今朝の滝は予想通りに水量が多く、集中できました。
やっと雨季らしい滝になってきました。
ところで、滝の導師からここ数日のぼくのブログに対するコメントをいただきましたので、紹介させていただきます。
以下引用
雲消し 雨乞いについて書いていましたが、古の教えは「竜神召喚」でした。そもそも竜神なるお神様は、雲を呼び
雨を連れて現れるとされていました。 現代では、天気図により雨雲もしくは低気圧を引っ張るとされてい
ます。勿論念力を使うことには変わりありません。大きな護摩壇を焚き風を起こし雨雲を引き寄せます。
多人数の修行を積んだ行者さんが必要になります。 簡単ですが
光 例えば、野に咲く花 で考えてみた時、禅宗ではどう捉えますか?浄土真宗では?蜜 経は花が何故咲いて
いるのか、花を咲かせている自然のエネルギーを吾身に取り込む光のエネルギー大地のエネルギー水のエネ
ルギーどれが欠けても花は咲きません。自然界に充満しているエネルギーを吾身に取り込み、加持祈祷に
そのエネルギーを使用することが行者の使命と僕は捕らえています。君も折角ブログを開設したのですから
読んでいる方々に光のエネルギーを注ぎ込んであげてください。それも滝の行者としての使命と思います。
五 感 般若心経に唱えている様に、色も臭いも形も全て存在いていないのです。花屋の店頭を飾る花を美しいと
感じても、人が決して入ることの出来ない谷間にも同じ花は咲くのです。人から美しいと賞賛される為に
花は咲いているのでしょうか?美しい物を求めるのは人の心であり人の心が全てを創りだすだけではない
のでしょうか?森羅万象は人の為に存在しているのではなく、Qちゃんの言葉ではありませんが、
森羅万象そんものが(方言が出ました、あえて訂正しません)神でしょう。
人 自然 全てを神の創造と考えた時君はどう観ますか?人は全てその人の心のフィルターを通してしか
観ていないだけなのです。で あるからにしてギャンブルやビジネスが存在する訳ですが。
引用終わり
雲消し
先日、宮崎かどこかで雨乞いの護摩壇を焚き、見事に雨が降ってきたという記事を何かの新聞で読みました。
気まぐれで雨を降らせるのではなく、神仏の許可と力添えを得て、雨を降らすのですね。
こういった修行を積んで、験力を得た行者さんの数は非常に少なくなって来ていると聞きます。
そもそも、こういった事象自体もナンセンス扱いですし。
すべての事象は光と念との壮大な舞踏劇なのだと思えれば、そう不思議なことではないのですけれども。
光
光のエネルギーを注ぐためにはまだまだ修行が足りない気がします。
要するに、心に濁りがまだまだあります。
他人の幸せを意識で願うことは簡単ですが、無心に純一に祈ることが可能かと聞かれると、まだまだ嘘があります。
存在そのものが他者の幸福のための絶対的な祈りとなるというと大袈裟ですが、そんな存在が菩薩なのだとすれば、
凡夫の濁りと、傲慢さがまだまだ抜けません。
抜けないながらも、祈り続ける、というスタンスを取る以外に今はありません。
そういう自分のスタンスに対しては、もっと素直になろうかなとは思っています。
あらためて、「滝行」が「素直」になるために必要だったのだと思う次第です。
五感
まさに、森羅万象が「カミ」なのでしょう。
「カミ」の世界にづかづか入り込んで、濁ったサングラスをかけた傲慢な馬鹿チンが、
「何だこの世界は。暗くて、つまらねーや」といっているのがこの世の人間の実態かもしれません。
悟った人の話を読んだり聞いたりしますと、その瞬間、世界が至福で爆発したような感じになるのだそうです。
濁ったサングラスを外すと、おそらく光はそのまま光として見えるのでしょう。
濁ったサングラスを通してみると、そんな光もたちまち自分の利害にかかわる範囲での「もの」や「こと」でしかなくなるのですが。
導師の言葉はとてもストレートで、あたふたしながら今こうして書いています。
何か適切に答えようなんて思わず、腹に入れて、黙って滝に入ればいいことなのでしょうが、
こういうあたふたぶりも曝け出すのも「素直行」なのだと思っているわけです。
それから、滝の仲間がいよいよ、山間の小さな村に自閉症児や引きこもりの児童を引き受け、生きる力を取り戻していくという
プロジェクトを始動し始めました。詳しくは以下のブログを読んでみてください。
http://katamich.exblog.jp/3040944/
人の縁が縁を呼んで、導師の理念と、滝の仲間のプロフェッショナリティが結合して、泥臭くも夢のある世界が実現できれば
楽しいなぁとおもいます。
このプロジェクトの関しては、このブログでもおいおい紹介していきます。
やっと雨季らしい滝になってきました。
ところで、滝の導師からここ数日のぼくのブログに対するコメントをいただきましたので、紹介させていただきます。
以下引用
雲消し 雨乞いについて書いていましたが、古の教えは「竜神召喚」でした。そもそも竜神なるお神様は、雲を呼び
雨を連れて現れるとされていました。 現代では、天気図により雨雲もしくは低気圧を引っ張るとされてい
ます。勿論念力を使うことには変わりありません。大きな護摩壇を焚き風を起こし雨雲を引き寄せます。
多人数の修行を積んだ行者さんが必要になります。 簡単ですが
