旅行から帰って約3週間、

わたしの横を2台も車が通っていきました。なんだ、車で行けるのか。

山門のど真ん中に寝ている犬。

黒瀬ダムに沈む前に高台に移設したものだそうです。

こちらには移築記念碑


黄色っぽい石。面白い。こちらでは白っぽい大島石が多いのです。

安政の文字が見えました。え?安政年間に建てられたの?だったら相当古いものだけど。この辺りの詳細は全くわかりませんので、いにしえに想像を巡らすだけです。

よい眺めのところでした。

8月13日は新盆です。去年亡くなった新しい仏様を迎える日です。わたしはこの日、山の中のペット霊園に行きました。ずうっと置いてあったポチの、空の骨壷を処分してもらうために返しに行きました。
その前に、足の様子ですが、
旅行の翌日、朝一番にいつもの整形外科に行きました。骨に異常はなかったものの、足が腫れて血が溜まっているということで、膝から血を抜きました。ブドウ糖を注射する時の大きな注射器、あれ、何CCでしたっけ?大きな注射器一本では足りなくて2本目も使うほど血が取れました。血に脂肪が混ざっていると骨にダメージを与えるそうですが、幸いきれいな血でした。
松葉杖を借りましたが、慣れてないものですから、あれもなかなか使いにくかったです。その日活動量計(歩数計とは違います)の歩数は19歩!実際はもっと歩いているのですが、歩数とは見なされないほどの弱い動きだったのです。
二日目、歩数はまだ二桁
三日目、歩数は三桁になりました。
血を抜いた日、寝る時に足を曲げると痛くて、寝る時も仰向けにまっすぐのまま寝ました。しかし二日目は横向きになることもできました。歩数も日に日に伸びて、一週間後には四桁に。
こんなにも回復の手応えを感じた怪我は初めてです。
霊園に行く途中、道の左手に、山へ入る急な坂道を見つけました。
大きな看板も立っています。
なになに?
なになに?
光昌寺
こんな山の中にお寺があったの?
地図を見ると徒歩2分とあります。

反対側には

森岡神社 飛騨神社 光昌寺

反対側には

森岡神社 飛騨神社 光昌寺
「境内から石鎚山 瓶ヶ森 笹ヶ峰 黒瀬湖 菖蒲園が眺望できます。」とありました。へえ〜
膝が良くなったと言われてから杖なしで歩いていましたが思い切って坂道を登ってみることにしました。
木立の途切れたたころからダム湖が見えました。

わたしの横を2台も車が通っていきました。なんだ、車で行けるのか。
確かに、お寺は近かったです。小さいながら山門も、鐘楼もありました。山門の手前に歌碑が立っていて

ふるさとの黒瀬は恋し たずねきて 産土神に 幸を祈らむ 伊藤金作 昭和45年作

ふるさとの黒瀬は恋し たずねきて 産土神に 幸を祈らむ 伊藤金作 昭和45年作
歌碑が建てられたのは平成になってからです。そして黒瀬が水底に沈んでから50年以上たってもお墓参りに訪れる人がいる。高度成長期に地域の発展のために故郷を離れた人々の心はまだここにある、と、共感できるようになったのも歳をとったせいかな?
碑の横に車が一台。住職さんのでしようか。その下に一匹の犬が頭を突っ込んで寝ていました。ポチもいつもそうやって寝ていたなあ、と思い出してしまいました。新盆にポチに似た犬と会えるなんて。なんてぼんやりと車の横を通った途端
ワンワンワン
いきなり違う犬が目の前に飛び出してきて、まあ、‼️ 寝ていた犬とは違う、黒くて精悍そうな顔の犬でした。噛み付かれるか?
落ち着け、あたこ
わたしはまっすぐ犬の目を見て、
ごめんね。通らしてね。できるだけ親しみをこめて優しく言いました。すると犬はくるっと引き返してくれました。よかった。
が
引き返すその犬には後ろ足が1本なかったのです。
本堂に行くにはまだ関所があって

