広島市街地を走る日本一の路面電車、広島電鉄に乗った日(「日本一の路面電車、広島電鉄に乗る」2014年1月28日の日記)、今度は日本で一番短い路面電車が気になり始めました。中国地方で広島市に続く政令指定都市である岡山市を走る岡山電気軌道(岡電)の路面電車です。岡山市の住人である私には身近な存在です。
これは、岡山電気軌道の各電停に掲示されている路線図です。岡山電気軌道には二つの路線があります。一つは本線ともいうべき東山線(緑のラインで表示)です。岡山駅前から城下(しろじた)電停、西大寺町(さいだいじちょう)電停、中納言電停の先でカーブして、岡山市の東南にある東山電停までの3.1kmを走ります。もう一つは清輝橋(せいきばし)線(赤いラインで表示)。途中の柳川(やながわ)電停の先で右折して、清輝橋までの1.7kmを結んでいます。2路線合わせて4.8km。日本一の路面電車である広島電鉄は35.1kmですから、7分の1の規模になっています。なお、軌間は1067ミリを採用しています。
JR岡山駅東口前の南北の通りをはさんだ先に、岡山電気軌道の岡山駅前電停があります。岡山電気軌道は、明治45(1912)年に西大寺町電停まで、大正12(1923)年に現在の東山電停までが開業しました。 年間輸送人員は356万人(2011年度)で、日本一の広島電鉄の輸送人員約3700万人の10分の1程度しかありません。
JR岡山駅の一番街(地下街)から階段を上って電車乗り場に向かいます。
階段を上がるとすぐ乗り場につきます。向かって左側が清輝橋線。右側が東山線の乗り場です。
東山行きの電車が出発を待っていました。「大手まんじゅう」の広告を載せた昭和61年アルナ工機製の7601号車でした。岡山電気軌道の路面電車は、岡山駅前から東にまっすぐ延びる桃太郎大通りの中央部を走っています。保有車両は21両だそうです。
東山線に乗車しました。通勤時間を過ぎており乗客は数人でしたので、運転席方面の車内を撮影しました。もちろん、ワンマン運転です。東山線は、終点東山電停までに、西川緑道公園・柳川・城下・県庁通り・西大寺町・小橋・中納言・門田屋敷の8つの電停に停車します。東山線は5分間隔(ラッシュ時は3~4分おき)で運行しています。
乗場してから7分ぐらいで県庁通り電停に着きます。ここで、100円を払って下車します。この先は140円の区間になります。 5分間隔での運行ですので、次々に電車がやってきます。車両のチェックをすることにしました。
黒一色の車両が来ました。岡山城(烏城=うじょう)を模して「烏の濡れ羽色」の黒で塗られている愛称「くろ」、3007号車です。「くろ」を含む3000形は、昭和44(1969)年東武鉄道から移籍してきた車両です。現在3両残っているそうですが、そのうちの1両です。ちなみに、3000形の1両は東武鉄道在籍当時の塗装に復元されています。この日は、東山電停付近にある車庫で待機していました。
これは「TAMA電車」。平成21(2009)年から走っています。これは、和歌山県の和歌山・貴志間を走る和歌山電鐵貴志川線の貴志駅の駅長、「たま」のキャラクターが35匹描かれています。和歌山電鐵は元南海電鉄の路線で、岡山電気軌道が経営を引き継いでいることで知られています。7001号車は、昭和55(1980)年のアルナ工機製、元は呉市交通局の車両だったそうです。
こちらは、同じ岡山電気軌道の「TAMAバス」です。電車と一体となって街に「うるおい」を与えてくれています。バスの正面の耳が見どころです。
次にやってきたのが、7300形の7302号車。昭和58(1983)年アルナ工機製で、2両在籍しています。どちらも呉市交通局から移ってきた車両の改造車だそうです。
続いて、7901号車。この7900形は、平成元(1989)年から5両が導入されましたが、その1号車のようです。
これは、県庁通り電停と次の西大寺町電停の間で撮影した7501号車。昭和60(1985)年アルナ工機製です。
同じ場所で撮影しました。市街地循環バスの「京橋めぐりん」と並んで信号待ちをしている「TAMA電車」です。
