トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

駅舎に櫓がある駅 JR学駅

2018年09月16日 | 日記
四国の中心部を東西に流れる四国一の大河、吉野川。その右岸の田園地帯を、吉野川とほぼ並行して走る鉄道があります。徳島県三好市の佃駅から徳島市の佐古駅に至る、全線徳島県内を走るJR徳島線です。実際の運用ではJR阿波池田駅とJR徳島駅が起終点になっています。

青春18きっぷの期限が迫った日、久しぶりにJR徳島線に乗ってきました。徳島駅の2番ホームで出発を待つワンマン運転の1500形気動車です。排気ガス中のチッ素化合物を60%削減したというJR四国が誇るエコ車両です。また、従来の1000形車両に比べ床面の高さが80ミリ低い1100ミリ、車椅子に対応したトイレを設置し、車椅子スペースも確保したつくりになっているバリアフリー車両でもあります。平成18(2006)年から平成26(2014)年までの8年間で34両が製造されました。この日に乗車した1567号車は平成25(2013)年に近畿車輛で製造された車両です。

12時39分発の穴吹駅行きの列車が出発しました。列車は佐古駅に向かって高架を上っていきます。車両の最後尾から見た徳島駅方面です。複線区間に見えますが、左側に見える線路はJR高徳線の線路です。徳島線と高徳線の2つの単線路線が並んでいる区間になっているのです。

佐古駅を出ました。最後尾から見た佐古駅のホームです。やがて、高徳線は左に離れて行くことになります。JR徳島線は、のどかな田園地帯を走ることもあり、穏やかな気分になれる路線です。
沿線にある町のうち、うだつのある商家建築が並ぶ脇町(穴吹駅が最寄駅になります)と貞光町(「うだつのある町、徳島県脇町と貞光町」2011年3月14日の日記)、穴吹駅と貞光駅の中間にある小島(おしま)駅(「”青春18きっぷ”のポスターの駅」JR小島駅」2014年9月30日の日記)、阿波池田町(「阿波池田、うだつの町並み」2012年8月16日の日記)はすでに訪ねてきました。この日は、受験生に人気の「合格祈願きっぷ」の入場券で知られるJR学駅を訪ねることにしました。

JR徳島駅から40分余(24.8km)、13時20分過ぎに学駅の2番ホームに到着しました。学駅の2番ホームは穴吹・阿波池田方面行きの列車が、1番ホームには鴨島・徳島方面に行きの列車が停車することになっています。運転士に青春18きっぷを見せて、地元の人らしい3人の人とともに下車しました。

列車はすぐに出発して行きました。ホームの阿波池田駅側の端にある跨線橋が見えます。

向かいの1番ホームにあった駅名標です。学駅は吉野川市川島町にあります。阿波川島駅から3.5km、次の山瀬駅へ2.8kmのところにある駅です。徳島線は、明治32(1899)年2月16日、徳島鉄道によって徳島駅・鴨島駅間が開業したことに始まります。そして、8月19日には川島駅(現・阿波川島駅)まで延伸しました。学駅が開業したのは、同年12月23日に山﨑駅(現山瀬駅)まで延伸したときでした。現在までに、開業から120年近い年月が流れています。

駅舎の上屋から突きだした櫓が見えます。
学駅は駅舎に櫓のある駅です。徳島鉄道として開業しましたが、8年後の明治40(1907)年に国有化され、明治42(1909)年、徳島線と線路の名称が決められました。現在の徳島線にあたる区間が全線開通したのは、大正3(1914)年に川田(かわた)駅・阿波池田駅間が開業したときでした。

跨線橋の上から見た徳島方面です。2面2線の長いホームが広がっています。JR四国にある特急列車との行き違い駅では、1線スルーになっている駅が多くあります。徳島線も徳島駅から鴨島駅までは1線スルーになっていますが、学駅はまだ1線スルーの対応ができていないようです。

跨線橋の上から見た学駅の南側の風景です。豊かな緑の中に、比較的新しい民家が並んでいます。
駅名にある「学」地区は、駅の南側一帯の地域だといわれています。「学」の地域は、もとは「学島村」といわれ、かつて、この地に阿波国の学問所があったため名づけられたといわれています。また、この地の了慶寺におられた名僧を慕って全国から学びに来る人がいたことから名づけられたとか、「学」は、「ガク」は「ガケ」に通ずるとして「崖状を成した地形」から名づけれたともいわれています(「おもしろ地名駅名歩き事典」村石利夫著 みやび出版)。ちなみに、崖状の地形は、学地区の南側にあるといわれています。

以前、脇町、貞光、阿波池田を訪ねてきましたが、吉野川の沿岸地域は大雨とそれに伴う洪水に苦しんできました。年間降水量が2000ミリを超える地域で、大雨や洪水は夏の稲の生育時期に起こり、米の収穫は難しかったといわれています。そのため、米に替わる農作物として藍やタバコの栽培が盛んになりました。上流地域の池田町や貞光町はタバコの取引で財を成した商人が多かったところです。そういう経緯から、商人が建てた家並みが今も残っています。しかし、日露戦争の戦費を得るため、政府がタバコの専売制度を敷いたため、池田町のタバコの扱いは激減しました。一方、徳島名産の藍は、江戸時代、阿波徳島藩の財政を支える産物になっていました。中流地域の脇町では藍の取引で栄えた商人によってつくられたうだつの家並みが、今も多くの観光客を集めています。

跨線橋から見た駅舎の櫓です。よく見ると切妻屋根が四方に張り出したつくりになっています。

ガラスの部分には、花びらの模様がつくられていました。

1番ホームから駅舎に入ります。入口の幅と上の櫓の幅がほぼ同じ大きさになっています。

駅舎内の天井です。木組みがあるところが櫓の部分です。天井が上に盛り上がっていますが、すべて塞がれています。櫓は灯り取りの意味はないようです。装飾のためにつくられたのでしょうか。

駅舎の中にあった時刻表です。特急”剣山”が一日7往復、普通列車は日中は1時間、1~2本が運行されています。

駅舎の隅にあった自動券売機。学駅は平成22(2010)年から無人駅になっています。

駅舎から駅前広場に出ました。玄関ポーチと上部の櫓の幅が同じデザインになっています。美しい駅舎でした。

駅前には、バス停がありました。学駅は吉野川市川島町にありますが、隣の阿波市市場町の最寄駅にもなっており、市場町とをつなぐバスが運行されていました。

駅舎の東側です。自転車置場になっているところは、かつて、貨物を扱う事務所の建物があったところ、右側の高い所は貨車の線路が敷かれていたところだそうです。

駅舎の東側から見た駅舎の姿です。櫓と玄関ポーチと白壁がマッチしていて、どの角度から見ても美しい駅でした。

そこから、さらに東に向かいます。道路と駅の敷地との境界には、懐かしい枕木の柵がつくられていました。

駅舎内に戻りました。駅事務所の入口に、昨年度の「合格祈願きっぷ 学駅臨時発売のご案内」とお礼が掲示してありました。硬券の入場券5枚とお守り袋をセットにした「合格祈願きっぷ」の駅として受験生に人気の駅ですが、駅での販売は正月の一時期だけだったようです。

残念ながら、櫓のある駅舎は、明治32(1889)年の開業時からのものか、その後の改修・改築によってつくられたものかよくわかりません。櫓は、灯かり取りのためにつくられたものか、単なる装飾のためにつくられたのかもよくわかりませんでした。
でも、学駅は、合格祈願きっぷで全国に知られるようになりましたが、櫓のある駅舎は美しく魅力ある駅でした。