小泉首相が靖国に参拝しました。
朝、その生中継をテレビで見てました。
賛否はあるのでしょうが、メディアのヒステリックさはどうにかならないものかと思います。
福岡と大阪の高裁で「違憲判決」が出たから参拝がけしからんなどというメディアや野党党首は、
ちょっと偏向が過ぎます。
いずれも、「違憲判決」など出ておりません。
いずれも判決は原告側の全面敗訴で、「違憲だと思われる」という裁判官の単なる私見が、
傍論(何の法的拘束力を持たない)で述べられているだけです。
裁判官の私見、主観に過ぎないものをあたかも「判決」であるかのような物言いで、
一国の憲法解釈をミスリードして憚らない政治的手法は、ぼくは断じて嫌いです。
昔なら情報不足の国民を欺けたのでしょうが、今はネット環境が整い、
そういう姑息なメディア手法は不信を招くだけです。
まぁ、しばらくはミスリードを図ってけしからんけしからんと騒ぐのでしょう。
中国や韓国を巻き込み、ますます国同士の対立感情を煽っていくのでしょう。
中国は町村外相との外相会談をキャンセルしたそうです。
ばかばかしくも、不愉快な話です。
ま、予想通りの展開なわけですが。
策士、策に溺れるという感じのことが、このところ目に付きます。
本人たちにその自覚がなさそうなのが、イタイです。
大体、策士というものは、自分が策士なだけに、他人も策略家に違いないと思い込んでいる節があります。
無邪気な人というのも結構いるんですがね、世の中には(笑)
で、昨日は導師とある感じのいい神社を見に行き(無駄足でした、すみません>導師)、
それから一緒に知人の、鬱に悩む友人という人に会っての相談事でした。
なかなか大変です。
家族との関係というのは、なんというか、誰にとっても大切なことです。
大切なことを、そのまま素直に大切にできないと、いろいろなところに歪が出てきます。
歪は変なところで力を持ち始め、関係者を苦しめ始めます。
他人同士なら縁を切ればそれで終わりなのですが、家族間の悩みというのはなかなか解消する道のりが長いです。
うーん。
苦しみというのは、大抵は無明さから来る幻影なんでしょうが、
苦しんでいる当人にとってみれば、まさにリアルな経験ですからね。
理屈や同情や理解がなんの役に立たない場合もあります。
言葉以上の力を持たない自分が歯がゆくもなりますが、その歯がゆさにじっと耐えてなければなりません。
そういうときに必要なのが、祈りなのでしょう。
そういうときに、一心に祈ることをできたのが、マザー・テレサという人だったのかもしれません。
朝、その生中継をテレビで見てました。
賛否はあるのでしょうが、メディアのヒステリックさはどうにかならないものかと思います。
福岡と大阪の高裁で「違憲判決」が出たから参拝がけしからんなどというメディアや野党党首は、
ちょっと偏向が過ぎます。
いずれも、「違憲判決」など出ておりません。
いずれも判決は原告側の全面敗訴で、「違憲だと思われる」という裁判官の単なる私見が、
傍論(何の法的拘束力を持たない)で述べられているだけです。
裁判官の私見、主観に過ぎないものをあたかも「判決」であるかのような物言いで、
一国の憲法解釈をミスリードして憚らない政治的手法は、ぼくは断じて嫌いです。
昔なら情報不足の国民を欺けたのでしょうが、今はネット環境が整い、
そういう姑息なメディア手法は不信を招くだけです。
まぁ、しばらくはミスリードを図ってけしからんけしからんと騒ぐのでしょう。
中国や韓国を巻き込み、ますます国同士の対立感情を煽っていくのでしょう。
中国は町村外相との外相会談をキャンセルしたそうです。
ばかばかしくも、不愉快な話です。
ま、予想通りの展開なわけですが。
策士、策に溺れるという感じのことが、このところ目に付きます。
本人たちにその自覚がなさそうなのが、イタイです。
大体、策士というものは、自分が策士なだけに、他人も策略家に違いないと思い込んでいる節があります。
無邪気な人というのも結構いるんですがね、世の中には(笑)
で、昨日は導師とある感じのいい神社を見に行き(無駄足でした、すみません>導師)、
それから一緒に知人の、鬱に悩む友人という人に会っての相談事でした。
なかなか大変です。
家族との関係というのは、なんというか、誰にとっても大切なことです。
大切なことを、そのまま素直に大切にできないと、いろいろなところに歪が出てきます。
歪は変なところで力を持ち始め、関係者を苦しめ始めます。
他人同士なら縁を切ればそれで終わりなのですが、家族間の悩みというのはなかなか解消する道のりが長いです。
うーん。
苦しみというのは、大抵は無明さから来る幻影なんでしょうが、
苦しんでいる当人にとってみれば、まさにリアルな経験ですからね。
理屈や同情や理解がなんの役に立たない場合もあります。
言葉以上の力を持たない自分が歯がゆくもなりますが、その歯がゆさにじっと耐えてなければなりません。
そういうときに必要なのが、祈りなのでしょう。
そういうときに、一心に祈ることをできたのが、マザー・テレサという人だったのかもしれません。
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