西大寺町電停に並んだ7901号車と3007号車(くろ)です。この先で、東山線は左にカーブして、江戸時代の旧山陽道を走ることになります。
西大寺町の先のカーブを曲がる7301号車。先ほどの7302号車の兄弟車両です。
山陽道だった道路を東に向かい、京橋を渡り西中島へ、さらに中橋をわたり東中島へ入ります。写真は、旭川にかかる3つめの橋、小橋を渡り東山に向かう3007号車(くろ)です。「くろ」の裏に見えるオレンジ色の橋は新京橋、岡電の撮影スポットとして知られているところです。
撮影スポットからの岡電車両です。背景に烏城といわれる岡山城と岡山県庁、さらに背後に笠井山の姿が見えます。
小橋を渡ると中国銀行小橋支店の前にある小橋電停に着きます。西大寺町電停と小橋電停の間の距離は約600m。岡電の電停間で最長区間になっています。小橋電停には安全地帯が設置されていません。乗客は路上にある緑色のスペースで乗降します。岡電で安全地帯がないのは、次の中納言電停との2カ所だけです。
東山行きの電車は小橋を出ると、次は中納言電停に着きます。小橋電停と中納言電停の間は約100mで、岡電の中で最も電停間の距離が短い区間になっています。中納言電停も安全地帯が設置されていません。線路の左にあるのは、広栄堂武田(手前)と広栄堂本店(右側)です。どちらも岡山名物「安政3年創業 きびだんご」で知られています。旧山陽道は広栄堂本店の角で左折して北に向かっていました。岡電はここを右折します。写真は、岡山駅前に向かう7401号車。昭和59(1984)年、アルナ工機製の車両です。
中納言電停を右折すると新京橋につながる道路と合流します。そこを左折すると、江戸時代の牛窓往来に入ります。現在も岡山市西大寺地区(旧西大寺市)を経て牛窓に向かう県道です。その東山峠の手前に、岡電東山線の終点、東山電停があります。東山電停の左側にあるのが、岡山電気軌道電車事業部の事務所です。
このとき、岡山駅前から戻ってきた電車がホームに入ってきました。7002号車、TAMA電車の兄弟車両です。岡山駅前から15分ぐらいかかりました。
東山電停の先で線路は左右に分かれています。どちらも車庫に入る線路です。
右に向かう線路の先にある車庫。県庁通りの電停で見た7302号車が休憩していました。その奥に、東武鉄道時代のオレンジと淡い緑色の塗装に復元された3005号車が休んでいました。「くろ」の兄弟車両です。
これは左側の車庫にいた車両です。県庁通りで出会った7901号車でした。
東山電停に戻って来た電車はそのまま先に進み、すぐに引き返し、手前の岡山駅前行きのホームに入りました。待っていた乗客を乗せて再度岡山駅前に向けて出発していきました。
7002号車のボディに描かれていた地元TV局の広告です。ワイドショーのキャスターが描かれていました。パッケージ広告は、全国の路面電車の貴重な収入源です。路面電車が街に溶けあった風景なら、広告もまた街の顔になっています。
最後に、岡山電気軌道を代表する花形車両として、”MOMO”と”MOMO2”があります。”MOMO”は公募によって命名され、平成14(2002)年に運行を開始しました。超低床の路面電車です。最近話題の「ななつぼし」など、JR九州の多くの車両の設計をされた、岡山市出身の水戸岡鋭治氏の設計による車両です。水戸岡さんの設計らしく、内部は木をふんだんに使ったデザインで知られています。しかし、”MOMO”は、平成24(2012)年6月、右折する自動車と衝突し、重篤な損傷を負いました。長い修理期間を経て、1年後の平成25(2013)年6月に復帰しました。
写真は柳川交差点で右折している”MOMO2”です。”MOMO”の兄弟車両、”MOMO2”は、平成23(2011)年から運行しています。どちらも新潟鉄工(現新潟トランシス)で製造されました。(2012年6月6日の日記)
