平成26(2014)年4月の国土地理院の調査により、仙台市宮城野区に位置する日和山(ひよりやま)が、標高3.00メートルの山として認定され、日本で一番低い山になりました。2番目に低い山は、大阪市にある天保山。標高は4.53メートルだそうです。天保山は、天保年間(1830年~1843年)に安治川の浚渫工事で出た土砂を積み上げてできた山で、当時は20メートルほどの高さだったといわれています。その後、幕末の砲台建設のために削られ、高度成長時代には地下水が汲み上げられたため、現在の姿になったといわれています。長く日本一低い山とされていました。
一方、日和山は平成23(2011)年の東日本大震災で消滅したといわれていましたが、平成26(2014)年の国土地理院の調査により標高3メートルの山が確認され、日本一低い山となりました。上の写真は、徳島市方上町(かたのかみちょう)弁財天にある、標高6.10メートルの弁天山です。国土地理院の地形図にも掲載されている日本で3番目に低い山です。日本一低い日和山も、2番目の天保山も共に人工的につくられた山(築山)であるのに対し、3番目の弁天山は自然の山として知られています。そのため、弁天山は、"自然の山として日本で一番低い山”ということになり、”とくしま市民遺産” にも選定されているそうです。
この日は、その弁天山を訪ねることにしました。
徳島駅で、阿南駅行きの牟岐線の列車に乗り継ぎました。JR四国が誇るエコ車両、1500系のワンマン運転、単行のディーゼルカーは、徳島駅から10分ぐらいで4つ目の駅、JR地蔵橋駅に到着しました。
地蔵橋駅は、大正2(1913)年、阿波国共同汽船の駅として開業しましたが、開業と同時に国有鉄道が借り上げ小松島軽便線として運用されていました。名実ともに、国有鉄道になったのは大正6(1917)年。阿波国共同汽船が買収し国有化されたときでした。地蔵橋駅は、徳島市西須賀町(にしずかちょう)西開(にしびらき)にあります。文化の森駅から2.1km、次の中田(ちゅうでん)駅まで3.2kmのところに設置されていました。
これは、駅舎内に掲示されていた災害時の避難所になっている大松(おおまつ)小学校までのルート図です。見えにくいのですが、弁天山は地図の下を左右に走る徳島県道210号を地図の左に向かった先にあります。地蔵橋駅前からまっすぐ進み県道136号を右折して進み、「下多々良」のところのローソンの交差点を右折して、その先の牟岐線の踏切を越えて進めば、弁天山に行くことができそうです。
地蔵橋駅舎です。大正15(1926)年に建設されましたが、かなり改装がなされています。駅舎から出て歩きます。少し近道をして、上の写真の地図の「地蔵橋」の「蔵」の字の下を進み、「西開」の文字の近くで左折して、県道の「136」のところで県道に合流するルートで歩きました。
JR地蔵駅への取り付け道路です。正面突きあたりが県道136号です。
右側に「富岡学習室」の看板のあるお宅の先の横断歩道で右折して、住宅街をまっすぐ進みます。
正面にカーブミラーが3つ並んでところで左折します。栄光社を左に見ながら進むと、篠原ゼミナールの脇で、県道136号に合流しました。
正面に見える博愛記念病院の青い建物に向かって進むとローソンの脇の交差点に着きました。交差点の手前、左側に「弁天山」の標識が見えました。交差点を右折して、県道210号に入ります。この道は、江戸時代、「土佐街道」とよばれる藩道だったといわれています。
その先で、牟岐線の鶴島第3踏切を越えると、ゆるやかな右カーブになります。
道路の左側にあった天霊山正福寺の石碑を越えると、正面に小さな丘状の地形が見えました。それをめざして進みます。
道路の脇に立つ、黄色の「弁天市」の幟の先に、めざす弁天山がありました。正面には、地元の奉賛会の方々がつくられた案内看板が設置されていました。
道路脇にあった看板です。「徳島市方上町 日本一低い山 弁天山 国土地理院認定 標高6.1メートル」と書かれています。後ろに見える建物で「弁天市」が、毎週水・土・日曜日に開かれています。
冒頭に、弁天山は自然の山だと書きましたが、草創神社奉賛会の方々が、平成10(1998)年10月に設置された説明板には、「元暦2(1185)年、源平の合戦に際し、源義経は小松島市の田野町に上陸し、南西にある山を越えて香川県の屋島、壇ノ浦に平氏を討つために兵を進めたという伝説が残っている。当時はこのあたりは海で、現在の弁天山は海中の小島であった。室町期に入ってから海水が引き湿地帯となった。小島は小山となり、水田開発が進み、現在に至っている」と書かれていました。
弁天山の標高6.10メートルの山頂には厳島神社(弁財天)が祀られています。説明には、「かつて海だったので、市杵島姫命(イツクシマヒメノミコト)を神として、厳島神社(弁財天)を勧請した」と書かれていました。
この写真は、説明板に載っていたかつての弁天山の姿です。正面の鳥居に覆い被さるように、推定樹齢250年という松が聳えていたようです。江戸時代の中期からこの地にあった松の木です。説明には「松喰虫の被害により枯れ」たので、昭和55(1980)年12月に伐採」したと書かれていました。鳥居をくぐり参道を上ります。
上方から鳥居に向かって撮影しました。奉賛会の皆様が整備された手すりのついた参道です。頂上まで14段の石段がつくられていました。説明には、「弁天様は庶民の願いを叶える神。日本一低い山にふさわしい社殿、参道、鳥居などを整備した」とありました。鳥居にも、「草創神社奉賛会」、「平成10年10月吉日」と記されていました。
弁天山の山頂です。正面に祠、左側に記帳所がつくられていました。観音開きの記帳所には、他に、おみくじ(100円)、御朱印(3種 各300円)も置いてありました。
下ってきました。弁天山の周囲は一回りできるように舗装もなされていました。
標高6.10メートルの弁天山の登頂証明書です。山頂の記帳所に置かれていたものです。記帳した後、100円を置いていただいてきました。
山頂までは、14段の石段とスロープを登るだけ、自然の山で日本で一番低い山
でしたので、さほど苦労しないで登頂証明書をいただくことができました。