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しげさんからのメッセージ

いしいひさいち 「ののちゃん」徳間書店から引用 

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ひがしへ

 このブログでは月に2本ショートショートを掲載するつもりで、原稿を執筆しています。原則として、毎月第1週第3週に新作を掲載しております。
 今週は第3週ですので、新作を掲載すべきなのですが、阪神大震災を経験した私は、このたびの東日本大震災は、あまりにも衝撃が大きすぎました。とてもショートショートのアイデアを考える気になりません。
 そこで旧作を再度掲載することにしました。この作品は私の阪神大震災の体験を元に書きました。主人公とその周辺の人物は架空ですが、途中で出てくる街の様子、人物、エピソードなどは、私自身が見たり、体験したことです。

 

 フワッとからだがうきあがった。とつぜん大きな音がした。ガタガタとうえとしたにおおきくゆさぶられた。大きなものがぼくの上に落ちてきて目の前で止まった。なんとかしたじきにならずにすんだ。なにがおこったのか、なにがおちてきたのかわからない。ぼくは、ねていて下からドンとつきあげられて目がさめたのだ。あたりはまっくら。おきあがろうとしたら、頭をなにかにぶつけた。大きな固いものがぼくの目の前にあるようだ。
 なんとかおきあがった。いつもはぼくがおきた時は、ダイニングの明かりがついていて、おかあさんとおとうさんが食卓についている。ところがきょうはダイニングはまっくら。
 くらいのに目がなれてきて、ぼんやりとあたりのようすがわかってきた。てんじょうが目の前にあった。家の中はいろんなものがちらばっている。
 おとうさんとおかあさんの寝室をのぞいた。太い大きなはしらがふたりのベッドの上にたおれていた。二人はぴくりとも動かない。「おかあさん、おかあさん。おきてよ」
 おかあさんをゆすったが目をさまさない。おとうさんをゆすっても同じだった。
「おとうさん、おかあさん、死んじゃった」
 とっても大きなじしんがおきたことがやっとわかった。ちょっとのあいだ、おとうさん、おかあさんの横でじっとしていた。
 こわれた家から外にでた。となりのさきちゃんちもこわれていた。空があかるくなってきた。さきちゃんのおかあさんに助けてもらおうと思ったけれど、さきちゃんちはぼくんちよりひどくこわれていた。
 おとうさんもおかあさんも、さきちゃんも、さきちゃんのおとうさんもおかあさんも、みんなしんでしまった。
 ぼくはひとりになってしまった。どうしよう。いっしょうけんめいに考えた。そうだ、大阪のおばあちゃんちへ行こう。
 おばあちゃんちは何度も行ったことがある。いつもおとうさんの車で行く。でんしゃでは行ったことがない。道はだいたいおぼえている。たしか、こくどう2号せんを東へ東へ行って、ものすごく大きな川をわたって道のみぎがわにある公園のまえ。こくどう2号せんはぼくんちから歩いてすぐのところ。おかあさんと買い物に行くスーパーの前の大きな道だからすぐわかる。
 ともかく2号せんまででなくっちゃ。北へむかってあるく。うしろをふりかえった。ぼくのいえはぺしゃんこになっている。となりのさきちゃんちは二階が切りとられて前のどうろに落ち、一階のかべがなくなって家の中がまるみえ。むこうに見えるマンションがいつもより低く見える。よく見ると一階がなくなっていた。
