私が気色悪い幽霊屋敷のような廃屋を手入れ手直ししているときに、先ずは使えないものを運び出して整理することから始まりましたが、残されていた殆どのものが使えませんでしたが、畳と電気掃除機は何とか使えました。
また主だった風呂場や便所や台所や押入れ・家具はまったく使い物になりませんで壊しました。
そしてとりあえず気色悪いながらも寝泊りできるように二階を掃除し、むき出しの屋根柱(丸太の梁)を雑巾で拭いていると築30年のヒノキが(まだ生きていますよと)匂い香ってきたのです。
そこでいっぺんに愛着が出てきて、掃除をしたことで幽霊屋敷のような怖さが吹き飛んで安心して寝泊りできるようになりました。
また持ち込んだ家電製品はすべて廃品同然の一度「見捨てられた命」を再利用するするというような思いから、それらにも愛着が出てきて壊れるまで使いきることになりました。
だから小型の冷蔵庫や二層式洗濯機やホームコタツ・扇風機は未だに健在でお役を果たしてくれています。
その「最後まで使い切ることで(製品が)成仏できる」と耕栄さんが言われたので、さらに自信が付きました。
だから過去の豊かな物質に溢れ快適便利で清潔感溢れる生活をしてきた私が、今の臭い汚い暗い不便な生活や人の気配がない居場所に慣れ親しんで、それらを十分に味わうことが出来ているのです。
・・・だから不平不満や不安心配・恐れも無しに暮らしていけるのだと思います。
だから街中で暮らす人であっても、今あるものを大事に使い切ることを心がけ、また身近な人や今の家族と接し触れ合うことから互いの不完全意識に気付き合い・許し合い・認め合うような生活にして、今の生活そのものを十分に味わい活かすことになれば何の無理をすることなく暮らしていけると思います。
そして子育て中なら、その子育てに欲が無ければ至福を感じるときがあるはずです。
しかし欲が絡めば不平不満とその自己満足の繰り返しになるのです。
だから夫婦関係でも親子関係でも同じことが言えるのです。
また見栄や世間体を気にしなくなっただけでも無理することが減ります。
そして今ある物を使い切ることにもなります。
しかし次々と新品に買い換えているから、きれいに掃除はしても自己満足で終わり、愛着・味わい深いことにはならないのです。
もし愛着があるのならそう簡単に手放したりはしません、出来る限りにおいて使い切りますから、自ずと質素にもなり素朴さを味わうことにもなります。
また子供に愛着を持つのは誰しも同じですが、その愛着が親の欲がらみだから変な(不完全な)子育てになっているのです。
だから夫婦関係でも欲がらみだから偽善の(不完全な)愛着・愛情になるのです。
だから子供であれ夫婦であれ、各々の個性を見ていれば味わい深いものを見出せます。
しかし不平不満があるから個性を見ずにして現れた結果ばかりを見るのです。
だから夫婦関係や親子関係で至福を味わずにして不完全・不調和を味わう事にもなるのです。
何かと自己満足する事を手控えばその分だけ不平不満が減ります。
また不平不満が減れば自ずと自己満足することも減ります。
たかが不平不満、されどその不平不満がすべてを「ややこしく」(不完全に)しているのです。
しかもその不平不満が小さなことから端を発しているのも事実ですから(気付かないだけで)、その些細な事に気付けるだけの余裕・自力・意識力・精神力とその実践力が必要となります。
またその為にも完全真理によって「不平不満」の正体・原因を知ることです。
また主だった風呂場や便所や台所や押入れ・家具はまったく使い物になりませんで壊しました。
そしてとりあえず気色悪いながらも寝泊りできるように二階を掃除し、むき出しの屋根柱(丸太の梁)を雑巾で拭いていると築30年のヒノキが(まだ生きていますよと)匂い香ってきたのです。
そこでいっぺんに愛着が出てきて、掃除をしたことで幽霊屋敷のような怖さが吹き飛んで安心して寝泊りできるようになりました。
また持ち込んだ家電製品はすべて廃品同然の一度「見捨てられた命」を再利用するするというような思いから、それらにも愛着が出てきて壊れるまで使いきることになりました。
だから小型の冷蔵庫や二層式洗濯機やホームコタツ・扇風機は未だに健在でお役を果たしてくれています。
その「最後まで使い切ることで(製品が)成仏できる」と耕栄さんが言われたので、さらに自信が付きました。
だから過去の豊かな物質に溢れ快適便利で清潔感溢れる生活をしてきた私が、今の臭い汚い暗い不便な生活や人の気配がない居場所に慣れ親しんで、それらを十分に味わうことが出来ているのです。
・・・だから不平不満や不安心配・恐れも無しに暮らしていけるのだと思います。
だから街中で暮らす人であっても、今あるものを大事に使い切ることを心がけ、また身近な人や今の家族と接し触れ合うことから互いの不完全意識に気付き合い・許し合い・認め合うような生活にして、今の生活そのものを十分に味わい活かすことになれば何の無理をすることなく暮らしていけると思います。
そして子育て中なら、その子育てに欲が無ければ至福を感じるときがあるはずです。
しかし欲が絡めば不平不満とその自己満足の繰り返しになるのです。
だから夫婦関係でも親子関係でも同じことが言えるのです。
また見栄や世間体を気にしなくなっただけでも無理することが減ります。
そして今ある物を使い切ることにもなります。
しかし次々と新品に買い換えているから、きれいに掃除はしても自己満足で終わり、愛着・味わい深いことにはならないのです。
もし愛着があるのならそう簡単に手放したりはしません、出来る限りにおいて使い切りますから、自ずと質素にもなり素朴さを味わうことにもなります。
また子供に愛着を持つのは誰しも同じですが、その愛着が親の欲がらみだから変な(不完全な)子育てになっているのです。
だから夫婦関係でも欲がらみだから偽善の(不完全な)愛着・愛情になるのです。
だから子供であれ夫婦であれ、各々の個性を見ていれば味わい深いものを見出せます。
しかし不平不満があるから個性を見ずにして現れた結果ばかりを見るのです。
だから夫婦関係や親子関係で至福を味わずにして不完全・不調和を味わう事にもなるのです。
何かと自己満足する事を手控えばその分だけ不平不満が減ります。
また不平不満が減れば自ずと自己満足することも減ります。
たかが不平不満、されどその不平不満がすべてを「ややこしく」(不完全に)しているのです。
しかもその不平不満が小さなことから端を発しているのも事実ですから(気付かないだけで)、その些細な事に気付けるだけの余裕・自力・意識力・精神力とその実践力が必要となります。
またその為にも完全真理によって「不平不満」の正体・原因を知ることです。