風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

故郷へ

2014年07月24日 | 雑感
先週末、急遽宮城県に帰郷しました。
仕事がメインでしたが、短時間ながらも被災地の現状を目の当たりにしました。
問題が山積です。
災害を生き延びて、さて、これからどうやって生活を立てていくのか、
集落やら村や町をどうやって存続させていけるのか。
答えなどなく、その地に留まる人たちが愚痴も言わずに黙々とできることを積み重ねています。

ある浜を訪れました。
集落は消失しています。
古い時代から網元だった旧家の方を仮設住宅に尋ねました。
その方は、流された自宅後に海産物の加工場を建設中でした。
その方は前しか向いていませんでした。
どこそこで商談会があると聞けば、躊躇なく出向いているようでした。
ものすごい勢いで、新たな海産物の加工品を開発していました。
サンプルを頂いて食べてみましたが、ちょっと驚くクオリティです。

一方、行政の施工方針を聞いて愕然としました。
何もかもが机上の空論です。
初めから紐付きの予算ありきで、誰の役にも立たないコンクリート事業が開始されようとしています。
これは全国津々浦々お馴染みの光景です。
そういう硬直したシステムを変えるチャンスだったのがこの大震災だったと思うのですが。

でも、現地の人たちは愚痴を言いません。
やれることをとことんやろうとしているだけです。
全国から受けた支援に対して、心から恩返ししようと思っているばかりです。

ぼくも愚痴は言いますまい。
やれることをとことんやるだけです。

それにしても、切ないです。
かつて集落や村や町があったであろうところが、しんと静まり返った無人の荒れ地になっています。
無人になった故に、生活排水が絶たれ、海が今まで見たこともないような綺麗さです。

これだけは言えます。
現地の人々は生き延びるのに精いっぱいです。
それをいいことに行政はコンクリート行政をなし崩しに始めています。
支援が必要なのはこれからです。
働き者が豊かな海で暮らし、豊かになれないような社会システムはもう必要ありません。
その警鐘としての大災害であったのだろうと思うのです。

被災者支援という限定された話ではありません。
被災地の問題から浮かび上がる今の日本の傲慢なシステムへのNOを突きつける段階だと思うのです。

で、やれることは政治運動ではありません。
個々人の力というものを信じて、個々人がやれることをやれば、システムは変わります。
ぼくは改めてやれることをやろうと思っています。







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