風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

京都

2011年07月09日 | 雑感
昨日急遽所用で京都に行ってきました。
赴いた先が京都の北部だったので、どうせならと前から行きたかった下鴨神社に立ち寄りました。
空には夏の雲が流れ、日差しは強烈です。
やはり近畿地方に梅雨明け宣言が出たことを後で知りましたが。

できるだけ公共の乗物と徒歩を活用しようと思い、京都に着いて早速、地下鉄・バス乗り放題の一日乗車券というのを買いました。
目的に地に近い地下鉄の駅を地図で探します。
駅を出てからどの方向に歩いて行けばいいのかを見当を付けます。
でも、地図で見るとわずか数センチに満たない距離ですが、実際は数キロになり、見知らぬ土地の炎天下を歩くと
流石にへろへろになります。
ただ、適当な方向に歩いていますと、思わぬところに思わぬ発見があったりします。
名前の聞いたことのある相国寺の境内に出たり、本能寺で殺された織田信長の墓があるというひっそりした寺(確か阿弥陀寺)があったり、
鴨川の土手で読書をする外人の女の子がいたり、パントマイムの練習をしている真っ黒に日に焼けた青年がいたりします。

ようやく下鴨神社の参道に辿り着きます。
もう汗でぐっしょりです。
境内の森の中に入ると流石に風も涼やかです。

下賀茂神社のWikipediaです。

 賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)は、京都市左京区にある神社である。下鴨神社(しもがもじんじゃ)の通称で知られる。
 式内社、山城国一宮、二十二社の一社で、旧社格は官幣大社。

 賀茂別雷神社(上賀茂神社)とともに古代の賀茂氏の氏神を祀る神社であり、賀茂神社(賀茂社)と総称され、
 両社をもって一社のような扱いをされてきた。賀茂神社両社の祭事である賀茂祭(通称葵祭)で有名である。

 上賀茂神社の祭神である賀茂別雷命の母の玉依姫命と玉依姫命の父の賀茂建角身命を祀ることから「賀茂御祖神社」と呼ばれる。
 八咫烏は賀茂建角身命の化身である。

 付属施設に糺の森(ただすのもり)、みたらし池がある。平成6年(1994年)12月25日に世界文化遺産としてユネスコに登録された。

という神社です。
神社に行ってお参りするときにぼくが感じる指針は「風」です。
まったく周囲の空気がピクリともしないこともあれば、サワサワといった風が吹くこともあり、一陣の風がスーッと通ることもあります。
下鴨神社で感じたのは、サワサワでした。

それから所用先のある陶芸家の先生のお宅に伺いました。
そこで我が禅教団の総裁と合流です。
作品の写真撮影をし、今後のことを打ち合わせて、お宅を辞します。
総裁にせっかくだから大徳寺に寄って帰りますと言いますと、総裁も一緒に行くということになりまして、大徳寺へ。
以下、Wikipedia。

大徳寺(だいとくじ)は、京都府京都市北区紫野大徳寺町にある寺で、臨済宗大徳寺派大本山である。
山号を龍寶山(りゅうほうざん)と称する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は大燈国師宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)で、
正中2年(1325年)に正式に創立されている。

京都でも有数の規模を有する禅宗寺院で、境内には仏殿、法堂(はっとう)をはじめとする中心伽藍のほか、
20か寺を超える塔頭(たっちゅう、本山寺院の境内周辺にある関連寺院)が立ち並び、近世の雰囲気を残している。
大徳寺は歴代多くの名僧を輩出し、茶の湯文化とも縁が深く、日本の文化に多大な影響を与え続けてきた寺院である。
本坊および塔頭寺院には、建造物、庭園、障壁画、茶道具、中国伝来の書画など、多くの文化財を伝えている。

