

透明「OK
それじゃぁ~、答え合わせ

してみようか

本当は、人から教えられるべきもの
ではないのかもしれないけどね
」
ではないのかもしれないけどね

智則「すみません
」

なるべく、自分で気づけるように、
話を進めてみようかな・・・



透明「感受は理解できたよね
」

智則「はい
」

透明「感受というのは、動物が持つ感性の一つ

これは、外からの刺激を受け取ることで
感じる感覚になる
」

智則「あっ
もしかして、受感って、外からじゃなくて、

内からの刺激ですか
」

透明「内からの刺激っていうと・・・何がある
」

智則「えっ
・・・感情とか
」



透明「でも、それって、その感情自体が感性だよね
」

智則「あっ
そっか
・・・う~ん
」



透明「わかりにくいよね

自分の感覚なのに、言葉で説明するというのは、
自分をどれだけ理解しているか

で決まってくるのかもしれないね
」

智則「そうですよね~
普通に使っている能力を

改めて考えるなんて、したことなかった
気がします
」

透明「それじゃぁ~、もう少しわかりやすく
説明するね

感受というのは、外からの刺激を受け取った
ことで起こる感覚になるよね

その時、智則くんはどういう状態なのだろう
」

智則「んっ
どういう状態・・・。


受け取って、感覚的に処理して・・・。
あれ
・・・その刺激って・・・あっ
」


何か気づいたかな

智則「そっか
わかった


先生
感受って、外から来たものに
反応してるんですよね
」

反応してるんですよね

透明「そうだよ
」

智則「それって、受け取ってる状態なんですよね
」

透明「うんうん
」

智則「感受の逆って
そういうことか


感受は、あくまでも来たものを受け取っていて、
受感は、それとは逆に取りに行くってことじゃ
ないですか
」
ないですか

透明「正解
よく気がついたね


感受は来るもの与えられたものを受け取る

受感は、自ら求めて感じること

そこにある差は、天と地ほど差があるんだ

さっき、智則くんが分からない用語をスマホで
調べたけど、これも自分自ら取りに行った
ことになるから、受感的な思考なんだけど、
それでも与えられた情報を受け取っただけ
では、感受的な理解になってしまう

大切なことは、自ら望み欲し、得た情報や
事柄を自分の感性で精査すること

それで初めてその事柄は自分自身の血肉となり、
能力となるものなんだ
」

智則「確かに、そうですよね・・・。
検索したモノは、全て正しいと思って
疑わなかったけど
・・・その情報が必ず

正しいとは言えないですもんね

そう考えると、ちょっと怖くなってきます
」

透明「もちろん、正しいことは沢山あるから、
そんなに構えなくても良いのだけど、
その情報を自分の価値観と照らし合わせて
自分の理解に落とし込めれば、それは受感した
ものとなり、自分の力となってくれる
自分の理解に落とし込めれば、それは受感した
ものとなり、自分の力となってくれる

もちろん、感受したものも、自分の中で
処理できれば受感できたことになるから、
力となるのだけどね
」

智則「そっか
・・・与えられることが当たり前に

なっていたけど、完全に受け身の世界で
生きていたんだなぁ~

自分で調べて得たことも、自分から取りに
行っていた気がしてたけど、鵜呑みにしている
状況だと受け身と変わらない

でも、それを自分の中で感じて自分の中で
理解すれば力や記憶にも残るってことか・・・。
何だろう、ちょっと分かってきた気がします
」

透明「現代社会は情報化社会と言われているけど、
与えられた情報を受け取るだけで、
知識人になったような錯覚をさせられる
世の中になってしまっているのも事実

その情報が本当に正しいかどうか

なんて言うのは、結局分からないかもしれなけど

自分自身が、その事柄に対して真摯に向き合い
実践し、感じて落とし込む、ことまでできれば、
実践し、感じて落とし込む、ことまでできれば、
その感じた事柄は、自分の中で真実になる

それが、人としての本来の力となるものだから、
智則くんは、そのことを忘れてはいけないよ
」

智則「はい
わかりました
」


透明「ということで、話が回りくどくなってしまったけど

君の霊感が開けないでいるのも、それが原因なんだよ

つまり、霊感というのは、自らその視野を取りに行った
からこそ得ることができる必然の能力ということになるんだ

まあ、その目的、きっかけは人ぞれぞれだけどね
」

智則「あっ
」


透明「そして、この能力は決して特別じゃなく、神が人間に許した
許容範囲内での能力でもある

まあ、全ての人が必要としていない分、珍しい能力と感じて
しまうのかもしれないけどね
しまうのかもしれないけどね

どちらにせよ、人間にある勘所(かんどころ)というのは、
まだまだ隠された能力が秘められているのだけど、
どんな能力も本来は、自分の中で当たり前にできれば、
必然の力となり、自分を構成する
要素となって行くものなんだよ
大切なことは


望むこと、得ることは、全て受感して初めて成るということに
気づけるかどうかに掛かってくるということでもあるんだ
」

智則「
」

人間に与えられた沢山の感性には、それぞれ使い方がある

この使い方を正しく学ぶことこそ本来の人間としての
力を発揮できることに繋がるのかもしれない・・・。
智則くんは、もう一度本来の自分に立ち返ろうとしていた 

続く ・・・。







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