 西の空にくろいけむりがあがっている。火事がおきているのだろう。ひがしの空が明るくなってきた。
 道ばたにおばあさんがねかされている。おばあさんのくちびるはむらさきいろ。なんにんかの人がおばあさんをとりかこんで声をかけている。おばあさんはピックとも動かない。
 こくどうへでた。道はたいへんなじゅうたいだ。
たくさんの車がノロノロとすすんでいる。こくどうわきの歩道をたくさんの人が歩いてる。
 あとはこのこくどうにそって東へ東へ歩いていけばおばあちゃんちにつくはず。
 こくどうのりょうがわでこわれていない家はいっけんもない。こわい顔をしたおじさんが走っていった。おじさんがはしっていった先にはこわれて屋根だけになった家があり、屋根の上では何人もの人たちがお仕事をしていた。どうもこわれた家の中に人がとりのこされているらしい。
 ぼくはひたすら歩いた。こくどうにそって東へ行けば必ずおばあちゃんちにつくはず。それだけをしんじて東へ東へ。夜があけてだいぶじかんがたった。おなかがへってきた。ぼくは毎朝きちんと朝ごはんをたべる。
 ぼくとおなじように歩いている人たちもたくさんいる。その中のこわい顔したおねえちゃんが声をかけてくれた。
「ぼく、どうしたの」
「おなかへったの」
 おねえちゃんはポケットをごそごそやってチョコレートをだしてぼくにくれた。
「あげる。食べて」
「いいの」
「いい」
 それだけいうと、おねえちゃんはスタスタと行ってしまった。チョコレートを食べたぼくは少しだけ元気になった。
 ひがしに行くにつれてじしんのひがいはすくなってきた。もうかなり歩いた。足がつかれてきた。
 おねえちゃんがくれたチョコレートを食べたので少しましになったけれど、おなかはあいかわらずすいている。
 少し大きな川をわたった。むこ川だ。むこ川をすぎると地震のひがいはほとんどなくなった。ぼくんちの近くとおおちがい。こわれてないふつうの家ばかり。でも家の中はひがいがあったらしくこわれた家具や電気器具を運びだしている家がなんけんもあった。みためはぶじでもじしんのひがいがあるらしい。
 ぼくは歩く。東へ東へ。こくどうにそって東へ。おばあちゃんちへ向かって。
 おかあさんもおとうさんも、さきちゃんもさきちゃんのおかあさんもさきちゃんのおとうさんも、みんなしんじゃった。ぼくはおばあちゃんちへ行くしかない。この道をずっと行けば必ずおばあちゃんちにつくはず。それだけを信じてぼくは歩く。でもつかれてきた。あさからずっとあるきつづけ。たべたものはおねえちゃんがくれたチョコレートだけ。ぼくんちの近くでは公園で食べ物をくばっていたが、むこ川をすぎてまちはふつうのまちになった。公園で食べ物なんかくばっていない。あそこでおにぎりでももらっていたらよかった。
 おなかもすいたけれど、足もつかれてきた。バスていのベンチにすわって休む。しんどくて立って歩く気になれない。いつまでもすわっていたい。でも、すわっているだけではおばあちゃんちにつけない。むりやり立ち上がって歩きだす。
 大きな大きな川をわたる。よど川という川だ。ながい橋をわたる。橋をわたるとこくどうのすぐ南に小さな公園がある。その公園のむこうがおばあちゃんちだ。
 つかれてほとんどぼうのようになった足をひきずって公園をとおる。
 おばあちゃんちが見えてきた。おばあちゃんちが近づいてくる。げんかんの前まできた。
「おばあちゃん」
 ぼくはからだにのこっていた元気をぜんぶ使って大きな声でおばあちゃんをよんだ。
 家のおくからおばあちゃんがでてきた。おばあちゃんはだまってぼくをだきしめた。

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これからの電気をどうする

 まず最初に、現地で放射能にさらされ、余震に震え、次なる津波の恐怖に耐え、爆発の危険と隣り合わせとなって、決死の作業を続けておられる、現場の作業員の方々に、こころから敬意をあらわす。
 ここ数日ほど、日本国中が水位の上下に一喜一憂したことはなかっただろう。福島第1原発のこと。水位が上がったといってホッとし、水位が下がったといって心配する。
 原子炉の構造図が表示され、専門家が解説してくれる。多くの国民が原子炉の構造を理解したことだろう。これを機にみんなが原子力というものを、より深く知ることは、巨大な災いばかりの、今回の大震災で得られた教訓の1つだろう。あまりにも大きな代償を払った教訓ではあるが。
 しかし、信じられない。原子炉の圧力容器に水を入れるためのポンプの燃料が切れて、注水が止まったことがあった。そのようなポンプの燃料。なによりも重要な物だろう。小生は何人もの係員が瞬きするのさえ惜しんで、燃料計をにらんでいると思っていた。ところが1人の係員が目を話したスキに燃料が切れたとのこと。燃料タンクが空になる直前まで補給しなかったのだろうか。小生は、会社のフォークリフトの管理責任者だ。フォークリフトの燃料計は1日に2度はチェックしている。自分が使ったときは、わずかでも減っていれば必ず満タンにしておく。フォークリフトでさえこうである。それが、今、日本で、いや世界で最も燃料切れを起こしてはいけない燃料を、こんな初歩的なことで燃料切れを起こすか。理解できない。
 原子炉のメーカー。福島第1だから東芝だろうか。メーカーの技術者も事に当たっているのだろうか。東電、東電の協力会社、自衛隊で対処しているとのニュースに接するが、メーカーの技術者の事はニュースに出てこない。原子炉のことが誰よりも判っているのはメーカーだと思うのだが。
 この大事故もいずれ終る。問題は使い物にならなくなった原子炉をどうするかだ。超巨大、超危険な廃棄物である。チェルノブイリではコンクリートで固めてそのまま放置してあるとのこと。福島はどうする。どう移動する。どこへ移動する。どう処理する。知りたい。
 これで、われわれ日本人は覚悟を決めなくてはならないだろう。原発安全神話はこれで崩れた。原子炉本体はマグニチュード9の地震にも堪えた。ところが冷却水用ポンプの燃料タンクが津波で流されたため、ポンプのディーゼルエンジンが動かなくなり冷却水の注入ができなくなったことが原因と聞く。水をくみ上げるポンプ。これさえしっかりしていれば防げた事故だ。それでも結果として、これだけの大事故となってしまった。
 日本人は原発事故の恐怖を思い知っただろう。アメリカがスリーマイル以後原発建設を見直したように、原子力に頼った電力政策は大きく転換せざるを得ないだろう。火力はCO2を大量に発生する。
 事故を覚悟の上で原子力にするか、世界の趨勢から大きく外れようとも火力で行くか。それとも、狸や狐が通る田舎の道の端に、ポツンと置かれた自動販売機を撤去するか。
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東日本大震災を天罰といったご仁がいる

 このたびの東日本大震災を「天罰」といったご仁がいる。いわずと知れた東京都知事で、次も知事になりたい石原慎太郎氏である。なんでも日本は「我欲」にあふれていて、それを洗い流すため大津波が起こったらしい。石原氏の解釈によれば。さすがに「被災者は気の毒」と申し添えたらしいが、自分自身は「我欲」を持っていないつもりだろうか。小生の解釈の「我欲」ならば、石原氏こそ我欲の権化ともいうべき人物に見えるが。四選をめざし、勝算の見込みがなく賛成者が少ないオリンピック誘致に膨大な税金をドブに捨て、自分の三選を果たしたいがため、新銀行東京なんて慈善事業まがいの銀行をでっちあげ、これまた税金のムダ使い。これ、みんな石原慎太郎の我欲ではないのか。
 石原氏の観察によればアメリカは「自由」の国フランスは「自由と博愛」の国日本は「我欲」の国だそうだ。日本が果して「我欲」かどうか、諸外国が東日本大震災の被災者の様子を報道するのを観れば判るだろう。みな、一様に、被災者の皆さんの沈着さ冷静さ譲り合いを称賛している。
 さあ、東京都民のみなさん。次の都知事選どうする。こんな男が都知事でもいいのか。

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テレビは果たしてこの巨大災害の全体像を伝えたか

 少々風邪ぎみであったから、外出は土曜日の午前中出勤、日曜の買い物だけ。ずっと家でテレビを観ていた。東日本大震災関連のニュースを観ていた。
 何度も繰り返される津波の映像。凄まじい水の破壊力に言葉も出ない。 大地震の直後に発生した大津波によって、激甚な被害が出た。テレビも津波の映像と識者の解説に多くの時間を割いていた。この大震災の被害の多くは津波によるものであることは理解できる。しかし、津波を差し引いて、地震単体で見ても、大地震であることは間違いない。震度7を記録した所もある。津波が来なかった所でも死者が出ている。ところがテレビは、津波被害にあった沿岸部中心の放送だった。宮城県、福島県、岩手県の内陸部の地震の被害はどうだったのか、報道がない。
 阪神大震災の報道もそうだった。大火災が発生した長田区の報道が多い。ところが神戸市内では、火災のあった長田区よりも、火災が比較的少なかった東灘区の方が死者は多い。
 大津波に大火災。観ていて確かにインパクトがある。一目瞭然、地震が引き起こした脅威が良く理解できる。映像を提供するテレビとしては、確かに視聴者の目を引く映像中心に番組を編成したいだろう。しかし、それだけでは、この巨大な大災害の真実と全体像を伝えるには不充分だろう。
 
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イカナゴの炒り卵丼


 3月は、神戸のたいていの家庭ではイカナゴのクギ煮は常備してある。メシのおかずにも、酒の肴にもよく合う。
 で、3月の昼食はクギ煮を使った料理をよくする。きょうは、クギ煮の炒り卵丼。簡単でおいしい。短時間ですぐできる。昼食にぴったりである。
 まず丼にご飯をよそう。炒り卵を作る。クギに味がついているので卵には味付けは不要。テフロンのフライパンにときほぐした卵を入れる。菜箸を四本ほど使ってかき混ぜる。スクランブルエッグよりちょっと固いめがいいだろう。
 炒り卵をご飯の上に乗せ、その上にクギ煮を乗せる。これだけ。簡単簡単。
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巨大地震の恐怖

 第一報はインターネットで知った。きのう、納品業者の人が「車のラジオで聞いたけど、東北でごっつい地震が起こったそうですわ」と聞いた。急いで自席のパソコンを見ると、宮城県沖でマグニチュード8.8の巨大地震。大津波も起きて大きな被害が出ているとのこと。そうこうしているうちに茨城沖でも地震。携帯電話のワンセグを見たが、画面が小さくてよく判らない。
 神戸にも津波注意報が出ている。小生の会社は海沿いにあるため、定時を待たず退社すべしとのお達しがでる。液化酸素と液化炭酸ガスのCEタンクのバルブを閉じ、安全を確認して早々に帰宅。
 自宅のテレビを観て、震えた。改めて巨大地震の恐怖を思い知った。気仙沼が燃えているのを観て、16年前の長田を思い出した。
 小生は阪神大震災の被災者である。16年前の1月17日は、震災の最中にいた。新聞や雑誌などの印刷媒体では知ることはできた。ところがテレビが観られないため、リアルタイムの映像で阪神大震災を知ることはできなかった。今回初めて、巨大地震を映像で観て、凄まじい破壊力にただただ恐怖するのみだった。
 今回の地震、阪神大震災の180倍のエネルギー。震源となった太平洋プレートのずれは、岩手から茨城まで、南北400キロ東西200キロ。阪神大震災とは比べ物ならない、巨大な地震だ。被害も甚大かつ広範囲に及んでいる。
 阪神大震災の時、地震発生翌日、甲子園まで歩いて行き、そこから電車で大阪まで出かけて、必要な物を買いこんで神戸に戻った。武庫川を越えると、別世界の平和な世界が広がっていた。
 弟も神戸市民だが、被害がほとんどない地域。弟が避難所まで来てくれた。とりあえず老母を車に乗せた。なんでもいいから、被災地の外に、年寄、子供、病人、けが人を搬送することが肝要であるとの、教訓を得た。
 しかし、このたびの東北の地震は、この教訓も役に立たない。ものすごく広範囲で、しかも、阪神大震災では発生しなかった、津波が発生し、被災地は、点や線ではなく、面で甚大な被害を受けた。
 いつか、起こるだろうといわれていた巨大地震が起こった。正直、こんなに早く起こるとは思わなかった。この地震と関連しているのか判らぬが、遠く離れた新潟県でも、震度6の地震が起きた。日本列島全体が揺れ始めたのだろうか。不安だ。
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カブの即席漬け


 おかずに、もう一品野菜が欲しい時など、漬物がいいのですが、わたくし、血圧が高いめですから、塩分の多い市販の漬物は食べません。
 では、こんな時にどうするか。自分で作ります。作るといっても、樽に糠床を作って、漬物石を乗っけて作る本格的な漬物ではありません。30秒でできる漬物です。
 材料は野菜、塩、昆布茶。これだけ。野菜は今回はカブを使いました。大根でも、白菜でも、キャベツでもおいしくできます。
 ボールに薄く切ったカブを入れ、塩を振りいれて、手でもみ、昆布茶を振って、また手でもみます。これだけです。実に簡単です。おいしいです。ポイントは塩加減です。
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悪の教典 

  
  貴志祐介   文藝春秋

 面白かった。抜群に面白かった。読んでいる間は。読み終わってから実に嫌なあと味が残った。なにせ教師が教え子たちを皆殺しにする話だから、愉快な話ではない。
 蓮実聖司。私立高校の英語教師。生活指導担当。若く(32歳)イケメン。授業は面白く、アメリカの大企業に勤務経験があり英語は堪能。頭脳明晰にして教育熱心。生徒、PTA、上司、同僚に信頼され人望も抜群。この高校のエースともいうべき理想的な教師。ところがこいつがとんでもない化け物だった。
 ようは人を意のままに操ることに快楽を見いだす、極限のわがまま男が、その正体を見抜かれそうになり、二人の生徒を殺す。木の葉を隠すには森の中。死体を隠すには死体の山。というわけで、文化祭の準備のため学校に泊り込んでいるひとクラス全員40人を殺害する。
 下巻の中ほどからショットガンをぶっ放して、血みどろの大惨劇が繰り広げられるわけだが、悲惨で悲惨で。人によっては貯めに貯まったモノが一気に大爆発するカタルシスを感じるという人もいるが、小生はカタルシスは感じなかった。担任教師がいたいけな高校生たちを惨殺する話である。
 ギリギリと弓を絞るがごとくタメをためて、ラストに一気に大爆発させてスカッとする話もある。小生もそういう話も好きだ。
 高倉健の昭和残侠伝シリーズは、良い親分の一家に一宿一飯に預かっている、健さん扮する花田秀次郎が、悪い親分の嫌がらせに、良い親分の子分がいきりたつのを、なだめ、自分自身も我慢して、耐えに耐える。そしてとうとう、良い親分が殺される。ここに至ってついに健さんも堪忍袋の緒が切れる。
 唐獅子牡丹の音楽に乗って、白鞘の長ドスを抱いて歩を進める。「お供します」池部良扮する風間重吉が寄り添う。男と男の道行き。悪い親分の一家に着く。後は、二人で斬って斬って斬りまくる。スカッとする。溜飲が下がる。
 これは健さんが悪い親分の一家を惨殺するから溜飲が下がるのであって、担任教師が受け持ちのクラスの生徒を惨殺しても溜飲は下がらない。 
 とはいいつつも本書はよくできた小説ではある。小生は冒険小説好きであるからして、活劇小説として本書を読んでしまった。活劇小説としては確かに上記のごとくカタルシスはないが、サイコホラーとして読めば傑作である。蓮実を人間として読めば不愉快だが、モンスターとして読めば傑作だ。
 そうだ蓮実は主人公ではなくモンスターなのだ。主人公でヒーローは生徒たちだ。本書は蓮実というモンスターと戦う、40人の高校生たちの群集劇なのだ。

 


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宮城県で巨大地震

 宮城県で巨大地震が発生したとのこと。出先ゆえ詳細は判らないが、少しでも被害が少ないことを祈る。
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JR 大阪

 
 JR大阪駅である。小生、航空母艦に乗ったことはもちろん、近くで見たこともないが、空母の飛行甲板を裏から見ると、こんなふうなもんではないだろうか。なんともたいそうなものである。
 大阪駅をこんなふうにするため、ずいぶん長い間工事をしていたが、もう完成したらしい。ほんまかいな。5月にはリニューアルオープンとのこと。駅の近く、というより駅そのものに商業施設を作るのだから、効率のええことだ。
 昔の勤務先K電気時代は、大阪駅をよく利用した。飲む場所も梅田だったから、神戸方面の大阪発最終電車の時刻を覚えておくことは、必須事項だった。覚えてはいるが、飲みすぎてJRの最終に乗り損ねることもたびたび。ありがたいことにお助け電車がある、阪神電車の最終がJRよりも遅くある。石屋川行きという電車がある。それさえ乗れなかったら、梅田のビジネスホテルに泊まった。その方がタクシーで神戸に帰るより安い。それに、K電気の本社工場が北区豊崎にあったから、出勤は自宅からするよりだんぜん近い。
 それはさておき、今の会社は神戸だから、この大阪駅はとんと使わなくなった。月に一度星群の例会に出る時に通過するだけだ。それでも、なんかのおりに大阪駅で降りる時があるが、そのたんびに駅周辺が変わっているように感じる。なんか疲れるのだ。やっぱ、小生は、大阪の梅田より、神戸の三宮の方が性に合っているのだ。
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ポイントカード持ってまへんカード

 小生は料理が趣味ゆえ、材料は極力自分で仕入れるようにしている。さいわい、小生の住まいおるあたりは大きなスーパーが4店もある。買い物には便利である。
 と、いうわけでスーパーにはよく買い物に行くが、非常にわずらわしいことがある。レジのたんびに「ポイントカードいいですか」と聞かれる。いちいちうるさい。持ってりゃ出してる。客が忘れているのだろうとの問いかけだろうが、そんなヒマがあるなら、とっととレジすませろ。
 いちいち「いいえ」というのもめんどうだから、おでこに「ポイントカード持ってまへん」という紙を張ってレジに並ぼうかと思う。
 最近はレジ袋が不要な人用に「レジ袋いらないカード」が、レジの横にあって、だまってそれをカゴに入れるだけで、レジ袋をカゴに入れない。これと同じで「ポイントカード持ってまへんカード」を備え付けて、客はだまってそのカードを出すだけで、レジ担当者は聞かない、ということにすればいい。
 いいか、スーパーの経営者たちよ、「ポイントカードいいですか」というスーパーには絶対に買い物は行かんぞ。といいたいが、ほとんどのスーパーがそうだからそうもいかん。困ったもんだ。あれ、うっとうしいからやめてちょうだい。
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とつぜんコラム№115 我欲が問題

 ようは仏教でいうところの「我欲」が問題ではないのか。「我欲」自分だけよければいい。自分の腹さえふくれればいい。
 チュニジアの「ジャスミン革命」が発端となって、長年にわたって一国を支配してきた独裁者たちが、民衆に糾弾されている。エジプトではムバラクが辞任に追い込まれ、リビアではカダフィと反体制派との間で、内戦状態となった。
 独裁者。長期にわたって1人で一国を思うままに操り、権力と富を独占する。ムバラクもカダフィもそうだ。金正日もそう。また、かってのフセイン、マルコス、チャウシェスクもそうだった。
 世襲のボンの金正日は別として、彼らとて、それまでの権力者を打倒して、さっそうと現れた救世主だったのだろう。最初は。それが長年にわたって権勢を振るっているうちに、民衆の幸せよりも、自分自身の幸せを優先するようになった。「我欲」にとりつかれたのだ。
 民衆が餓死していても、自分が満腹すればいい。民衆がボロを着てても自分は錦を着ればいい。自分の子供はかわいい。だから他人の子供を差し置いて自分の子供を要職につける。これ、すべて「我欲」のなせる業である。しかも連中は己が身を守るため、必ず軍を味方につける。軍隊は国で一番の暴力装置である。人殺し集団だ。だから、かような独裁者が君臨する国の軍隊は決して、国防=国を守るための集団ではない。治安=安全を治める、ここでいう安全とは、民衆の安全ではなく、権力者の安全だ。その治安が主たる任務となる。軍の銃口は他国よりも、民衆に向いているのだ。
 これはなにも、国だけではない。この国、日本にも「我欲」にとりつかれた独裁者は数多くいる。企業、会社の社長は独裁者といえるだろう。特に、創業者一族が株の過半数を所有しているような会社は顕著だ。彼らも、他人の子供よりも自分の子供の方がかわいい。だから、自分の子供を後継者として、身内親族を役員の列に加える。また、これは企業だけではない。政治の世界でも同様のことが行われている。引退する議員は、自分の、いわゆる「地盤」「看板」「かばん」を子供に譲りたがる。これらの所業も自分かわいさ、他人より自分かわいいゆえの所業だ。
 ソ連が崩壊して、純然たる社会主義国は北朝鮮とキューバぐらいになった。中国は政治は共産党一党独裁だが、経済は自由主義で金満長者が存在する。長者が存在する社会主義なんて考えられないが。人類史上、社会主義という体制は失敗であったといっていいだろう。これも、「我欲」というものを計算に入れなかったがゆえの失敗だろう。
 一部の人間に権力と富が集中し、民衆が貧困にあえぐ。事態を打開するために、民衆が立ち上がり、革命をなしとげた。これで民衆すべてに平等に富を分配するはずだった。ところが、民衆1人1人は「我欲」を持っている人間だった。人の「我欲」を計算に入れていなかった。人よりおいしい物を食べたい。人よりぜいたくな暮らしがしたい。これでは平等を建て前とする社会主義がうまく行かないのは当然だ。また、社会主義といいつつも、北の金王朝のごとく、世襲をし、権力を独占して、革命の遂行を唱えつつ、自分自身が革命の対象となっている輩もいる。
 理想をいえば、全く「我欲」を持たず、自分自身は半畳一畳2合半で満足し、純粋に民衆のことだけを考えてくれる人物がリーダーに成ってくれるのは一番いいのだが。そんな人はいない。
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在日というだけで善意の献金までだめなのか