総裁と門前の蕎麦屋で蕎麦を食べ、境内を散策し、塔頭の一つの龍源院の枯山水の前でしばし休憩。
庭からは檜皮葺きの屋根が連なり、青い空に入道雲がわき上がり、松の間を風が吹き渡って、総裁も大いに喜んでいました。
それから総裁をホテルに送り、どうしても心が引かれたので、上鴨神社へ。
地下鉄で行ったのはいいが、電車を降りてからかなり歩きました。
汗だくで辿り着きました。
以下、Wikipedia。

 賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は、京都市北区にある神社である。上賀茂神社(かみがもじんじゃ)の通称で知られる。
 式内社、山城国一宮、二十二社の一社で、旧社格は官幣大社。

 賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに古代の賀茂氏の氏神を祀る神社であり、賀茂神社(賀茂社)と総称される。
 賀茂神社両社の祭事である葵祭で有名である。

 賀茂氏の祖神である賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)を祀る。
 「別雷」は「若雷」の意味で、若々しい力に満ちた雷(神鳴り)の神という意味である。

ということで、同じ鴨神社でも、上と下とではまったく雰囲気の違う神社でした。
円錐形に盛られた砂が二つ並んでいます。
何かのエネルギーの場を象徴しているのでしょう。
境内を豊富な水量の水路が流れています。
なにか強く気持ちが惹かれるのですが、なぜなのかはさっぱり分かりません。
社務所の気持ちのいい青年といろいろ話をしました。
特別参拝をしていましたから、参加したかったのですが、次の予定を思いついて後ろ髪引かれて後にしました。
上賀茂神社前のバス停から、来たバスに適当に乗りました。
どうせ南方面に行くはずですから。
地図で調べますと変なルートをとるバスで、細い道をクネクネ南下します。
二条で降りて、地下鉄に乗り換え太秦に向かいます。

太秦に着く頃は3時過ぎでした。
予定では蚕ノ社を先に行くつもりでしたが、たいていの寺社は4時くらいまでしか開いていないので、先に広隆寺に行きました。
有名な弥勒菩薩半跏思惟像をどうしても見たくなっていました。
なんとか間に合い、対面しました。
今までかなりの仏閣を訪れ、たくさんの仏様の像に接してきましたが、ダントツに一番でした。
薄暗い堂内に、それほど大きくないその像は周囲にほのかな豊かなエネルギーを発散しつつ、座していました。
末法の世にあって、菩薩はさて衆生をどう救おうかと思惟しています。
そのお顔にはかすかなかすかな笑みが浮かんでいます。
なんというか、その笑みに同調することができたような気がして、嬉しくなりました。
広隆寺の仏像はそのどれもがレベルが高く、数十分の滞在がもったいない気がしました。

その帰途に蚕ノ社に寄りました。
以下、Wikipedia。


 木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)は京都市右京区太秦にある神社である。
 式内社で、旧社格は郷社。祈雨の神として信仰を集めている。

 通称木嶋神社(このしまじんじゃ)。また、本殿東側に織物の始祖を祀る蚕養(こかい)神社があることから蚕の社(かいこのやしろ)
 の通称が広く知られている。

ここは古い神社です。
三本鳥居で有名です。
行ってみて分かったのですが、三本鳥居はもともと池(今は枯れていました)の中にあり、その池の脇に禊ぎ場がありました。
普通日本の禊ぎ場は一切の人工物はありませんが、ここは石組みに囲われた禊ぎ場でした。
いろいろな書物で言われていたとおり、ユダヤ形式の禊ぎ場のような気が強くしました。
本殿では特段に感じるものはありませんでしたが、その禊ぎ場当たりからは何か重いものを感じました。

それからまた地下鉄に乗って京都駅で降りました。
京都駅の南側は開けていないので、なんか場末の雰囲気のただよう焼き肉屋を探しましたが、それほど寂れているわけでもなく、
なんだかどうでもいいというような感じでのれんを下げている居酒屋に入りました。
適当に飲んで、適当に食べました。

帰りの新幹線で、湯豆腐を食べていないことが一つだけ残念でした。

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