風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

政変

2005年08月09日 | 雑感
小泉さんの夜の記者会見の迫力は少なからぬ国民の心を動かしたでしょうね。
退路を断って改革の是非を国民に問うというのですから、造反者はぐうの音も出ませんでした。
ぐうの音も出ないはずなんですが、そこは造反者、いつまでもテレビの画面でうだうだ言ってましたが。

国民の金融資産の全体の4分の一(350兆)の郵便預金の運用が国民のあずかり知らないところで「政」「官」とその天下り先の
特殊法人・土建屋に好き勝手にされており、その資金を断ち切らなければ、生産性のないダムや道路や箱物が作り続けられる。
その巨額の資金を民間に流すというのが、郵政改革の骨子ですね。

それを反対派たちは、郵便局がなくなるだの、それほど緊急でもないだの、頓珍漢なことをいって世間に煙に巻こうとしていました。
財政の緊縮、有効活用は何よりも緊急事項です。
それが成し遂げられなければ、年金問題も増税問題もめどが立たなくなります。
それをもとより承知のはずの民主党も、政権欲しさに郵政改革法案に反対しました。
一人筋を通したのは、20数年前から郵政改革を叫び続けてきた小泉首相だけです。

この国のリーダーになるというのは大変なことですね。
有象無象、欲の権化に、ねたみや嫉妬。
それに輪をかけてだらしがないのが、メディアと称する記者クラブに守られたこの国のテレビ、新聞。
何一つ正確に事実を報ぜず、必要な分析も提供できず、スキャンダルを捏造してまで欲しがる、態度のでかい犬の有様。

ま、今のこの時期、小泉首相が首相でいてくれてぼくはよかったと心底思います。
少なくとも改革の前途は閉ざされずにすみました。

ぼくは景気がどうのこうのということより、無用なコンクリートでこの国が覆われていくことが我慢ならなかったのです。
日本はあの広大な国土のアメリカの2倍の量のコンクリートを年間使用するそうです。
郵便の資金が民間の運用になれば、そんな気が狂ったような使い方はできなくなりますね。

選挙でどんな結果が出るかは分かりませんが、政治家も国民も郵政の問題から目をそむけ続けるわけにはいかないでしょう。
たった一人でこの国の腐敗に立ち向かった男。
それが小泉首相であると、ぼくは評価しています。

政治家たるもの、改革を志して政界に身をおくのでしょうが、
ここまで正確に状況を把握し、流されず、やるべきことをやり遂げていく力は並大抵ではありません。
政界などは雑音と、足の引っ張り合いだらけであることは容易に想像がつきます。

まぁ、たいしたものです。








mu

2005年08月06日 | 雑感
今朝は滝行。
ちょっと禅関係の本を読んでいたので、「今」になりきる工夫をしてみました。
なかなか意識が散乱しますが、ちょっといい感じでした。
お話にならない境地ですが、方向性がいい感じだと思いました。
以下のサイトに実際に参禅した人たちの体験記がありますが、熱く真剣な求道に涙が出ます。

http://www.geocities.jp/shorinkutu/kyozo/kyozoindex.htm

滝に行ったそのままの格好で店に出ました(短パン、Tシャツ、雪駄)。
クールビズの究極系です。

今日も街はお祭りです。
浴衣姿で、履きなれない下駄で、耳障りな音を立てて若い娘が歩きます。
後れ毛が美しいというような風情はどこにもありません。
無意味にあっけんからんとしたものです。
ぼくは「無」になります。←笑うところ

と、次になにを書こうかと考えていたら、酒宴の誘いがありましたので、今日はこの辺で。






ワクワク

2005年08月05日 | スピリチュアル
最近、スピリチュアルな経験をしている人に会う機会が多いです。
たまたまぼくに多いのか、世の中全体でそういう経験をする人が多くなっているのかよく分かりませんが。
全体的な話の流れは一貫しており、今のままではこの社会がというよりも地球が持たず、
天界が動き始め、メッセージを盛んに送り始めているということです。
そのメッセージをそのまま受け取るか、鼻で笑ってやり過ごすか。
とにかく、ふるいにかけられる時が近づいているということです。

