平良港なう。
いつもは貨物船が係船される岸壁に海上保安庁の巡視船が休息中。
こちらに3隻。
こちらに4隻。
ほかにも1隻。合わせて8隻。
尖閣周辺には約50隻の巡視船が出動しているらしく、給油・物資積み込み、つかの間の休息などで石垣・宮古等へ入港しているようです。
そもそも琉球は、薩摩藩と清国の二重支配を経て、1880年には「沖縄本島以北を日本の帰属とし、宮古・八重山諸島以南を清国の帰属とする」琉球分割条約の締結が日清両国の間で決定されたのですが、清国側が調印せずそれが締結されることはなかったのです。
分割を認めた背景には、それまでの日清修好条規に、日本商人が中国国内で欧米諸国並みの商業活動ができるよう条文を追加することを認めさせようとするもので、南西諸島は日本によって、この時と先の戦いの2回、棄民されかかり、されちゃったともいえるのですわい。
また清国が調印しなかった背景には、南西諸島を手に入れることの見返りに日本側のみに利益がある条約を締結することへの逡巡、同じころロシアとの間で中国北西部の領土問題で緊張状態にあり、日露と清国の間で微妙な駆け引きが繰り返されていいたのですね。調印時点での情勢は、清露関係が好転し、清国が自国に不利な条約を結ばなくともいよい強気な状態にあったため、ドタキャンしたということらしいです。
この時の数日間の国際情勢が、今、住んでいる宮古島を含む南西諸島が日本に帰属することを決定したということなんですね。
1880年時点では、南西諸島に尖閣は含まれていなかった(どこの国のものでもなかった)のですが、1885年日本政府が上陸調査し、他国の支配が及んでいる痕跡がないとして、日本の領土であると高らかに宣言したのでした。
というのが、しょう爺風「そーだったのか日清政粉、チキンな心が国を決めた」でござる。
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