トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

登録有形文化財のJR建部駅と岡山市建部町

2011年05月22日 | 日記
かつての備前の国と美作の国の中心都市、岡山市と津山市を結ぶJR津山線。明治31(1896)年、中国鉄道本線として開業しました。開業当時は、岡山市駅と津山駅(現在の津山口駅)間を結んでいました。間には、玉柏、野々口、金川、福渡、弓削、誕生寺、亀甲駅の7つの駅がありました。
JR岡山駅とJR津山駅を結ぶ現在のJR津山線になったのは、大正13(1923)年のことでした。数年前まで急行つやまが(もっと以前は急行砂丘が鳥取・倉吉まで)走っていましたが、今は快速ことぶき(写真)が1時間10分程度で結んでいます。
    
岡山と津山のほぼ真ん中にあるのがJR建部駅。津山線が開業して2年後の明治33(1900)年につくられました。駅舎の向かって左は入母屋の屋根、右は切妻屋根で左右非対称です。入母屋屋根の下はトイレへの通路になっています。
  
駅構内に入ります。出札口と小荷物を受け取るカウンターが一の字の形に並んでます。カウンターにある時刻表の上に、国の「登録有形文化財」の登録証明書がありました。「 33-0103号」とあり、「建部町教育委員会」が作成した木製の説明書も並んで掲示されていました。それによると、設立当初の姿をよく残しているということで、平成18(2006)年3月2日に登録されており、岡山県で最初の登録でした。黒光りしている鉄製の改札口を抜けてホームに出ます。
ちょうど岡山行きのディーゼルカーが入ってきました。10時53分発、キハ4785とキハ4869の2両編成のワンマン列車でした。一日257人が乗車する駅だといわれていますが、この列車には6人の方が乗車しました。快速列車は停車せず通過していく駅です。駅事務所は、カーテンにおおわれていて何も見えません。
 
駅のカウンターには駅スタンプが置いてありました。きれいなスタンプでした。
 
建部駅のある中田地区は、備前岡山藩に6人いた家老の、5番家老、建部池田(森寺池田)家1万4千石の陣屋町だったところです。旧陣屋や侍屋敷の東に津山往来も通り、政治経済の中心地でした。街道沿いに「市場」という地名も残っています。今は、温泉施設が整備され、岡山の奥座敷といった雰囲気を醸し出しています。
   
JR津山線は、この温泉施設のそばで旭川を渡ります。向かい側は同じ建部町の福渡地区で、建部駅から3、4分で福渡駅に着きます。一日の乗車客は266人で、快速列車も停車しています。行ったときは、ちょうど、12時08分発の快速ことぶきが入線していました。やはり、キハ47形の2両編成の列車でした。

建部駅も福渡駅も、岡山市に合併する以前は同じ御津郡建部町の同じ町内でした。しかし、福渡駅はかつては、美作の国久米郡福渡町にあり、建部駅は備前の国御津郡建部町にありました。この二つの町が合併して、昭和42(1967)年に御津郡建部町となっていました。大化改新以来の「国郡里制度」を超えた大合併をしていたのでした。
福渡は、津山往来の宿場町として、また、旭川の水運(高瀬舟)の中継地、物資の集散地として、栄えた商業の盛んな町でした。今も当時の雰囲気を伝える町並みが残っています。

今回は、車でJRの駅を訪ねました。夏のような日差しがふりそそぐ、暑い日でした。涼しげに見える旭川の豊かな流れが、印象に残りました。

岡山県にある登録有形文化財4駅、JR美袋、美作滝尾、建部、旧柵原鉄道吉ヶ原駅と、文化審議会で登録の答申がなされているJR方谷駅の計5駅、そのすべてを訪ねることができました。
 
 ★追記  方谷駅は、平成23(2011)年7月25日、国の登録有形文化財に  
     登録されました。







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2 コメント

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見たよ (山田のクリ)
2011-05-24 22:49:19
 トシさん動いていますね!動くことで活力が生まれるのかな?違う面でしっかり行動します!!
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いつもありがとうございます (tosi)
2011-05-25 10:03:03
山田のクリさん
読んでいただき感謝しています。
読んでいただける方がおられると元気が出ます。ありがとうございます。
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