雫石鉄也の
とつぜんブログ
再会
「それでは、鷹取海運株式会社前代表取締役社長、故鷹取栄三さまご令嬢鷹取春香さまによる、支綱ご切断」
春香が金の斧を振り下ろした。木台の上のひもが切断された。シャンパンの瓶が船首に当たって砕ける。クス球が割れ、白鳩が飛び立ち、五色のテープが船上より舞った。500トンの鉄の塊が船尾より海面に滑り降りた。
船の一生で最も華やかな瞬間である。進水式を初めて見る人は感動する。500トンクラスの作業船とはいえ、近くで見るとかなり巨大に見える。それが七色のモールと万国旗に飾られて、生まれて初めて海に浮かぶわけだ。だれでも、その船の一生の無事を祈る。
春香が席に戻った。造船所の船台の前に設えられた貴賓席には、父の会社の役員、新船の船長、機関長、造船所の関係者たちが、生まれたばかりの船を見守っている。その中に父はいない。5日前心筋梗塞で急死した。今の社長は春香の兄だ。父の席には花束が置かれている。
進水式の支綱切断は女性が行うのが通例だ。船主夫人がやることが多い。母は春香が1歳の時に死んだ。それから父はずっと独身を続けていた。
春香が始めて進水式で支綱切断をやったのは、4歳幼稚園児のころだった。大人たちに台の上に乗せられて、小さな手に金の斧を握らされ、切るまねをした。それでも船は船台を滑り降りた。なんのことかよく判らなかったが妙に感動した記憶が残っている。24歳の今まで何隻の進水式に参列して、支綱切断をしただろう。そのたびに、生まれたばかりの船の無事を祈る。
春香が進水式に参列するのもこれが最後だ。次からは社長夫人である兄嫁がやることになる。
四国の造船所から家に戻ってきた。春香は、船の進水式にはずいぶん立ち会ったが、あと1週間で自分自身の「式」を挙行する。新居にはあらかた荷物は運び込んだ。あとは身の回りのものを整理するだけだ。
机の上の壁に小さな額がかけてある。船の写真が入っている。「春香丸」自分と同じ名前のタグボート。20年前、父が社長に就任して初めての新造船だ。春香が初めて支綱切断をした船である。父はこの船を造船所に発注する時から、進水式の支綱切断を春香にやらせようと思っていたらしい。だから新造船に娘の名をつけた。父がその船の写真をくれた。写真の春香丸は20年間春香の成長を見守ってきた。それは、父が社長という激務をこなしながら、男手1つで春香を育ててくれた20年でもある。
春香丸は神戸港で働いていた。春香は神戸には中学の時に行ったことがある。夏休み、父が鷹取海運神戸支社に出張するのに連れてきてもらった。港めぐりの遊覧船に乗り、春香丸が働いているところを見た。うれしかった。
ハーバータグの春香丸は、その時入港していた、きれいで大きな客船をエスコートしていた。小さな春香丸がけなげに働いている。春香より四つ年下の妹。
それが春香が春香丸を見た最後だった。
春香は44歳になった。最後の進水式から20年経った。あの人との生活も20年。子供はいなかったのが幸いしたのか災いしたのか。裁判沙汰にならずに別れられたので幸いしたといえるだろう。教員のあの人は教え子だった彼女といっしょになった。春香は一人ぼっちになった。
鷹取海運も倒産した。兄は父ほど有能な経営者ではなかった。手持ちの船は老朽船はスクラップとなり、まだ使える船は中古船として売り払われた。
春香丸が神戸港からいなくなったと聞いた時、春香は生涯で2番目に泣いた。1番は父が死んだ時だった。3番はあの人に彼女がいると判った時だった。
インド、ムンバイ。一人旅にでも出たら、との友人のアドバイスに従った。どこでも良かった。春香はインドに来た。
インドは中国同様、今、急速な経済発展を遂げている。ムンバイの港の活況がそれを表している。世界各国から様々な物がインドに流れこむ。
鷹取海運は自社で船を持って行う港湾業務が主だが、タグボートの代理店もやっていた。春香が支綱切断を行った船の中でインド向けの船もあった。そのうちの何隻かはムンバイ港で働いていると兄に聞いたことがある。
一人ぼっちの春香は、ひょっとして、自分が送り出した船に出会えるかと思った。それがインドに来た理由だ。
昼食後、ずっと港をながめている。経済発展している国の港は激しく動いている。陸上をフォークリフトが走り回り、岸壁には100トンクラスのジブクレーンが林立している。海上は何隻ものタグボートが忙しく働いている。その中に春香が誕生に立ち会った船はいなかった。
日が傾いてきた。ムンバイの港が紅に染まる。もう仕事を終えたのか、1隻のタグボートが春香の方に向かって航行して来る。かなりの老朽船だ。係留場がここにあるのだろう。1日の仕事に疲れきった様子だ。
近づくにつれて春香の胸が高鳴る。低いめの喫水。細いマスト。独特な形の防舷材。少女の春香を見守り続けた春香丸に似ている。
まさか。鷹取海運倒産の時、春香丸の船齢は15歳を越えていたはず。スクラップとなって借金返済の一助となっている可能性が高い。
船首の英文の船名が読めるまで近づいた。塗装が剥げていて読みづらい。サビ止め塗料も剥げていて、最初の塗装が見える。英文の船名の下に、元の船名が薄く見えた。「丸」日本の船だ。「春香」と読めた。
春香丸だ。まだ元気で働いていた。
久しぶりね。私は一人になっちゃった。
