水間鉄道水間線(以下「水間線」)の水間観音駅です。水間線は、水間寺へ参詣する人々を輸送するために敷設された鉄道です。長く「水間駅」として親しまれて来ましたが、平成21(2009)年「水間観音駅」に改称されました。貝塚市水間にある駅です。相輪のついた「卒塔婆風の外観をもつ駅」として広く知られています。平成11(1999)年に、国の有形登録文化財に登録されています。
水間寺の本堂と三重塔です。「寺伝」によれば、天平年間(729~749年)に聖武天皇の勅願により、行基が開創した寺院です。聖観世音菩薩を本尊とする天台宗別格本山の寺院で、「水間観音」と呼ばれ多くの人々の尊崇を受けて来ました。「水間観音駅」に改称されたのも、このような経緯によるものでしょう。
南海電鉄本線の貝塚駅に隣接している水間線の貝塚駅です。貝塚の「だんじり祭り」に協賛する提灯が掲げられています。「だんじり祭り」といえば岸和田が有名ですが、元禄16(1703)年、岸和田藩3代藩主岡部長泰が京都の伏見稲荷を岸和田城内に勧請し、五穀豊穣を祈願して稲荷祭りを行ったのが、その起源だといわれています。貝塚も岸和田藩の領内だったためこうして「だんじり祭り」を行っているようです。
水間線は、大正14(1925)年12月24日、貝塚南駅~名越(なごせ)駅間が開業したことに始まります。そして、4日後の12月28日、貨物線の貝塚駅~貝塚南駅間が開業。それから約1ヶ月後の大正15(1926)年1月30日、名越駅~水間駅(現・水間観音駅)間が開業しました。そして、昭和9(1934)年1月20日、貝塚南駅~貝塚駅間でも旅客輸送が始まり、貝塚駅~水間駅間の全線で旅客営業が行われるようになりました。ちなみに、貨物営業は、昭和47(1972)年5月1日に廃止されています。
水間線に乗って水間観音駅に向かう前に訪ねてみたいところがありました。 水間線貝塚駅のすぐ前に、線路と並行して走る通りがあります。その道を線路に沿って歩きます。
5分ぐらいで、水間線の踏切に着きました。踏切を渡った先に、白壁のお宅が見えます。かつて、この付近にあった駅を確認するつもりでした。
踏切から見た水間観音駅方面です。左側の線路脇に0キロポストとその先の勾配標が見えます。この0キロポストは水間線の起点を表しています。開業時の水間線の起点は貝塚南駅でしたので、このあたりに貝塚南駅があったことになります。貝塚駅から200mのところでした。近くのお店の人にお聞きすると「このあたりに貝塚南駅があったよ」とのことでした。昭和9(1934)年に貝塚南駅~貝塚駅間で旅客営業が開始するまで、貝塚南駅には、行き止まりの線路がホームを挟んで2本と、駅構内を右にカーブする線路(貝塚駅に向かう貨物線)があり、駅舎は行き止まりになった線路の先にあったそうです。(web上の「0キロポスト」を参考にさせていただきました)
勾配標の先を撮影しました。線路の向こう側の空き地のあたりに、貝塚南駅の旅客用のホームがあったそうです。
線路を渡って、水間観音駅方面を撮影しました。画面の向こうから手前に向かって旅客用のホームが延びており、貝塚南駅の駅舎は前面の白壁のお宅のあたりにあったと考えられています。
踏切の手前に、線路に沿って延びる通りがあります。その道を進んでいきます。左側に貝塚郵便局、右側に「シルバー人材センター」が入る建物があるところで広い通りに出ます。そこで右折すると、水間線の海塚(うみづか)第1踏切に出ます。
写真は、海塚第1踏切から貝塚駅方面を撮影したものです。右側が「シルバー人材センター」が入っている建物です。その前の線路との間に空き地が見えます。貝塚南駅は、昭和27(1952)年に「海塚(うみづか)駅」と改称されましたが、その時に、貝塚南駅から100m(貝塚駅から300m)離れたこの地に移ってきたそうです。空き地はホームの跡だといわれています。その後、海塚駅が、昭和47(1972)年に廃止されるまで、この地で営業を続けました。
このマップは水間線の貝塚駅に掲示されていたものです。移ってきた海塚駅の場所が示されています。
水間線の貝塚駅に戻ります。自動券売機の右側には駅事務所。問い合わせなどにも対応してくださいます。自動券売機で切符を買って入ります。水間観音駅まで290円でした。窓口でお聞きしますと「乗り放題きっぷ」もあり、電車だけなら600円。水間線の貝塚駅と水間観音駅で買うことができるそうです。
ホームに入ります。写真は、通ってきた改札口を振り返って撮影しました。改札口はありましたが、駅スタッフに切符を見せて入ればいいようです。
正面に時刻表と運賃表。水間線は、直営駅の貝塚駅と水間観音駅以外は、電車の中で両替や支払いを終えるようになっています。
2番ホームの中ほどから見た駅事務所方面です。線路の先には車止めがありその先は駅事務所です。
反対側の1番ホームです。左の白いビルはJR貝塚駅への連絡階段と通路になっています。その左側は南海電鉄貝塚駅です。この駅は、水間線に先立つ明治30(1897)年10月1日に開業しています。
