フランス人だらけの『ホテル・マラケッシュ』。 今日、私達は中庭のプールサイドにいた。
“コ”の字型のそのプール、 ちょうど真ん中あたりの位置に立ち、私は周囲を見渡す。暑い。今日も40度。 プールサイドで焼けどをしないように足をパタパタ持ち上げた。
左斜め前、私の目の先1mほどのところで、子供たちがプールの中でワイワイ遊んでいる。
ふむ。 なるほど。。
“子供たちの状況”をよく見た後、私はプールに足から飛び込んだ。
バシャン ! !
1・・・2・・、 ぶハッっ!
「 え?? どした? 」 まだプールサイドに立っていた相方はキョトンとした顔で 勢いよくプールから飛び出してきた私を見た。
私は恨めしく髪までビショビショになりながら、プールの端に手をかけ、一言。
「 足、着かなかった。。」 「え? うそ。」
同時に2人で、すぐ1m横で楽しそうに遊んでいる子供たちを見た。
水面は、子供たちの胸の辺りの位置だ。 なんで? 今度は逆の右横を見た。 そちらでは男の子達が、助走をつけて勢いよくプールに飛び込み、そして水の中に消える。。 もしや、あっちのほうが さらにここより深いということか。? しかし・・・・・私はプールを見回した。 どこにも “水深 ○m”なんていう表示は見当たらない。 そういえば。 思い出した。 ここは、“フランス人だらけの”ホテル・マラケッシュ。 このプールも フランス人仕様に違いない。
フランスのプールは縦50mプールというのがある場合、横の深さが、1mくらいのところから、緩やかにシュノーケーリングができるような5mとか、それ以上の深さになっていると聞いたことがある。 それを知っていたから、フランスではプールに行くことを避けていた。 犬かきだったら、たぶん50m泳げる!じゃ太刀打ちできないだろうから。 しかし、こんなモロッコに そのトラップがあるとは。
「ちょっと、どのくらいの深さか確かめてみてよ。」 と、相方に頼む。 「いいよ。」 “泳げる”相方は躊躇なく私のいる横に飛び込んだ。 1・・2。 バシャ! すぐに出てきた。 「ここ、ちょうど背丈くらいだね。」 えーん。 顔の出ない深さなんてありえない。
勢いづいた相方は、もうすこし離れた方を指差し、「じゃ、今度はあっちがどのくらいかもぐってみるよ。」おぅ、頼もしい。 私は、プールの縁につかまりながら見守った。
バシャン !!! 1・・2・・・3・・4、ん??上がってこない?
5! 「う゛っ!」 「え? どのくらいだった?」 「・・・足、着かなかった。。」
え゛~~ !今、5数えたのに??
--- 私の意識は プールの底に沈んだ。
ピサの斜塔に登るのに、“柵はないけど、自分で危ないと思うんだったら登ってこないで”というスタンスや、この話のように、水深を表示しないというような“自分で危なくなさそうな場所探して泳いで。”という感覚は日本にはない。 最初から“水深○m”と示すことで、それを鵜呑みに信じて危険かそうでないか確認する。つまり、危険は自分で判断するものではなく、他人から教えてもらうもの。という依存心で日本の危険の認識は成り立っているように思われる。 その都度 ご丁寧に教えてくれるのもいいが、当たり前のように依存していくことで、“何かの感覚”が段々鈍くなってくるかんじがする。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます