風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

良寛さん

2009年07月10日 | スピリチュアル
昨夜は一晩中妙な風が吹き荒れて、今日は一日中ビタビタという感じで雨が降っていました。

さて、ぼくは良寛さんにまつわるエピソードは大概好きです。
酒にまつわるエピソードもたくさんあります。
が、とりわけ一番好きなのは、次のエピソードです。

良寛の甥に馬之助という放蕩息子がいて、良寛の弟の由之は息子の放蕩に困り果てて、兄の良寛に説教を依頼します。
良寛はしぶしぶ故郷の由之の家に出向き、説教するべく馬之助の前に座らせられましたが、良寛は酒を飲んでばかりで
いつまでたっても説教しません。
とうとう三日目の朝「わしはもう帰る」と言って良寛さんは家を出ようとした。
そのとき馬之助の母は馬之助に良寛の草鞋の紐を結んであげるように言いつけた。
馬之助は言われるまま草鞋の紐を結び始める。
それでも良寛は黙ったまま。
と、そのとき馬之助は自分の首に何か落ちてくるのを感じて不意に顔を上げた。
そこには、目にいっぱい涙をためた良寛さんの顔があった。

これで馬之助の放蕩はすっかりやんだということです。
その良寛さんの姿を見てしまった後で、放蕩を続ける神経を持つ人間はなかなかいないでしょう。

良寛さんは、馬之助の苦しさや悲しさやそれを放蕩で紛らわさずをえない苛立ちやらをただじっと見ていました。
煩悩と知りつつも煩悩に引きずり回されるのが凡夫の常です。
人の悲しさはいつでもそこから生まれてきます。
悲しい人間に愚にもつかない説教をくどくど言ったり、とげとげしい小言を言う良寛さんではありませんでした。
馬之助とともにじっと悲しみ続けるだけです。

馬之助の父親の由之や母親はわが息子の表面的な損得やら世間体やらをそりゃ心から心配してたでしょうが、
馬之助の心とじっと一緒にいてあげたのは良寛さんでした。

本当の禅僧の教化というのはこういうものでしょう。
いろいろな本で読みますところ、修業中の禅の師家というのは鬼のように容赦がありません。
大事な一生命たる弟子の一大事を預かる身です。
意味もなく容赦してしまったら、弟子の人生を台無しにしてしまうことになりかねないから、真剣勝負なのです。

そのかわり、修業を離れたときの禅の師家の弟子に対する繊細で行き届いた深切心というのは、
いろいろその類のエピソードを読んできましたが、無条件に涙腺が緩みます。
人が人にとことん真剣に対するというのは、今ではすっかり失われつつある気風です。
今、流行の生き方であろうがなかろうが、良寛さんのような美しい生き方というのは真似できるものならばしたいものです。


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