ホームの水間観音駅側です。水間線は電化されていますが、全線単線の区間です。その先で、線路は大きく左側にカーブして、0キロポストのあった踏切に向かっていきます。現在の車両は、平成2(1919)年に架線電圧を1500ボルトに昇圧したとき、東急電鉄の7000系車両に置き換えたもので、現在、2両編成を5本(計10両)所有しているそうです。車両番号も順次1000形に改められています。
水間観音駅からやって来た電車が到着しました。ワンマン運転の2両編成、1001号車(貝塚駅方)と1002号車(水間観音駅方)です。 水間線は、基本的には、貝塚駅からは毎時15分、35分、55分発、水間観音駅からは、毎時12分、32分、52分発になっています。終点までの所要時間は15分。中間駅の名越(なごせ)駅には、水間線唯一の1面2線のホームがあり、ここで行き違いをしています。
折り返し、水間観音駅行きになる電車です。ロングシートの車両です。通勤・通学時間帯を過ぎていましたので、2両編成ですが乗客は10人程度でした。
この日見たオリジナルヘッドマークです。1万円でオリジナルヘッドマークをつくり、10日間運行する電車につけて走るという企画だそうで、現在もこのような形で行われています。
貝塚駅から15分で、水間観音駅に着きました。2面2線のホームです。
乗車してきた、赤いラインの1001号車と1002号車です。2両編成の車両にしては長いホームです。
ホームの端から見た貝塚駅方面方面です。待避線で、青いラインの1003号車(貝塚駅側)と1004号車(水間観音側)が停車しています。
静態保存されているクハ553号車です。72両製造された元南海電鉄1201系の車両で、昭和8(1933)年にデビューしました。水間線には、12両が、昭和46(1971)年に移ってきました。架線電圧600ボルトの車両で、水間線への入線当時は、写真のようなクリーム色とマルーンの塗装になっていたそうですが、その後、クリーム色に赤と水色の2本の帯がついた塗装に変わりました。 平成2(1990)年架線電圧を1500ボルトに昇圧し、昭和63(1989)年から平成2(1990)年にかけて東急電鉄の車両を導入したことにより、この1両が静態保存されることになりました。
ホームから見た駅舎です。寺院風の駅舎の相輪が見えています。
改札を抜けて駅舎内に入ります。
中心部の天井部分です。洋風のデザインである吹き抜けになっています。鉄筋コンクリート造りで、大正15(1926)年に建設されました。建設から90年以上経過していますが、今も基本的な構造は替わっていないそうです。冒頭で書きましたが、平成11(1999)年、国の登録有形文化財に登録されています。大阪府では、南海電鉄の浜寺公園駅と諏訪ノ森駅に続いて3件目の登録でした。
駅前広場に出ました。卒塔婆風の外観が水間寺の最寄駅らしい雰囲気を醸し出しています。
これは駅舎に掲示されていた水間観音駅付近の案内図です。この日は最後に水間寺にお詣りすることにしていました。マップの通り水間観音駅から下の方に向かい、喫茶母恵夢(ポエム)から水間街道を歩いて行きます。
喫茶母恵夢の角にあった道標です。「水間観音駅」と「龍谷山水間寺」の文字が」見えました。「奥貝塚・水間まち並みづくり協議会」によって建てられた道標でした。「龍谷山水間寺」の方に向かいます。
水間寺への参道という性格を持っていた水間街道です。両側に続く懐かしい伝統的な家並みの間を進んで行きます。広い敷地に大きな構えの民家が続いています。
マップの「水間街道」と「新水間街道」の合流点の先、水間寺の向かいの通りです。織田信長・羽柴秀吉が天下統一をめざしていた時代、紀伊国は高野山、根来寺、雑賀集などの寺社や国一揆など、中央集権への動きに対立する勢力が、高い経済力と軍事力をもって地方自治を行っていました。天正13(1585)年、羽柴秀吉が根来へ侵攻したとき、水間寺は根来側についたため、本堂を焼失するなど大きなダメージを受けました。
厄除橋から水間寺に入ります。
寺内にあった説明には、「水間寺の寺号は、蕎原(そぶら)川と秬谷(きびたに)川の合流点に位置することによる」と書かれていました。江戸時代、水間の地域は岸和田藩の支配を受けるようになっていましたが、寛永17(1640)年に岸和田藩主として入封した岡部氏は藩内の寺社の復興に積極的に取り組みました。水間寺もその支援を受け、本堂は、文化8(1811)年に再建され、三重塔は、天保5(1834)年に建立されました。
本堂は、入母屋造り、本瓦葺きの二重屋根をもち、大阪府内でも最大級の規模になっています。三重塔は大阪府内で唯一のものだといわれています。
水間鉄道水間線は、水間寺への参拝客の輸送のために開業しました。
この日は、水間寺と水間観音駅を訪ねてきました。水間観音駅は、開業から90年を経ていますが、今なお現役の駅舎として使用されています。国の登録有形文化財の駅として、これからも、長く活躍してほしいものです。