風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

想念

2005年07月09日 | スピリチュアル
今朝は寝坊して滝行に行けませんでした。
反省です。

ある本に書いてありました。
光より速いものがある。
それは想念=念だ、と。

何万光年先にある星でも、望遠鏡のレンズにその姿が届くまでには何万年とかかるところ、
想念はその星を念じた瞬間に届きます。

「速さというのは距離を時間で割ったものですね。すると、時間が一瞬、つまりほとんどゼロであるということは、
速さは無限大ということになります」

この時空という3次元的束縛を離れた「念」という世界の理解が深まれば、世界の事象に対する理解が深まると、
この本の著者は言います。

ある女の人が恋人を想います。
その恋人が遠く離れたモンゴルの草原にいたとします。
その想いは空中を波動として伝わるのではなく、一瞬にして彼の姿を心の中に浮かび上がらせます。
今まだの3次元的原理では、想念というものはいかなる物理的現象を起こすことがないと考えられていたために、
恋人を想った時に彼女の胸に浮かんだ彼の姿は幻想でしかないと片付けるでしょう。
でも、彼女の想念の中に浮かんだ彼は、彼女の想念にとっては実在なのです。
言葉を変えれば、想念にとっては、想念がピントを合わせたものだけが実在します。
どんなに人ごみの中にいようが、彼や彼女が恋人のことに想念のピントを合わせていたら、
物理的な周囲の人の群れや、建物や、何やかやは存在しません。

つまり、人にとってはその時々想うことのみが存在しています。
物理学の洗脳を受けて、確固とした存在に囲まれているように思い込んでいますが、
人が想わない限り物は存在しえません。
ビールスという存在をあるとしてから、ビールスは存在するようになったのです。
それまでは、人々の想念のなかには、悪霊だとか、邪気だとかがビールスの代わりに存在していました。

変な話ですが、想念ということから世界を見るとそうなります。
3次元的物理学の世界から見れば、すべては戯言です(笑)

ふと懐かしい人を思い出したときに、その人から電話がかかってくるとか、
戦死した人が、ちょうど亡くなったその時に親しい人の夢枕に立つとか、珍しい話ではありません。
胸騒ぎとか、第六感とか、いかなる物理的媒介を通さない、感応方式があるのかもしれません。




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