路線の総延長4.8kmという日本で最も短い路面電車である岡山電気軌道。その東山線の3.1kmに乗って来ました。5分おきに走る「待たずに乗れる」電車です。日本一の路面電車、広島電鉄のように多くの乗客であふれているという状況ではありませんが、手軽に乗れる市民の足として頑張っていました。
これは、岡山電気軌道の各電停に掲示されている路線図です。岡山電気軌道には二つの路線があります。一つは本線ともいうべき東山線(緑のラインで表示)です。岡山駅前から城下(しろじた)電停、西大寺町(さいだいじちょう)電停、中納言電停の先でカーブして、岡山市の東南にある東山電停までの3.1kmを走ります。もう一つは清輝橋(せいきばし)線(赤いラインで表示)。途中の柳川(やながわ)電停の先で右折して、清輝橋までの1.7kmを結んでいます。2路線合わせて4.8km。日本一の路面電車である広島電鉄は35.1kmですから、7分の1の規模になっています。なお、軌間は1067ミリを採用しています。
JR岡山駅東口前の南北の通りをはさんだ先に、岡山電気軌道の岡山駅前電停があります。岡山電気軌道は、明治45(1912)年に西大寺町電停まで、大正12(1923)年に現在の東山電停までが開業しました。 年間輸送人員は356万人(2011年度)で、日本一の広島電鉄の輸送人員約3700万人の10分の1程度しかありません。
JR岡山駅の一番街(地下街)から階段を上って電車乗り場に向かいます。
階段を上がるとすぐ乗り場につきます。向かって左側が清輝橋線。右側が東山線の乗り場です。
東山行きの電車が出発を待っていました。「大手まんじゅう」の広告を載せた昭和61年アルナ工機製の7601号車でした。岡山電気軌道の路面電車は、岡山駅前から東にまっすぐ延びる桃太郎大通りの中央部を走っています。保有車両は21両だそうです。
東山線に乗車しました。通勤時間を過ぎており乗客は数人でしたので、運転席方面の車内を撮影しました。もちろん、ワンマン運転です。東山線は、終点東山電停までに、西川緑道公園・柳川・城下・県庁通り・西大寺町・小橋・中納言・門田屋敷の8つの電停に停車します。東山線は5分間隔(ラッシュ時は3~4分おき)で運行しています。
乗場してから7分ぐらいで県庁通り電停に着きます。ここで、100円を払って下車します。この先は140円の区間になります。 5分間隔での運行ですので、次々に電車がやってきます。車両のチェックをすることにしました。
黒一色の車両が来ました。岡山城(烏城=うじょう)を模して「烏の濡れ羽色」の黒で塗られている愛称「くろ」、3007号車です。「くろ」を含む3000形は、昭和44(1969)年東武鉄道から移籍してきた車両です。現在3両残っているそうですが、そのうちの1両です。ちなみに、3000形の1両は東武鉄道在籍当時の塗装に復元されています。この日は、東山電停付近にある車庫で待機していました。
これは「TAMA電車」。平成21(2009)年から走っています。これは、和歌山県の和歌山・貴志間を走る和歌山電鐵貴志川線の貴志駅の駅長、「たま」のキャラクターが35匹描かれています。和歌山電鐵は元南海電鉄の路線で、岡山電気軌道が経営を引き継いでいることで知られています。7001号車は、昭和55(1980)年のアルナ工機製、元は呉市交通局の車両だったそうです。
こちらは、同じ岡山電気軌道の「TAMAバス」です。電車と一体となって街に「うるおい」を与えてくれています。バスの正面の耳が見どころです。
次にやってきたのが、7300形の7302号車。昭和58(1983)年アルナ工機製で、2両在籍しています。どちらも呉市交通局から移ってきた車両の改造車だそうです。
続いて、7901号車。この7900形は、平成元(1989)年から5両が導入されましたが、その1号車のようです。
これは、県庁通り電停と次の西大寺町電停の間で撮影した7501号車。昭和60(1985)年アルナ工機製です。
同じ場所で撮影しました。市街地循環バスの「京橋めぐりん」と並んで信号待ちをしている「TAMA電車」です。
西大寺町電停に並んだ7901号車と3007号車(くろ)です。この先で、東山線は左にカーブして、江戸時代の旧山陽道を走ることになります。
