風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

2009年02月13日 | 雑感
朝方、風のうなり声で目が覚めました。
妙に生ぬるい風がビュンビュン吹いていました。
なんでも春一番だそうです。
二月の半ばに春一番って、聞いたことがないような気がします。

新聞では連日政治家や行政や企業の不祥事が報じられています。
バレればまずいと知りながら、平気でアクドイことをする人間がこれだけいるということです。
人間の尊厳やプライドといったものは何の価値もないということを世の中の若い世代にこれでもかと教えてくれています。
たいした大人たちです。

日本から恥という文化概念を抜き取ったら、おそらくたいしたものは残らないだろうとぼくは思っています。
法律に触れるからとか損するからではなく、天に恥ずかしいことはしないという世界に冠たる文化です。
多少の無茶や悪さは多めに許容するが、本当に恥しらずなことはしないというプライドです。

道徳教育さえ価値観の押し付けだといって排斥される時代の当然の結果でもあります。
教育というのは価値体系の伝授以外にありえるのでしょうか。
価値体系そのもはいろいろな側面から多様であってしかるべきですが、価値体系を教えることを否定されたら、
教育の現場で教えることのできることっていうのは何が残るのでしょうか。

共産主義の考え方を教えるのもいいし、神道の考え方を教えるのもいいし、イスラム教を教えるのもいい。
その価値観の多様性の中から、自ら生きる上での精神的支柱を探り当てていくのが学問でしょう。
道徳というのは、その多様性をどう生かすかという心の基本姿勢の涵養です。
心の姿勢ができていない人間に多様性ばかりを与えたら、デタラメになるだけです。
なにをどうしようが、どう考えようが、それを肯定も否定もできないカオスになります。
で、まさに昨今の状況はカオスの様相を呈してきました。

こういう状況に対して苦々しく思っている人のほうが多いのだとは思います。
でも、メディアはさも正義を主張するかのような顔を装いながら、カオスを助長としているとしか思えません。

これだけ不祥事が多いにもかかわらず、当事者たちが厳しく処断されないというのも、近頃の風潮です。
恥という概念が見事に踏み潰されています。

昔の方が良かったという風には思いません。
でも、これだけ学ぶ機会が与えられているのに、成長どころか退歩する無様な爺どもはさっさと散れ、と思います。

穏やかな笑みを湛えた立派な爺様がたくさんいる国になって欲しいです。



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