トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

野良時計と土居廓中

2010年09月23日 | 日記
民家の屋根に大きな時計があって、
農作業にいそしむ人たちに時刻を知らせていたと聞いたときから、
ずいぶん時間が経ちました
「野良時計」のある街、「安芸市」を訪ねてからも、たくさんの時間が経ちました

私には、今どうなっているのか、気になることがあるのです 


JR土讃線の後免駅で、土佐くろしお鉄道に乗り換えました
 
JR四国は「あんぱんまん列車」を走らせていますが、
後免駅でも、やなせたかしさんのキャラが迎えてくれました

後免から、タイガースタウンの安芸市民球場を過ぎて、
40分ぐらいで、安芸駅に着きました
土佐くろしお鉄道の駅は、「ぢばさん市場」(地場産市場?)でもありました

ここのレンタサイクルに乗って、
駅から20分ぐらいのところにある、「野良時計」を見に行きました

野菜のビニールハウスが続く中にかかっている、
橋のデザインにも「野良時計」が・・・、
みんな、今も「野良時計」を大事にしているんだと、うれしくなりました 


安芸市は農業がさかんなところで、なつかしい昭和の光景が広がっていました
野良時計のあるお宅も、そんな中にありました
右の写真のお宅の屋根の中央部に、時計塔のてっぺんがほんの少し写っています

ところが、「野良時計」を始めて見たとき、びっくりしてしまいました
なんと、「野良時計」の時間がまったく合っていなかったのです!

農作業をする人を支えていたはずではなかったの?!
野良時計は、もう忘れ去られているの?

地元の人たちも、このお宅の人たちも、
みんなが「野良時計」を大切に思っていると信じ切っていたので
大変ショックでした 

私が訪ねたのは、午後でした 
橋の時計が正確だったかどうか、確認を忘れてしまいましたが、
少なくとも、橋の時計の方がより正確だったことは間違いありません

もう、みんな、この時計をあてにしなくなったのでしょうね?
あてにしなくなっても、せめていつも正確な時間を刻み続けさせてほしかった!!
野良時計のプライドだけは大事にしてほしかった・・・

「時計に魅せられた若者が、独学で外国の時計を勉強し、農作業の人たちに
時刻を教えた」とされる、「野良時計」の由来を見ても、
違った時間のまま放置されていることは、ほんとうに残念なことでした
今はどうなっているのか、ほんとに気になっています


安芸市は、山内家の家臣、五藤氏が治めていたところです
安芸城址の壕と土塁が残っています
また、土居廓中(どいかちゅう)と呼ばれる武家屋敷群や、
それを代表する「野村家」の屋敷が、ほぼ当時のままで残っています

どんなに天候異変があっても、彼岸には必ず咲くといわれる「彼岸花」が
安芸城址に咲いていました



安芸市生まれの作曲家、弘田龍太郎
晩年は、子どものための作品をたくさんつくったといわれています
「鯉のぼり」に「叱られて」など、多くの作品の歌詞と楽譜が
童謡曲碑として、町の中に飾ってありました
変化に富んだデザインで飾られていて、懐かしい気分になりました
せめて、この像だけは、いつまでも大切に残してほしいと思いました



この後、再び、土佐くろしお鉄道の安芸駅に帰りました
ホームにはオープンデッキの電車が入っていました

私は、ここから、土佐くろしお鉄道の「ごめん・なはり線」の終点、
奈半利に向かいました

奈半利でも、駅のキャラが迎えてくれました
ここにも、どっしりとした、白漆喰で塗られた民家が残っていました

奈半利で電車は終わりましたが、
ここからは、さらに、
養老2(718)年にはすでに使われていたという野根山街道が、
野根山の尾根沿いに、東の徳島県東洋町とをつないでいたといわれています