・お祈りする・礼拝するも・心ここに有らずにして…苦手でした。

とにかく不完全意識の人間が思い考え語る精神世界や神仏霊魂の世界などは矛盾と偽善に満ちていることは確かなことです。

なのに困った時の神頼み的に依存することで・自力と自信が無くて言われるままにしていると・変な方へ誘われ迷い込みその被害者になるのです。

また信じて頼り(信頼して)一度足を踏み入れれば、洗脳された人が大勢いることもあって、御身までがいつの間にやら感染し洗脳され続けることになったり…

また何某の不信感や違和感が出てくるも、己の精神力が弱いこともあって・自力で抜け出す自信も勇気も出てこずにして、納得確信したわけでもないあいまいな精神世界の中で信者仲間・洗脳された集団と一緒に過ごす無駄な時間が多くなるのです。

ちなみに大勢の人を集めて何某の神仏を語る本人も既に洗脳されていることに気付かずにして、何某の神を信じている「私は正しい」とばかりに壇上に上がり胸を張って大きな声で語るわけです。

だからそれがどんな形の催しであれ、不満と欲と矛盾に満ちている集団の中に参加することは…赤信号の横断歩道を皆一緒にして渡るのと同じことになるのです。

ちなみに私も何度か経験があるのですが…皆と一緒になってワイワイ踊り騒がないで片隅で心静かに見聞していると…なにやら違和感や不信感が芽生えてきて…それが矛盾や偽善に気付くことになり、結果的には離脱することができました。

だから現在は過去の学びを活かした・この世に稀なるブログとなりました。