孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

不完全なこの世は苦と楽が常ですが、苦なくして楽を味わえるのが必然ご縁の成り行き任せにすることです。

2011年07月16日 | Weblog
完全真理で言うところの「良い悪い」で判断する個人意識・不完全意識であるがゆえに、「何をやっても」不完全で無駄なだけと言う事をブログに書き続けていますし、また人間界が「感情」(感情体)によって成り立っているところがあるだけに、私の書く文書が薄情にも思えても、それも当然です。

それでも矛盾も妥協も嘘もない完全真理を知ったことから書き始めた文書ですから間違ったことは無いとさえ自信があります。
・・・「この世」の不完全を幾多も味わい気付き続けてきたことを文書化しているからです。

戦中生まれの戦後育ちで物不足・教育不足を味わってきたが、その分だけ自然と接することも多かったし、また創意工夫した独自の遊びも多かったし、こき使われる丁稚奉公も5年近く経験しながらも新製品続出の高度成長期を味わい見てきたし、そのおかげで多趣味を先取りしてきたし、また内気な青春だけに童貞で結婚し浮気もしていませんがエッチ・スケベーですし、とにかく知りたがる・やりたがる性格とその感性・気付きから学力・学識とは違うものを多く味わい接してきました。

だからこの世の酸いも甘いも、苦いも辛いも、上下左右も、真面目も不真面目も、いい加減さも熱心さも、真剣さや集中心も投げやりなことも、思いやり優しさも自分勝手な事も、お客さん本位の商いも自分本位の商いも、損得抜きも儲け主義もありましたし、犯罪となるヤミ米取締り検挙をうまく誤魔化したり税務調査を完璧な偽帳簿で誤魔化したりもしてきましたし、ビデオ撮影を先駆けてビジネスに成長させ、その企画立案指導的なこともやってきました。

また夫婦関係やその子育てもいい加減なようでも、いつも夫婦共に子供と一緒に行動する機会も多かったし、また妻にも子供にも押し付け強要することもなく、その家事全般や学業成績をあまり意識する事無く、何かと自由・放任で接し触れ合ってきました。
・・・妻や子供の喜ぶ姿や楽しんでいる様子を見ているだけで私は満足していたのは事実です。
だから多趣味であっても家庭内や家族同伴で楽しめることが前提に有りました。
だから夫婦円満・家族円満で快適便利な贅沢もしてきました。

その生活の源となる収入は妻の協力もあって一時三種の自営業をやっていましたので、どうしようもない顧客・お客さんの我がままの苦汁も味わいましたし、また商取引やその取引先の担当者・会社組織のいい加減さ不完全さ・矛盾も味わってきましたし、また協力者である妻の不満や口出しする母親兄弟姉妹にも何かと影響されてきました。
すなわち(自己責任を超えた)不完全で矛盾のある人間関係・職場・社会を味わってきたのです。

詳しく説明していると長文になるので省略しますが、私が今まで生きてきた中の全てにおいて良い目をする為に悪い目も見なければならないという矛盾・苦楽を大いに味わい経験してきたのです。
だから仕事であれ家族親戚や夫婦や子供のことであれ、私なりにやってきたつもりですが、楽あれば苦もあるという、結果的には不完全意識からは不完全な結果しか出てこないという事実を改めて感じ入っている次第です。

だから何をしょうが(夫婦我が子の事を含め)どうしようが、成る事は成るが、成らない事は成らない、だから成るようにしか成らない、その事実・結果が今なのです。
その結果も各々の意識・個人意識が元の自己責任なのです。
すなわち今の状況があるのは、神の性でもなければ誰の性でも無いのです、自らの意識が「選んだ」原因が元の結果なのです。
・・・だから不平不満や腹立て怒ることでも恨むことでも妬むことでもないのです。
それを他の性に思うからおかしな事になっているのです。
・・・だから執着しないでさっぱり忘れればいいのです。

そして此れまでのすべてにおいて、何か思い考えて事を成そうと余計な事や無理をしてきた事柄よりも、来るものは拒まず去る者は追わずの必然ご縁とそれらを否定反発しない自然体に任せ、呑気気楽に自分に出来る事をやり続けながら、あとは必然ご縁の成り行きに任せてきた結果(成るように成った結果)の方が、自分には都合が良かった事になっているのは事実です。
・・・すなわち苦なくして楽を味わっているのです。

すなわち(精神世界を知る必然からして)この世の不完全をそれ相当に味わってきたものの、私自身は成り行き任せであまり無理をしていなかったから、その「苦」も「楽」も執着する事無く淡々と、またその感情に支配される事無く淡々と、また(私が自由が好きだけに)皆が好き勝手・自由にするのが「当たり前」のように思っていたからそれに対する不平不満が大きく出ることも無く淡々と、また身近な人達の状況が如何様であれ、私自身は生きている事を自分なりに(如何様にも)(精神面で)十分味わってきているのです。

だから耕栄さんの講演会の内容や書物の内容を紹介する形ではなくして、耕栄さんがあまり語らない夫婦家族のことや仕事や暮らしの中にあった(私の中にある)事実をネタにして書いているのですが、しかし書き終えて30分過ぎれば内容を忘れて思い出せないのもおかしなことです。

そこで納得できないことなどがあればコメントで書き込んでください大歓迎です。