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ジャズ大名

監督 岡本喜八
出演 古谷一行 財津一郎 神埼愛 殿山泰司 

筒井康隆、山下洋輔、岡本喜八。この3人の鬼才が集まって映画を作ったらどういう映画になるか?こういう映画になった。
時は幕末。3人の黒人ミュージシャンが日本に漂着。場所は駿河の小藩庵原藩。黒人たちは城の座敷牢に隠される。藩主海郷亮勝は音楽好きで好奇心も強い。家老の反対を押し切り3黒人と面会。1丁のクラリネットをもらう。
 庵原藩は海と山に挟まれた東海道の交通の要衝。物情騒然とした幕末。藩主亮勝は幕府薩長どっちに付くか決めかねている。双方から城内を通過させてくれと要請されると、双方にOKする。そのうち城内の建具をとっぱらい往来自由の道路と化す。東名高速の前身である。貧乏な庵原藩はそれしか生き残る道はなかった。時を同じくして亮勝の奥方の不義が発覚。
クラリネットを吹けるようになった亮勝は3黒人のところに入り浸り。ぶんちゃかぶんちゃか「じゃず」を演奏する。家中の者もそれにつられて、思い思い楽器、鳴り物を持って「じゃず」の演奏に参加。城を上げての一大ジャムセッションを繰り広げる。
ずじゃじゃじゃじゃっじゃずじゃじゃじゃじゃっじゃずじゃじゃじゃじゃっじゃずじゃじゃじゃじゃっじゃずじゃじゃじゃじゃっじゃずじゃじゃじゃじゃっじゃずじゃじゃじゃじゃっじゃずじゃじゃじゃじゃっじゃ。
そのころ城の上層部自由通路では、幕府、薩長が戦いを繰り広げている。時代は激しく動いて行く。そんな外界の動きをよそに、というか逃れるようにというか、城の下層部座敷牢周辺のジャムセッションはますますヒートアップ。最初は渋い顔をしていた堅物の家老まで、得意の陣太鼓を打ち鳴らしセッションに参加。さらには「え、じゃないか」「え、じゃないか」のおかげ参りの衆やら、百姓一揆の連中、旅の雲水の集団まで加わって、亮勝、3黒人を中心に忘我の極地の大群衆は狂騒状態となって「じゃず」に没頭する。
 外界では時代は変わって明治となる。
 後半の城内のジャムセッションは見ものである。激しく動く時代に関わりたくない/関われない/関わるすべを知らない、人たちがみんな城の下層部で「じゃず」に没頭。亮勝をはじめなぜ彼らが「じゃず」に逃げざるをえなかったのかよく分かる。その彼らが演奏が異様な迫力で迫ってくる。時を同じくして城の上層部の通路では時代がどんどん変わっていく。この2重構造がおもしろく、下層部で「じゃず」に没頭する人々の哀しみが浮き彫りになる。
少しだけ哀しくて、う~んとおかしくって楽しい、爽快な傑作。☆マークでお勧め。   
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10月23日(火) 21世紀を夢見た日々・日本のSF50年

 NHK教育のETV特集「21世紀を夢見た日々・日本のSF50年」を観た。番組のオープニングで「ウルトラQ」のオープニングが映されたので、もしやと思って危惧した。マスコミがSFをこういう取り上げ方をした場合、とっつき易い映像メディアのSFばかりに焦点を当てることが多く、SFの本流である活字SFが添え物的に扱われることが多かったが、この番組はSFの持つ様々な側面をバランス良くとらえていた。
 まずベルヌ、ウェルズから話を起していき、日本で最初のSF作家を星新一氏としていた。これはSF入門の定石。SFに関して話を始める時の極めてオーソドックスなつかみといえる。
 この番組を観て最大の収穫は、日本SF創世記の生の姿がそのまま見られ聞けたこと。福島正実氏の肉声を始めて聞いた。また日本SF作家クラブ創立時の中華料理屋「山珍居」でのやりとりを、若いころの星さんや小松さんの肉声で聞けた。また、伝説として聞いていた原子力研究所の見学会の様子などもわかった。星さんが伝説どおりの冗談をいっていた。
 今の日本SFを語るという鼎談が行われていた。漫画家・作家の折原みと氏、アニメ監督の今敏氏、そしてお名前は失念したがCMディレクターの人。この人選は大いに疑問。なぜ作家ということで折原みと氏を出したのか。女性作家ということなら菅浩江氏、新井素子氏あたりをなぜ出さなかったのか。
 第1期の作家は小松左京氏、筒井康隆氏、眉村卓氏、豊田有恒氏、石川喬司氏と、いま健在の作家は出演して発言していた。第2世代の代表として鏡明氏が出ていた。このあたりの人選について、あの人が出てないこの人が出てないとなると、人それぞれできりがない。しかしこのようなテーマで番組を作るときにどうしても欠かせない人を欠かしている。柴野拓美氏である。柴野さんはまだまだ健在で、今夏の世界SF大会でのゲスト・オブ・オナーを勤めておられる。出演は可能であったはず。なぜ柴野さんを出して発言してもらわなかったのか疑問だ。
 創世記の作家たちの話は聞けた。しかし現在の第1線のプロパー作家たちはなぜ取り上げなかった。あえて無視したのか時間の都合で取り上げられなかったのか。谷甲州氏、田中啓文氏、山本弘氏など、こういった作家たちも取り上げるべきだった。
 後半は現代の日本アニメ、秋葉原あたりのいわゆるオタクっぽいモノをSFの到達点としていたが、これらはSFの派生物の到達点であって、SFの到達点ではない。
 コーヒーを思い浮かべてもらいたい。日本になかったコーヒーなる飲料が諸先輩たちの努力で日本に定着。発展してきた。で、コーヒーからコーヒー牛乳やらコーヒーゼリーなどの飲食物が派生して出てきた。で、「日本のコーヒー50年」という番組で現代のコーヒー牛乳やコーヒーゼリーを、コーヒーの一つの到達点として番組を終えたら、コーヒーの愛飲家はどう思うだろう。なぜ今のレギュラーコーヒーを取り上げないかと思うだろう。この「日本のSF50年」がこれと同じことをやっていた。
 アニメなどに時間をとるななどという偏屈なことはいわない。小生もすぐれたSFアニメは立派なSFとして評価する。番組で取り上げられていたアニメはどこに出してもはずかしくない立派なSFだ。アニメに取る時間を少し削って本流の活字SFにも時間を取ってもらいたかった。
 とはいえ、このようなSF大会の大ホール企画のような番組を放送されたことは、いちSFファンとして非常にうれしくNHKに感謝したい。もちろんDVDに取って永久保存版とした。

 
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