西大寺町の先のカーブを曲がる7301号車。先ほどの7302号車の兄弟車両です。
山陽道だった道路を東に向かい、京橋を渡り西中島へ、さらに中橋をわたり東中島へ入ります。写真は、旭川にかかる3つめの橋、小橋を渡り東山に向かう3007号車(くろ)です。「くろ」の裏に見えるオレンジ色の橋は新京橋、岡電の撮影スポットとして知られているところです。
撮影スポットからの岡電車両です。背景に烏城といわれる岡山城と岡山県庁、さらに背後に笠井山の姿が見えます。
小橋を渡ると中国銀行小橋支店の前にある小橋電停に着きます。西大寺町電停と小橋電停の間の距離は約600m。岡電の電停間で最長区間になっています。小橋電停には安全地帯が設置されていません。乗客は路上にある緑色のスペースで乗降します。岡電で安全地帯がないのは、次の中納言電停との2カ所だけです。
東山行きの電車は小橋を出ると、次は中納言電停に着きます。小橋電停と中納言電停の間は約100mで、岡電の中で最も電停間の距離が短い区間になっています。中納言電停も安全地帯が設置されていません。線路の左にあるのは、広栄堂武田(手前)と広栄堂本店(右側)です。どちらも岡山名物「安政3年創業 きびだんご」で知られています。旧山陽道は広栄堂本店の角で左折して北に向かっていました。岡電はここを右折します。写真は、岡山駅前に向かう7401号車。昭和59(1984)年、アルナ工機製の車両です。
中納言電停を右折すると新京橋につながる道路と合流します。そこを左折すると、江戸時代の牛窓往来に入ります。現在も岡山市西大寺地区(旧西大寺市)を経て牛窓に向かう県道です。その東山峠の手前に、岡電東山線の終点、東山電停があります。東山電停の左側にあるのが、岡山電気軌道電車事業部の事務所です。
このとき、岡山駅前から戻ってきた電車がホームに入ってきました。7002号車、TAMA電車の兄弟車両です。岡山駅前から15分ぐらいかかりました。
東山電停の先で線路は左右に分かれています。どちらも車庫に入る線路です。
右に向かう線路の先にある車庫。県庁通りの電停で見た7302号車が休憩していました。その奥に、東武鉄道時代のオレンジと淡い緑色の塗装に復元された3005号車が休んでいました。「くろ」の兄弟車両です。
これは左側の車庫にいた車両です。県庁通りで出会った7901号車でした。
東山電停に戻って来た電車はそのまま先に進み、すぐに引き返し、手前の岡山駅前行きのホームに入りました。待っていた乗客を乗せて再度岡山駅前に向けて出発していきました。
7002号車のボディに描かれていた地元TV局の広告です。ワイドショーのキャスターが描かれていました。パッケージ広告は、全国の路面電車の貴重な収入源です。路面電車が街に溶けあった風景なら、広告もまた街の顔になっています。
最後に、岡山電気軌道を代表する花形車両として、”MOMO”と”MOMO2”があります。”MOMO”は公募によって命名され、平成14(2002)年に運行を開始しました。超低床の路面電車です。最近話題の「ななつぼし」など、JR九州の多くの車両の設計をされた、岡山市出身の水戸岡鋭治氏の設計による車両です。水戸岡さんの設計らしく、内部は木をふんだんに使ったデザインで知られています。しかし、”MOMO”は、平成24(2012)年6月、右折する自動車と衝突し、重篤な損傷を負いました。長い修理期間を経て、1年後の平成25(2013)年6月に復帰しました。
写真は柳川交差点で右折している”MOMO2”です。”MOMO”の兄弟車両、”MOMO2”は、平成23(2011)年から運行しています。どちらも新潟鉄工(現新潟トランシス)で製造されました。(2012年6月6日の日記)
路線の総延長4.8kmという日本で最も短い路面電車である岡山電気軌道。その東山線の3.1kmに乗って来ました。5分おきに走る「待たずに乗れる」電車です。日本一の路面電車、広島電鉄のように多くの乗客であふれているという状況ではありませんが、手軽に乗れる市民の足として頑張っていました。