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「なんでも電動」を見直そう

 西日本で節電するのは、被災地の東日本とは電気の周波数が違うから、無意味だとの意見もあるが、小生は無意味とは思わない。なぜなら、将来にそなえての練習になるから。
 原発安全神話は崩れた。原発の新設増設はもう無理だろう。地元で反対されたら、住民を説得しようがない。原発は安全です、とはもう絶対にいえない。CO2を盛大に排出する火力発電にも頼れない。ようは何かで発電機を回せばいい。原子力は核燃料で、火力は重油で湯を沸かして蒸気でタービンを回して発電している。水力は水の落下エネルギーで、風力は風で風車を回して、発電しているわけだ。原理は簡単なものだ。原理は簡単だが、原子力、火力の代替えのエネルギーは難しい。政府は太陽発電など、クリーンエネルギーの開発に力を入れるとのことだが、一朝一夕にはいかない。
 電気を湯水のごとく使う生活は改めざるを得ないだろう。震災以前に電力会社が盛んにPRしていたオール電化などはもってのほかだ。
 小生は朝、コーヒーを飲むことが多い。豆をミルで挽いてコーヒーを淹れる。インスタントコーヒーは飲まない。あれはコーヒーではない。コーヒー風飲料だ。ウチのミルは手廻しだ。電動ではない。朝、コーヒー豆を、ゆったりと挽き、心静かに朝食を摂る。わずかな手間を惜しんで電動にする必要はない。
 わずか数メートル歩くのをめんどうがって、テレビのスイッテをリモコンで入れる。そのため、見てもいないテレビに待機電流がずっと流れっぱなし。テレビ本体で操作すればリモコンは要らず、待機電流は不要だ。
 深夜の国道。道端にポツンと置かれた自動販売機。灯りには蛾やカナブンが群れ飛んでいる。横を狸が歩いている。自動販売機はいつ来るとも知れぬ客を待ち続けている。電気を消費しながら。
 生クリームをホイップする。心を込めておいしくな~れ、おいしくな~れと念じながら、手で泡だて器で攪拌する。電動ミキサーで攪拌するよりおいしくなるはず。
 なんでも、電動に頼る生活は見直すべきだろう。
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