山門のど真ん中に寝ている犬。
どうしよう、あの子も吠えるのかしら。でも、ここまで来て引き返すのも嫌だ。
山門の端っこを、こんにちは、と声をかけて通りました。幸いこの犬はチラッとこちらを見ただけでした。
安らぎの鐘と名付けられた鐘。
犬に怒られるかもしれないので、鐘は突きません。

そこを過ぎると住居らしい建物があって、どなたか住んでいるようでした。後で調べたところ、無人だったこの寺を再興しようとする住職さんがいらっしゃるようです。

そこを過ぎると住居らしい建物があって、どなたか住んでいるようでした。後で調べたところ、無人だったこの寺を再興しようとする住職さんがいらっしゃるようです。
そして
家の前にも犬
他の犬は放し飼いでしたがこの子だけはながーいワイヤーに繋がれていました。細長い狭い庭の端まで届くような長さですから放し飼いと大して変わりません。
四つの犬関所を通り抜けるとやつと本堂でした。
土地がせまく 後がないのでこんな写し方しかできませんが、

黒瀬ダムに沈む前に高台に移設したものだそうです。
奥の方には鳥居が見えました。お寺も神社も同じ場所だったんですね。

こちらには移築記念碑

昭和47年に建てられたようです。
そして小さな鳥居。森岡神社とありました。

黄色っぽい石。面白い。こちらでは白っぽい大島石が多いのです。

安政の文字が見えました。え?安政年間に建てられたの?だったら相当古いものだけど。この辺りの詳細は全くわかりませんので、いにしえに想像を巡らすだけです。
もう一つ、石柱だけの神社がありました。
これが飛騨神社かなあ。建物はこちらの方が新そうでした。