 小生は、前原誠司という政治家はあまり好きではない。少々ハッタリめいたところがあるし、なんか危なっかしい感じがする。それに松下政経塾出身というのも気に食わない。だいだいが松下幸之助なるおっさんが胡散臭くて嫌いだから、坊主憎くけりゃケサまで、のきらいもあるが。でも、ま、これは小生の個人的な好き嫌いの問題である。
 その前原氏が在日外国人から政治献金を受け取っていたとのことで、外務大臣を辞任した。そういう法律があるのだから、致し方なきこととは思うが、別に辞任まですることはなかったと思う。
 なんでも、4年間で20万もらっていたとか。1年5万である。小学生のお年玉みたいな額だ。もちろん法は法だから1円でも不正は不正ではある。
 なぜ外国人や企業から献金を政治家が受け取ることはいけないのか。そのことによって政治が歪められるからだ。特定の外国や企業に都合の良い政治にねじ曲げられるから献金はいけない。
 新聞に寄れば、前原氏に献金していた人物は、京都の焼肉屋さんで、前原氏を子供のころから知っていた人物。ちっちゃいころから知っていた誠司くんが、出世して大臣までならはった。少ないが、誠司くんを応援してやろう、というその人物の善意からでたことだと思う。その人がたまたま在日外国人であったというだけのこと。その献金によって焼肉屋さんに都合の良い政策を前原氏が行うとは考えにくい。
 この件で、自民党のなんたらいう議員が、声を荒げて追求していた。かような役をおおせつかって張り切っているのか、鬼の首を取ったかごとく前原氏の辞任を要求していた。なんと醜いことか。私、小物です。と、大声でPRしているようなものだ。
 建設会社から何千万もの献金を受け取って、自然破壊のダムや狸や狐しか通らぬ道路を作っていた自民党に、えらそうに言う資格はあるのか。
 法は厳格に守らねばならぬが、法はなんのためにある。国益を守り、社会の秩序を維持し、最終的には国民一人一人が幸せになるためではないか。ここで一国の外務大臣を辞任に追い込むことは、果して国益に沿うことなのだろうか。
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イカナゴの新仔とほうれん草のリゾット

 
イカナゴの新仔が出始めた。生はクギ煮にするが、通常スーパーなどでパックで売ってるのは釜揚げだ。これに、ちょっとポン酢をたらせば、おつな酒の肴となる。もちろん飯の友にもいい。
 春を告げるイカナゴの新仔だが、これを冬においしい野菜ほうれん草と組み合わせてリゾットにした。
 玉ねぎをオリーブ油で炒める。透きとおってきたら米を入れる。別に洗わなくてもいい。しばし炒めて白ワインで香りづけ。
 スープを注ぐ。刻んだほうれん草を半量加える。アクを取る。あとは米をお好みの硬さまで煮る。リゾットの米は、日本のご飯ではなく、ショートパスタの一種と考えよう。塩、こしょうして、残ったほうれん草とイカナゴの新仔を入れて、さっとかき混ぜて出来上がり。
 皿に盛り、エキストラバージンオリーブオイルを少し加える。パルミジャーノレッジャーノを振って食べる。
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