トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

南海電鉄深日駅跡を訪ねる

2018年09月09日 | 日記
このところ、南海電鉄多奈川(たながわ)線の駅を訪ねています。
多奈川線は、南海本線のみさき公園駅から多奈川駅に向かう2.6kmの盲腸線です。かつては、沿線にある深日(ふけ)港から淡路島と四国に向かうフェリーに合わせて、大阪なんば駅から多奈川駅に乗り入れる直通急行「淡路号」が運行されており、多くの乗客で賑わっていました。

多奈川線の車両です。多奈川線を訪ねた日は、いつも、2200系車両(2252号車+2202号)の2両編成の電車が往復運転をしていました。 これまで、深日港駅(「南海電鉄多奈川線、深日港駅を訪ねる」2018年8月27日の日記)、多奈川駅(「大阪府で最も西にある駅、多奈川駅」2018年8月27日の日記)、深日町(ふけちょう)駅と多奈川線内の各駅を訪ねてきました。この日は、南海本線にあった深日(ふけ)駅跡を訪ねることにしていました。多奈川線深日町駅の開業によって、最終的に廃止された駅でした。

多奈川線の深日町駅です。駅舎の左側のアーチ形の高架の上を、多奈川線の電車が走っています。深日駅跡を訪ねるには、深日駅に取って代わる形で開業した深日町駅からがふさわしいと考え、ここからスタートしました。

深日町駅の前を走る大阪府道752号です。駅舎の右側の光景です。正面に多奈川線の鉄橋があります。鉄橋を左方向に向かうとみさき公園駅に、右方向に向かうと深日港駅・多奈川駅に向かいます。鉄橋の向こう側は深日中央交差点で、右に向かう府道65号と左に向かう府道752号(旧国道26号)が分岐しています。深日駅跡をめざして、左に向かって歩きます。

府道752号(和歌山阪南線)を進みます。左側に、泉州南消防組合岬消防署を見ながらさらに進みます。道路からは見えないのですが、消防署の裏の100mぐらいのところを、府道に沿って大川が流れています。

やがて、府道752号は右カーブになります。

右カーブが始まると、正面にブラウンの建物が見え始めました。深日変電所の建物です。変電所の向こう側を南海本線が走っているはずです。

カーブが終わると、道路の左側の大川と並んで進むようになりました。前方右側に高齢者施設の建物が見えました。

大川にかかる南海橋です。高齢者施設の前に架かっています。ここまで、深日町駅からゆっくり歩いて15分ほどでやってきました。

高齢者施設の向かいに建設会社の看板が見えました。看板の前を左折します。

南海橋を渡ります。旧深日駅への取付道路だと思いました。この先に変電所、そして深日駅跡があるはずです。

南海橋からの道の左側に、深日変電所がありました。明治44(1911)年に建設された煉瓦造りの建物です。建物の前に変電設備がありました。今も現役の変電所のようです。

変電所を過ぎると、雑草に覆われた細い道になります。その先に、南海本線の線路が見えました。旧深日駅が開業したのは、明治31(1898)年、南海本線の尾崎駅・和歌山北口駅(現紀ノ川駅付近)間が開業したときでした。現在、泉南郡岬町になっている深日、多奈川、孝子(きょうし)地区の人々が利用する駅でした。しかし、当時、地元の人たちは「若者が和歌山市などの都会に出て遊びを覚えることを防ぐため、できるだけ集落から離れたところに設置してほしい」という願いを抱いていたそうです。それに応えたからかもしれませんが、深日駅は、深日、多奈川地区から離れた、山深いところに設けられていました。(「私鉄全駅全車両基地『南海電気鉄道①』週刊朝日百科」より) 「線路用地内 立入禁止 南海電気鉄道株式会社」と書かれた立札が目に入ってきました。

安全確認を繰り返し行って、立札の付近まで入らせていただいて撮影しました。複線の線路の両側に、雑草に覆われたホームの跡が残っていました。2面2線のホームだったようです。さて、深日駅の利用者は、先に書いたような経緯があったためか、さほど多くはなかったようです。深日駅が開業する以前と同じように、大川を船で移動して箱作(はこつくり)駅に向かう人もおられたそうです。

この写真は、和歌山市駅に向かう南海電車の先頭車両から見た深日駅跡の全景です。

変電所の建物の近くに来ました。どっしりと存在感のある美しい建物でした。
その後の深日駅を取り巻く動きをたどってみます。大正4(1915)年には、南海本線に孝子駅が開業しました。また、昭和19(1944)年に多奈川線が開業して深日町駅が開業すると、深日駅は旅客扱いを休止し貨物駅に変わって行きました。そして、その翌年の昭和20(1945)年には駅業務を休止し、昭和33(1958)年に正式に廃止となりました。多奈川線の深日町駅が開業したことが、深日駅のその後に大きな影響を与えたことは明らかです。 廃止から60年経ちましたが、残されたホームと周辺の光景が、深日駅の哀しい歴史を今に伝えてくれています。

変電所の窓は塞がれているようです。今は、倉庫として使用されているのでしょう。

引き返します。南海橋を渡り府道に出ました。右側にある大川の流れに沿って進みます。大川は、この先も、深日町駅の先まで府道752号に並行して流れ、その後、府道を横切った後、深日港の東部付近で、大阪湾に流れ出て行きます。

道路の左側に車の形をした建物が見えました。車輪の部分も残っていました。「中華そば」と書かれています。

近くで見ると、左側にバスのフロント部分がありました。バスの車体を使用した食堂の跡のようです。郵便受けも残っていました。

このとき、前方の右の山裾を南海本線の電車が通過していきました。

これは、その少し先の光景です。右から左に進んでいた本線に対し、多奈川線は左側の山裾を左から右に進み、両線は中央の二つの山塊の間で合流し、みさき公園駅に向かっています。

これは、みさき公園駅に向かう多奈川線の電車内から見た本線との合流地点です。二つの山塊の間を南海電車は走っているようです。

大阪府の最南端にある泉南郡岬町を走る多奈川線には、それぞれ特徴のある駅がありました。
大阪府の駅の中で最西端にある多奈川駅、淡路島や四国への最短ルートとして賑わった深日港駅、三連アーチ形の高架のホームに上がる階段が残っていた深日町駅、雑草に覆われてはいましたが、哀しい歴史を伝える深日駅と、訪ねる度に新しい発見がありました。