孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

偉業を成すほどの技術能力のない一般凡人が主役になれるのが自己縮小の実践です。

2019年12月10日 | Weblog
偉業を成すという言葉があるように…この世は結果の世界です。

ところが偉業を成すほどの技術能力のない一般凡人が多いのもこの世です。

然るに偉業を成すことが人間本来の役割使命となれば、一般凡人は使い走りや使い捨てが如くの人生で終わることにもなります。

ちなみにお偉いさんの命令で敵陣に突撃している兵隊さんが如くにバッタバッタと切り捨てられたり突き刺され鉄砲の餌食になったり爆弾で吹き飛ばされる羽目に陥ります。

また戦いの場の矢面・先陣に立たされて…お偉いさんを守り闘うことになり…弓矢や鉄砲の弾除け・盾代わりにされたが如くの理不尽な思いまでして・ひどい目にあいます。

また大勢の人を殺傷することで英雄勇者となる人の底支えにもなっています。

そんな下積み犠牲のおかげで偉業をなすことが本当に立派なことでしょうか?…

また発明発見で偉業を成したことの裏目が出れば自然破壊や汚染や人殺し戦争の道具にもなったりしますが…それが偉業でしょうか?…

然るに高度な文化文明を築くも…ひと昔前の現状と変わらぬ…弱者いじめ差別格差が正しいとばかりにまかり通っています。

またその現状を底支えしているのが…似たような境遇の中でどんぐりの背比べをしている愚かな人たちの集団なのですが…

そこでドングリの背比べから離れて…あんたが主役となれる仕組みが…自己縮小の実践なのです。

ちなみに東西南北の老若男女の誰もが公平にして実践できる優れたものがすでに仕組まれ用意されているのです。

それを逆に言えば…差別格差の中で自惚れ慢心している人たちには実践しずらい面があるのです。

何はともあれ…同じ穴の狢どうしの団栗の背比べから解放された個人の自由にして…
また様々な人間関係の矛盾や理不尽からも解放され…
喜怒哀楽のストレスのない・のん気気楽な人生を味わえるのです。

となれば…上に立つものから見下されていた立場が消えるばかりか、上に立つものが如何にお粗末な人生を歩んでいるのか、その先行きまでが見通せる意識精神体に変わってくるのです。

そして定かではありませんか…巷でアセンションが言われているように…天地創造の宇宙・神・愛の仕組みの流れに乗った精神体・意識体・宇宙生命体となれる可能性が十分にあります。

…相当以前に書いていたのを忘れていたので遅ればせながら投稿しました…