国指定の重要文化財である「東司(とうす)」をじっくり見ようと、東福寺を訪ねましたが、東司以上に印象に残ったのが、東福寺の庭園でした。
中でも、東福寺の方丈の周囲の庭園が、特に印象に残っています。
その中でも一番印象に残ったのが、方丈の北側にある庭でした。敷石とウマスギゴケで市松模様を構成しています。敷石の大きさを微妙に変えることで、奥行きを表現していると言われます。昭和14(1939)年に重森三玲氏によってつくられた庭園です。
これは、方丈の北西の庭園、ここにも市松模様が見られます。白壁と、白砂と丈の高い緑の樹木のコントラストに、気品のある美しを感じます。
市松模様は、他にもありました。
開山堂庭園の、普門院前の白砂も市松模様でした。
比較的単純な模様なのですが、ほんとうに美しい。日常生活の様々な場面で出会う市松模様。元禄時代からある模様なのですが、それに輝きを与えたのが、重森三玲氏の卓越した審美眼だったのでしょう。
方丈庭園の東側の庭です。高さの異なる7つの円形の置物でつくられた「北斗七星」。
これは、方丈南側の庭園です。巨石と築山を配置した枯山水の庭園です。
方丈とは、お寺のご住職が生活する場です。室町時代中期以降は、方丈に仏像や祖師像が安置されるようになり、本堂の役割を担う建物になりました。
東福寺のご住職は、日夜、この庭を見ながら思索の日々を、送っておられることでしょう。
中でも、東福寺の方丈の周囲の庭園が、特に印象に残っています。
その中でも一番印象に残ったのが、方丈の北側にある庭でした。敷石とウマスギゴケで市松模様を構成しています。敷石の大きさを微妙に変えることで、奥行きを表現していると言われます。昭和14(1939)年に重森三玲氏によってつくられた庭園です。
これは、方丈の北西の庭園、ここにも市松模様が見られます。白壁と、白砂と丈の高い緑の樹木のコントラストに、気品のある美しを感じます。
市松模様は、他にもありました。
開山堂庭園の、普門院前の白砂も市松模様でした。
比較的単純な模様なのですが、ほんとうに美しい。日常生活の様々な場面で出会う市松模様。元禄時代からある模様なのですが、それに輝きを与えたのが、重森三玲氏の卓越した審美眼だったのでしょう。
方丈庭園の東側の庭です。高さの異なる7つの円形の置物でつくられた「北斗七星」。
これは、方丈南側の庭園です。巨石と築山を配置した枯山水の庭園です。
方丈とは、お寺のご住職が生活する場です。室町時代中期以降は、方丈に仏像や祖師像が安置されるようになり、本堂の役割を担う建物になりました。
東福寺のご住職は、日夜、この庭を見ながら思索の日々を、送っておられることでしょう。