孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

親の在宅介護を売り物にして人集め金集めしているブロガーがいますが…

2016年02月14日 | Weblog
諸々の介護を美化して特別に思うことには違和感があります。

また介護を特別に思う中に「人間は死んだら終わり」的な要素があるから、だから死なないように介護して今の命を大切にしなければいけない的なものがあるのではないでしょうか、

だから「死んだも同然」の人の命を助ける延命治療や生命維持装置を施したりしているのではないでしょうか、
そして多額の個人負担になったり、また国の医療保険制度が赤字になって国家財政に大きな負担となっています。

ところで親を介護している人も多いと思いますが、その親を介護することになった経緯の中に、
その親の恩恵をそれなりに受けた人も多いと思いますし、その親の資産財産を引き継ぐ人も多いと思いますし、その親の年金を自由に使用できる立場になっている人も多いと思います。

また今どきだけにその親の資産や預貯金も相当額になると思います。

また高齢者の子供が高齢者の親を介護している場合も多いと思います。

となると両者の年金額や介護保険制度で何とかなる場合も多いと思います。

そこで残るは介護の労働や心的苦労が取りざたされます。

そこで私が妻や独り身の姉を介護する立場になったら…どうでしょうか、
趣味嗜好娯楽から卒業している今の暇で退屈している時間が介護の時間・労働に変わるだけです。

そして何もすることが無くてグータラしていますから一日24時間OKですし、時たまの介護時間・労働で疲れることはありませんし、夜中の介護も苦にはなりません。
何たって毎日一夜に二度三度目覚めているから。また私が眠たくなれば暇だからいつでも仮眠できます。

そして介護相手の資産や預貯金や年金を介護支出に充てることで私の年金が赤字にはなりませんし、たぶん現在よりも金持ちになれます。
かと言ってその使い道はありませんから介護費用に充当します。

そして私の成り行き任せ的な力量・精神では巷でいう手厚い介護は無理ですから、私には手に負えないことは専門にしているプロやその施設に依頼しますが、それも国の制度や財的な範囲に限ります。

また特別な感情の夫婦愛や姉弟愛なんて出てこないだけに特別な手厚い介護にはならないで普通の精神状態・無理のない対応になります。
然るに私に出来る範囲内でやるだけですから無理しません。

ところが世間一般の人が介護するとなると仕事や家事や子育て教育指導に支障をきたすとして問題視しますが、
しかし己の見栄・世間体・自尊心からして自分が困った立場になっているだけです。

然るに子供を大学にやる必要性もありません。
読み書きソロバンが出来れば労働はあります。

また趣味嗜好娯楽・変化刺激・快感快楽が無くても生きて行けます。
また料理しなくてもスーパーやコンビニの弁当やお惣菜やパック商品があります。
また風呂や着替えが出来なくても大丈夫です。

然るに暇で退屈するほどの時間が作れますから、それを介護労働に充当すればいいのです。

ちなみにその自宅介護を売り物にして人集め金集めしているブロガーがいます。

そんなことをしなくても親の資産や財産や年金や国の制度で十分なはずです。

しかも親の介護が楽しい様子ですから何の問題もありません。

然るに特別な生き方ではなくて普通の生き方に変われば問題は解決するのです。

然るに衣食住があれば何とか生きて行ける時代になっているのです。

然るに欲張らなければ、見栄張らなければ、楽に生きて行けるのです。

そして人間の肉体は死んでも心意識・命は元に戻るだけです。

然るに生まれたからには死ぬのも当たり前で普通なのですから、その死を特別に思わなくてもいいのです。

だから介護も当たり前にやればいいのです。

なのに介護を苦悩に思えるのは自分の立場を特別に思ってそれを守りたいための欲張りや見栄張りが原因なのです。

何はともあれ欲張り見栄張りするから自分が困るだけですから、その欲張り見栄張りすることをやめれば普通になれるのです。

なのに普通ではつまらないと思っているところに苦悩の原因があるのです。