風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

地震

2005年08月17日 | 雑感
盆は近場をうろうろしただけで過ぎ去りました。
仙台に帰っていたら、地震に巻き込まれていたわけで。

地震のおかげで、テレビで石巻やら女川という懐かしい地名とともに、海辺の風景が移されます。
あのあたりの沖合いは黒潮と親潮がぶつかるところで、たくさんの魚が取れます。
海に潜ると、若布の間にウニやらアワビやらが採れます。
子供のころはよく泳ぎにいきました。
子供ですから、日光浴などをするという発想もなく、暗くなるまでひたすら潜ります。
時々海水を飲んでしまったり、足をつったりするわけですが、楽しくてたまらなかったような気がします。
それでも、今ほど水温が高くなかったので、結構体が冷えました。
寒イボができました。
泳いだあと、僅かなお小遣いで、イカのゲソを醤油で焼いたものを屋台で買って食べるのも楽しみでした。

ある人の話では、9月に大きな地震が来ると言っていました。
それが今回の地震なのか、別物なのかは分かりません。
ただ、この程度の被害ではないような口ぶりでしたから、別物のような気はしています。

地震に関しては対策の取りようがありません。
天に運を任せるしかありません。
死ぬなら死んでもいいという気がします。

神戸の地震の時も、訳あって発生後5日ほどで現地に入りました。
電車は西宮までしか走っておらず、そこから芦屋までリュックと両手に食料とお菓子とを持って歩きました。
道端の古い家は屋根瓦だけを地表に残してべしゃんと潰れています。
車がいないせいでかがらんとした広い国道を、被災者たちが両手に荷物を抱えて行き来しています。
戦災にあったのと同じ状況でしょう。
かなり重い荷物を持っていたのですが、つらいとか疲れたとかという気持ちは起きませんでした。
届け先に何とか早く送り届けたいという一心でした。
緊急時というのは、人の心を意外と強くするものだと思います。
道を行く人たちの表情も、決して明るくはないのですが、力強く淡々としていました。

それから数ヶ月の間に何度も神戸に行きました。
三宮の状況はひどかったです。
建物が半分にぱっかりと割れ、内部が剥き出しになったデパート、ぺしゃんこになった神社、
灯の全く消えた飲み屋街、道の真ん中に横倒しになったテナントビル。
そんな中でも、人々は力強く、淡々と動いていました。
飲み屋街にプレハブで臨時に立てた飲み屋ができ、散乱したゴミが道端から消え、ビルの再建が始まりました。
街に灯りがともり始め、電車が動き出し、道が開通し始めました。

大きな災害にあったときは派手な煽動も、過度な悲しみもいりません。
すべきことを淡々とこなしていく強さだけが必要です。

そういえば、被災して間もない西宮の近くで、一本1000円で焼きもを売っている屋台を見ました。
寒空の下、何日間も暖かいものを口にしていない被災者は食べたかったはずです。
しかし、誰一人買う者はいませんでした。