風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

菩提心

2005年08月10日 | スピリチュアル
昨日私事で相談に来た人が、今日手土産を持ってわざわざ御礼に来てくれました。
ありがたいというよりは、ますますこのままじゃいけない気になります。

言葉はいくらでも言えるのです。
それなりに心も込められます。
でも、それでは埒が明かないと自分で思う心が消えません。

こういえば、こうなるという見当をつけながら物を言います。
あながち見当違いでもないから、聞く人は有難がったり、面白がったりします。
でも、何か空虚な会話のゲームに過ぎない気がしてなりません。

人に物言うぼくの心の底に本物の菩提心がありません。
菩提心とはこういうものであろうという頭で理解した役者の物言いがあるだけです。
菩提心をいくら本物らしく演じたところで、それは本物の菩提心からますます遠ざかる業となります。
演じるのが上手くなればなるほど、業は深まります。
人は、いよいよぼくに演技を求め、ぼくの業はいよいよ深まります。

このサイクルから抜け出さなければなりません。

言葉そのものでの説得よりも、ぼく自身のあり方、行動、物腰すべてが「言葉」になっているようでなくてはだめです。
無論、難しい境地です。
でも、その境地に至らなければ、ぼくのこの苛立ちや後ろめたさは消えません。

ちょっと、動いてみようかと思っています。
身辺に起こるいろいろな機縁に従って、動いてみようと思っています。
あれこれ作為を弄するのはやめてみます。
不安が3割、楽しみが7割といったところです。

なにより、前に向かって動けそうだというのが、すくんで動けなくなっていたぼくにはうれしいです。