風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

魂の色

2009年02月15日 | 雑感
自分の子供のころの記憶を辿っても、娘を見ていても思うのですが、
誕生して人間界に放り込まれて、親や周囲の感化で会話や作法や感情の表し方を一つ一つ覚えていくというよりも、
もともと持って生まれた魂に、それぞれの環境で育つ過程でその環境なりの流儀を刻み込んでいくという感じのほうが
しっくりするような気がしています。

氏より育ちとか、血は争えないとか、素質と環境と関係に関して全く逆の見解を表す諺があるように、
素質と環境、どちらも人の人格形成に大いに影響を与えるのでしょうが、
その大元に持って生まれた魂というものを考慮に入れると、より分かりやすくなるかなぁと思ったりします。

持って生まれた魂の色合いとでも言うのでしょうか。
知性やら経験で培われる技能というのは後天的に増幅可能でしょうが、魂の色合い、微妙な感性みたいなものは、
先天的なものの方が強い気がします。

娘などを見ていても、ぼくら親の真似をして学習したというよりも、誰に学んだのか検討もつかないような
独自的な表現の方が遥かに多いです。

で、一人一人のその魂の色合いみたいなものを見てあげる余裕が今の世の中にはあまりにもないのかもしれません。
学歴と表面的な容貌・所作で一生の就職を決められるというのは、あまりにも窮屈な仕組みです。
知性の評価というのは、基本的には記憶力と分析力の評価ということになるのでしょうが、
感受性やら洞察力やらユーモアとかいう大切な人間性はなかなか評価の対象にはなりません。

人間が人間を評価するというのは、とても難しい話です。
わが子でさえ理解するのは難しいことなのだと思います。
なんだかわけが分からないうちにダメな子だと評価された子供は未来に希望をもつことが困難になるでしょう。
勉強だけで評価されてしまった人間は、その逆に傲慢になるかもしれません。

それでも現実には、人は自分の付き合う人間を評価し、選択せざるを得ないところがあります。
他人を評価し、選択するということは、自分も評価され、選択されるということです。
低い評価をされ、選択されなかった人間の魂はひたすら深い傷を負うことになるでしょう。

正規に就職できなかった人間は、負け組みと呼ばれ、フリーターやらニートといった社会の低層に沈められます。
選択肢の幅が狭すぎるのです。
就職など、ある程度の社会経験を送った後に、自ら湧きあがる意欲を持って会社なり社会なりに貢献した方かいいです。
それを大学途中から皆一様に同じスーツを着て就職活動して、勝ち組、負け組みを決めるなんていうのは馬鹿げています。
卒業後就職したい人がいてももちろんいいのです。
どの分野が自分に向いているのかよく分からない人間がいて、色々猶予したい人もいていいのだと思います。

ぼくは30過ぎまで具体的になにをしたいとか、何が出来るなんて事は皆目分かりませんでした。
いまになって、こんな感じでいいのかもしれないとぼんやり思う程度です。

学問を評価の対象にすると、学問の底が浅くもなります。
学問は学ぶ喜びとして教えるべきだと思います。
漢字を覚えるのも、数式を解くのも、歴史の群像を知るのも、喜びです。
大いに喜び学んだ人間の結果としての点数評価はその価値が大いにありますが、
点数の低い人間への人間としての低評価を避けなければなりません。
学ぶ喜びを知らないだけなのです。
本を読むことが苦手なのかもしれません。
誰しも何かしらの得意分野があるものです。
得意分野を伸ばすと、自然とその他の分野にも興味が湧くものです。

実社会でも売上げやら給与やらで数値で評価されます。
学校も点数で評価するのは仕方がないことではあります。
ただ、その数値では決して捉えられない魂の色合いというものを、すべての人が一人一人持っているのだという視点を
忘れなければいいのですが。

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
いろんな色 (りのすK)
2009-02-18 23:08:18
皆基本となる色を持っていると思いますが、日々刻々変化する要素も持っているのだと思います。

自分はどんな色を持っているのか、
どんな色を持ちたいのか、

せめて心地良い色を持てたら良いですね。
返信する
りのすkさん (torut21)
2009-02-23 22:12:26
本来は誰もが透明無色なんだとは思います。
色んなものを背負って、味わい深い色彩を帯びて生まれてくるのでしょう。

どんな色でも心地よく感じられたら、本当にいいですね。
返信する

コメントを投稿