風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

初めてのアメリカ

2016年06月05日 | 雑感
初めてアメリカ旅行に行ったのは1985年だったと思います。
お金ができたらとか、時間ができたらとかを待っていたのではいつまでも行けないと思い、
2月分の肉体労働のバイト代で往復航空券とバス周遊券を買い、えいやと飛行機に乗りました。

ロサンゼルスについて、飛行機で知り合った日本人の若者と同じモーテルに宿を取ったのですが、
その夜突然目が見えなくなりました、
コンタクトを外したらまったく何も見えなくなってしまいました。
その若者に救急車を呼んでもらいました。
何が何だかわかりませんでしたが、もうてっきり失明したと思いました。
コンタクトと一緒に角膜も剥がれてしまったのだろうと思いました。

もう絶望的な気分で救急車にのせられ、どこかの病院まで連れていかれました。
救急車の甲高い音を聞きながら憧れのアメリカに着いた初日に失明してしまうなんて、
なんてことだと一人嘆いていました。
病院につき、タンカから台車に乗せられ、診療室に運び込まれたのだと思います。

看護婦さんたちが何やら言ってます。
指で瞼を無理やりこじ開けられました。
やはり何も見えません。
ああ、やっぱり失明したとはかない希望も消え失せました。
身寄りも金もない日本人がいきなりアメリカで失明したら、一体その先どうなるんだろうと考えていました。

医者らしき男性の声がしました。
看護婦さんが何かのクスリを瞼をこじ開けてぼくの瞳に垂らしました。
診療室の天井の明るい照明がはっきりと見えました。
オーマイガッ!
失明していませんでした。

どうやら日本から飛行機に乗ってずっとコンタクトをしっぱなしでしたから、角膜がボロボロに傷付いていたのだそうです。
瞳に垂らした薬は、麻酔薬の一種だったみたいです。
朝まで待って、退院です。
目が明いたから病院名まで分かりました。
忘れもしません、ビバリーヒルズ・メディカルセンターです。

朝一番で前夜のモーテルに帰りました。
何で帰ったのかは全く覚えていません。
バスで帰ったような気がします。

同室の青年には、いきなり僕のために救急車を呼ぶはめになり、心配をかけることになりました。
宿を出て、バスディーポまで一緒に行き、彼は東に、ぼくは北に向かいました。
たまたま同室になった日本人の若者とはそれ以来会っていません。
彼は彼で一種異様な思い出としてこの件を覚えているのかもしれません。

その後3か月ほどアメリカ中をうろうろしました。
気が向いたら続きを書きます。





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