世界の終末だなんだと脅かしとて選択を迫るようなことではありません。
明暗、善悪、清濁合わせてこその世界があるわけですから、
ある決められた道を歩けば是、そうでなければ非ということでもありません。
一人一人が気がつき、気がついたことをそのまま着実に実行に移せばいいかのようです。

気づきは本に書かれているわけではありません。
その人それぞれの人生の中で、それぞれの機縁の中で気づいていくしかなさそうです。
問題は、目が開いているか、耳を澄ましているか、受け取ったサインをそれとして認める素直さがあるか、であるようです。

気づいたことを行動に移し始めた人の人生は、驚くようなダイナミズムとスピードで展開するようです。
偶然の一致が加速します。
すべての出来事が意味を持ち始めます。
身辺はあわただしくなりますが、心は落ち着き、澄んでいきます。
カミのシグナルを受け取り始めます。

一昔前、ニューエイジの本の中で語られていたようなことが、実際に経験する人がぼくの周りにも現れ始めました。
「ワクワク感」というのがそれらの本の中ではキーワードでした。

「ワクワク感」を感じるためには自分の物語の主人公になりきらなければなりません。
自分で道を選択して、自分で歩きだし、いろいろな障害を自分で乗り越えていく。
そういう人生でなければなりません。
そういう人生には思いもかけないところからの後押しが出てくるものです。
天の加護としか言いようのない形で。

こういうことを話す人たちは、自慢めいたところや、エキセントリックなところは微塵もありません。
澄んだ目をこちらに向けながら、あくまでも淡々と話します。

なんか取り残されているような、いないような妙な気がします。
「ワクワク感」は残念ながらぼくには持ち合わせていないことだけは確かなのですが。

話は変わりますが、昨夜スッポンを初めてご馳走になりました。
血も飲みましたし、内臓の刺身も食べました。
元気になるかと思いきや、だるいままです。
眠り病は治ったのですが、今度はだるい病です。
これでも、PCが直ったからまだ間がもてているわけで、これがなかったあいだに、
だるい病が進行した気配があります。
幸い、明日は滝行です。
シャッキッとしてきます。





実行

2005年08月04日 | 雑感
やっとPCが復活しました。
引越しもどうやら落ち着き、新しい部屋にも馴染み始めたところです。
日当たりと風通しがいいのが気に入っています。
入居したてのころは変な夢ばかりを見ていたのですが、それも収まりつつあります。

大通りから引っ込んでいる場所柄、夜になると少々物騒です。
自転車置き場においてあった自転車の鍵が壊され、ご丁寧にもチェーンでタイヤのところをぐるぐる巻きにし、
サドルをはずし、運転できないようにしてありました。
あたりの自転車やバイクも燃やしかけているものとか、ばらばらに解体されているものばかりです。
なんでも、この自転車置き場で何度かボヤ騒ぎがあったそうです。

自転車は部屋の前まで持って上がることにしました。
得体の知れない憎しみを持った人間が世の中をうろついているもんですが、念を送って増幅するといけませんので、
意識から消して安心します。
子供を持った親なら心配なんでしょうが。

なんかの雑誌で読んで書きとめておいたものを紹介します。
どこかの僧侶の言葉だそうです。

「つらいことが多いのは感謝がないから」
「苦しいことが多いのは甘えがあるから」
「悲しいことが多いのは自分のことしか考えないから」
「行き詰まりが多いのは裸になれないから」

そのとおりですね。
感謝があれば生きることが楽しく、己を自ら律すれば物事がスムーズに動き、人のことを考えれば心が豊かになり、
裸になれば道は広々と開ける。

そのとおりと思ったことを、すぐに実行する謙虚さがあるといいんですが。
どうも受身でいけません。
前に前にと自分の足で歩むことをやめたら、そりゃあ、退屈で灰色です。
心を動かすのは決して受動的ではありません。
意志ですね、きっぱりとした。
感謝、自律、利他、素直、どれもがきわめて簡単な言葉なのですが、きっぱりとした意志で実行しないがゆえ、
すっかり難しい境地になりかけています。

言葉遊びをしている余裕もなく、ひたすらすると決め、決めたことはやるだけです。

「ありがとうございます」
「まだまだやります」
「あなたのことが大切です」
「ぼんやりとした阿呆ですが、それでも頑張ります」

ちょっと、言葉で実行してみました。