境内から見る景色

木と雲に邪魔されてよくわかりませんが、瓶ヶ森か笹ヶ峰かなあ。

境内から見る景色

木と雲に邪魔されてよくわかりませんが、瓶ヶ森か笹ヶ峰かなあ。

よい眺めのところでした。
そうそう、こんな碑もあったんですけど。

銀納義民尊霊供養塔
ここからもう少し山へ入った、石鎚ふれあいの里にも立派な碑が立っていました。米の代わりに銀で年貢を納めさせてくれるよう交渉して処刑された方がいたのかなあと思います。とすれば、米に変わる産業は何?
山の中の小さなお寺と神社から、遠い昔の人々の暮らしを想像して、興味は尽きませんでしたが、帰ることにしました。
鐘楼までくると、さっき山門のど真ん中にいた犬は鐘の下で寝ていました。
❗️なんだか変
横向きに寝ているのに一本の脚が空を向いている。脚が変形しているのだろうか。
さっきの三本脚の犬といい、こんなにも足の悪い犬がいるもんだろうか。そう言えばうちのほうでも三本足の野良犬を見たことがあります。あの犬は罠にかかったのだろうと誰かが言っていましたが、ここの犬も?この子たちは猟犬だったの?それとも捨て犬?誤って罠にかかったの?飼い主は助けてくれなかったの?
悲しい疑問が次々と湧いてきました。
でもここでは、穏やかな余生を暮らしているように見えたのが救いでした。
大変な怪我だったんですね
坂道も登れるように良くなられたんですね
良かったです
ダム湖の沈んだ集落に有ったお寺と神社が移築されてんですか
ポチの初盆なんですね
体に損傷のある犬たちに出会って
此処の犬たちは
此処で安穏な日々を過ごせているんですね
ほっとしますね
折に触れポチを思い出しますね
大変と言っても全治2週間ですから。ただ、膝がダメだとうまく動けなくて、二週間のロスは痛かったです。草ぼうぼうの庭と、落ちてしまった筋肉と、…
膝の曲げ伸ばしが不安で坂道を歩いてなかったのですが、大丈夫でした。古いお寺と傷ついた犬たち。穏やかな日々が過ごせているのだと思います。ポチの新盆にこの子たちと会えるなんてね。
回復なさったんですね、良かったです!
でも、ご無理はなさいませんように・・・
足の悪いワンコとおみ足、ポチちゃんの新盆にワンコとの出会い、
いろいろ不思議ですね。
義民の供養塔も興味津々。
あたこさんの、こういうお話、大好きです。
知らないワンコと出会ったときの処し方も参考になります。
ありがとうございました♫
ポチの骨壺はお返しに行ったんですね。
私はよく前のわんこと遊びに行った里山の川のそばに数本の骨を埋めました。
よく登った小山の幹のうろに1本、春に必ず出かけていたセツブンソウの群生地の隅に1本埋めました。どこへ行っても、思い出だらけの場所です。
残りは庭に埋め、骨壺は割って埋めました。
それでも瓶に数本残してお仏壇の隅に置いてあります。私が死んだら、まりはたぶん看取ることになるのでまりの骨も数本入れてとっておき、私が死んだらあの小さなお墓に一緒に入れてもらう事になっています♪でも、実は思い出の中にいっぱいいるんですよね(笑)きっと・あた子さんもしばらくは、
あ・ここでポチとこうしたんだっけ!とか思い出がよみがえりますよね。でも、思い出してあげることが一番の供養になると私は考えるの。
ペットロスになるからすぐ飼う!って‥私には理解できません。古い人間だもの・
あた子さんって、本当に興味あると積極的行動人間なんですね!膝がよくなったと言われて・もうお寺までの山の坂を上っちゃうんですね♪
ダム湖に沈んだ村の人たちは、お墓参りに訪れるのでしょうね。え!犬に吠えられて勇気あるあた子さん!落ち着けあたこ”ね。まっすぐイヌの目を見る貴方はなんて勇敢!私なら、そっと後ずさりしていそいそと帰ったことでしょう。
あと足が1本無い犬は、罠にでもはまったか・・
山門にも、ど真ん中に寝ている犬!
一難去ってまた一難ね💛ここまで来たら引き返すのは嫌なあたこさん♪どうなるのでしょうと、読ませますね!今度は「こんにちわ」と言って通ったのね。お寺の住職さんの庭にも長い紐の犬!
!ダムに沈む前に移設した本堂があったわけなんですね。色々な経験や発見があって、とてもよくまとめられている・3本足の犬のお話、
とても興味深く読ませていただきました。
ありがとう(#^.^#)
お気遣いありがとうございます。この頃は自分の力試しみたいに動いていました。
言われてみれば色々なことが重なりましたね。お寺のあるところは旧西条藩の領地だったかと思います。わたしの住んでいるところは松山藩の直轄地だったので歴史が全く違うんですよ。図書館で調べればわかるのかもしれませんが、米の代わりに銀となるとー
養蚕、お茶、あるいは鉱物? べつの山に、閉山された鉱山があって、輝安鉱という結晶のきれいな鉱物が取れていました。
寺の近くには、登山者のための旅館が数軒集まっているところもあり、なかなか興味深い場所なんですよ。
お寺にはもう一度行ってみたいですね。
娘は割って捨てたらいいんじゃない?といいましたが、そこまでドライには慣れなくて。そうか、割って埋めたらよかったんですね。
斎場のお兄さんが親切で色々お話ししてくれたのですが、ずっと家に置いて自分と一緒にお墓に入れるという方もいるそうです。
ポチは、家と散歩道しか知りませんからわたしの寝室の前に埋めて、ハナミズキの木を植えました。思い出すのが供養ーわたしもそう思います。
お寺が遠くだったら行きませんでしたよ。歩いて2分ですから。犬関所は予想外でしたが、アイコンタクトの取れる犬だったので大丈夫だと思いました。野犬として生まれて大きくなって保護されたのは、どこか人を信用してないところがあって怖いですが、ここの犬たちは多分人に飼われていたのです。おだやかでしたから。それだけに人間の無責任さにも腹が立ちましたし、安住の場を与えてくれた住職さんの慈悲の心にも感謝しました。
marimariです。
そうだ、ポチさんの新盆だったんですね。
お盆って戻ってきてくれて、そばにいてくれる感じがして、何だかとても安心します。
それにしてもお怪我、大変だったのですね。
それでも日に日に快復なさっているご様子。あまり焦らずゆっくり治していってくださいね。
ポチはわたしについてきたのかもしれませんね。たびたび通っている道なのに初めてあることに気がついたんですよ。坂を上がってみたらお寺に四匹の犬。なんか、ポチが導いてくれたようでもありました。不思議な日でした。