光 例えば、野に咲く花 で考えてみた時、禅宗ではどう捉えますか?浄土真宗では?蜜 経は花が何故咲いて
いるのか、花を咲かせている自然のエネルギーを吾身に取り込む光のエネルギー大地のエネルギー水のエネ
ルギーどれが欠けても花は咲きません。自然界に充満しているエネルギーを吾身に取り込み、加持祈祷に
そのエネルギーを使用することが行者の使命と僕は捕らえています。君も折角ブログを開設したのですから
読んでいる方々に光のエネルギーを注ぎ込んであげてください。それも滝の行者としての使命と思います。
五 感 般若心経に唱えている様に、色も臭いも形も全て存在いていないのです。花屋の店頭を飾る花を美しいと
感じても、人が決して入ることの出来ない谷間にも同じ花は咲くのです。人から美しいと賞賛される為に
花は咲いているのでしょうか?美しい物を求めるのは人の心であり人の心が全てを創りだすだけではない
のでしょうか?森羅万象は人の為に存在しているのではなく、Qちゃんの言葉ではありませんが、
森羅万象そんものが(方言が出ました、あえて訂正しません)神でしょう。
人 自然 全てを神の創造と考えた時君はどう観ますか?人は全てその人の心のフィルターを通してしか
観ていないだけなのです。で あるからにしてギャンブルやビジネスが存在する訳ですが。
引用終わり
雲消し
先日、宮崎かどこかで雨乞いの護摩壇を焚き、見事に雨が降ってきたという記事を何かの新聞で読みました。
気まぐれで雨を降らせるのではなく、神仏の許可と力添えを得て、雨を降らすのですね。
こういった修行を積んで、験力を得た行者さんの数は非常に少なくなって来ていると聞きます。
そもそも、こういった事象自体もナンセンス扱いですし。
すべての事象は光と念との壮大な舞踏劇なのだと思えれば、そう不思議なことではないのですけれども。
光
光のエネルギーを注ぐためにはまだまだ修行が足りない気がします。
要するに、心に濁りがまだまだあります。
他人の幸せを意識で願うことは簡単ですが、無心に純一に祈ることが可能かと聞かれると、まだまだ嘘があります。
存在そのものが他者の幸福のための絶対的な祈りとなるというと大袈裟ですが、そんな存在が菩薩なのだとすれば、
凡夫の濁りと、傲慢さがまだまだ抜けません。
抜けないながらも、祈り続ける、というスタンスを取る以外に今はありません。
そういう自分のスタンスに対しては、もっと素直になろうかなとは思っています。
あらためて、「滝行」が「素直」になるために必要だったのだと思う次第です。
五感
まさに、森羅万象が「カミ」なのでしょう。
「カミ」の世界にづかづか入り込んで、濁ったサングラスをかけた傲慢な馬鹿チンが、
「何だこの世界は。暗くて、つまらねーや」といっているのがこの世の人間の実態かもしれません。
悟った人の話を読んだり聞いたりしますと、その瞬間、世界が至福で爆発したような感じになるのだそうです。
濁ったサングラスを外すと、おそらく光はそのまま光として見えるのでしょう。
濁ったサングラスを通してみると、そんな光もたちまち自分の利害にかかわる範囲での「もの」や「こと」でしかなくなるのですが。
導師の言葉はとてもストレートで、あたふたしながら今こうして書いています。
何か適切に答えようなんて思わず、腹に入れて、黙って滝に入ればいいことなのでしょうが、
こういうあたふたぶりも曝け出すのも「素直行」なのだと思っているわけです。
それから、滝の仲間がいよいよ、山間の小さな村に自閉症児や引きこもりの児童を引き受け、生きる力を取り戻していくという
プロジェクトを始動し始めました。詳しくは以下のブログを読んでみてください。
http://katamich.exblog.jp/3040944/
人の縁が縁を呼んで、導師の理念と、滝の仲間のプロフェッショナリティが結合して、泥臭くも夢のある世界が実現できれば
楽しいなぁとおもいます。
このプロジェクトの関しては、このブログでもおいおい紹介していきます。
>トラックバック
参考にしたブログの記事にトラックバックURLがあるので、それを自分のブログの所定欄に貼り付けて送信すれば一応TB完了です。原則的には「この記事を参考に書きました」という証のはずが、アクセスの多いブログに無意味にTBして、アクセスを稼ごうとする不届き者が多いんですね。
是非書き込みをしてくだされ。
>トラックバック
はっきり言ってどう説明すればいいのかわからないのです。普通はトラックバックURLを自分のブログの所定欄に貼り付けて送信することで一応完了です。基本的にはTB先の記事を参考にして記事を書きましたという表示らしいのですが、最近はアクセスの多いブログに無意味にTBしてくるから困ったものです。
ところで、Qちゃんのブログは会員しかコメント書けないの?
トラックバックっていまだによく使い方が分からないし。
「修行を積んでから」というのは、しないための言い訳ですね。
そのまま、ありのまま注げ続ければいいのですね。
逆に言うと、そのまま、ありのままでない何をお前は注ごうとしていたのかという話になりますもんね。
了解しました。
注ぎ込む事が修行と心得るべきです。
己の思念を善のエネルギーとして維持し続ければ必ず心に変化が生じてきます。
楽しいこと、素敵な文章、愛に溢れた言葉、
どんどん発信してください。期待しています。