春香が金の斧を振り下ろした。木台の上のひもが切断された。シャンパンの瓶が船首に当たって砕ける。クス球が割れ、白鳩が飛び立ち、五色のテープが船上より舞った。500トンの鉄の塊が船尾より海面に滑り降りた。
船の一生で最も華やかな瞬間である。進水式を初めて見る人は感動する。500トンクラスの作業船とはいえ、近くで見るとかなり巨大に見える。それが七色のモールと万国旗に飾られて、生まれて初めて海に浮かぶわけだ。だれでも、その船の一生の無事を祈る。
春香が席に戻った。造船所の船台の前に設えられた貴賓席には、父の会社の役員、新船の船長、機関長、造船所の関係者たちが、生まれたばかりの船を見守っている。その中に父はいない。5日前心筋梗塞で急死した。今の社長は春香の兄だ。父の席には花束が置かれている。
進水式の支綱切断は女性が行うのが通例だ。船主夫人がやることが多い。母は春香が1歳の時に死んだ。それから父はずっと独身を続けていた。
春香が始めて進水式で支綱切断をやったのは、4歳幼稚園児のころだった。大人たちに台の上に乗せられて、小さな手に金の斧を握らされ、切るまねをした。それでも船は船台を滑り降りた。なんのことかよく判らなかったが妙に感動した記憶が残っている。24歳の今まで何隻の進水式に参列して、支綱切断をしただろう。そのたびに、生まれたばかりの船の無事を祈る。
春香が進水式に参列するのもこれが最後だ。次からは社長夫人である兄嫁がやることになる。
四国の造船所から家に戻ってきた。春香は、船の進水式にはずいぶん立ち会ったが、あと1週間で自分自身の「式」を挙行する。新居にはあらかた荷物は運び込んだ。あとは身の回りのものを整理するだけだ。
机の上の壁に小さな額がかけてある。船の写真が入っている。「春香丸」自分と同じ名前のタグボート。20年前、父が社長に就任して初めての新造船だ。春香が初めて支綱切断をした船である。父はこの船を造船所に発注する時から、進水式の支綱切断を春香にやらせようと思っていたらしい。だから新造船に娘の名をつけた。父がその船の写真をくれた。写真の春香丸は20年間春香の成長を見守ってきた。それは、父が社長という激務をこなしながら、男手1つで春香を育ててくれた20年でもある。
春香丸は神戸港で働いていた。春香は神戸には中学の時に行ったことがある。夏休み、父が鷹取海運神戸支社に出張するのに連れてきてもらった。港めぐりの遊覧船に乗り、春香丸が働いているところを見た。うれしかった。
ハーバータグの春香丸は、その時入港していた、きれいで大きな客船をエスコートしていた。小さな春香丸がけなげに働いている。春香より四つ年下の妹。
それが春香が春香丸を見た最後だった。
春香は44歳になった。最後の進水式から20年経った。あの人との生活も20年。子供はいなかったのが幸いしたのか災いしたのか。裁判沙汰にならずに別れられたので幸いしたといえるだろう。教員のあの人は教え子だった彼女といっしょになった。春香は一人ぼっちになった。
鷹取海運も倒産した。兄は父ほど有能な経営者ではなかった。手持ちの船は老朽船はスクラップとなり、まだ使える船は中古船として売り払われた。
春香丸が神戸港からいなくなったと聞いた時、春香は生涯で2番目に泣いた。1番は父が死んだ時だった。3番はあの人に彼女がいると判った時だった。
インド、ムンバイ。一人旅にでも出たら、との友人のアドバイスに従った。どこでも良かった。春香はインドに来た。
インドは中国同様、今、急速な経済発展を遂げている。ムンバイの港の活況がそれを表している。世界各国から様々な物がインドに流れこむ。
鷹取海運は自社で船を持って行う港湾業務が主だが、タグボートの代理店もやっていた。春香が支綱切断を行った船の中でインド向けの船もあった。そのうちの何隻かはムンバイ港で働いていると兄に聞いたことがある。
一人ぼっちの春香は、ひょっとして、自分が送り出した船に出会えるかと思った。それがインドに来た理由だ。
昼食後、ずっと港をながめている。経済発展している国の港は激しく動いている。陸上をフォークリフトが走り回り、岸壁には100トンクラスのジブクレーンが林立している。海上は何隻ものタグボートが忙しく働いている。その中に春香が誕生に立ち会った船はいなかった。
日が傾いてきた。ムンバイの港が紅に染まる。もう仕事を終えたのか、1隻のタグボートが春香の方に向かって航行して来る。かなりの老朽船だ。係留場がここにあるのだろう。1日の仕事に疲れきった様子だ。
近づくにつれて春香の胸が高鳴る。低いめの喫水。細いマスト。独特な形の防舷材。少女の春香を見守り続けた春香丸に似ている。
まさか。鷹取海運倒産の時、春香丸の船齢は15歳を越えていたはず。スクラップとなって借金返済の一助となっている可能性が高い。
船首の英文の船名が読めるまで近づいた。塗装が剥げていて読みづらい。サビ止め塗料も剥げていて、最初の塗装が見える。英文の船名の下に、元の船名が薄く見えた。「丸」日本の船だ。「春香」と読めた。
春香丸だ。まだ元気で働いていた。
久しぶりね。私は一人になっちゃった。
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