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うちのすぐ近所にガソリンスタンドがあります。
朝の6時半くらいになると、元気のいい男の声で「・・・オー」とか「・・・アー」とか聞こえてきます。
何を言っているのかは不明ですが、挨拶やらお礼やらなのでしょう。
窓を閉めていても聞こえてくるのですから、腹の底から声を出しているのでしょう。
別に不愉快だとかうるさいだとかではありません。
元気がいいなぁ、気持ちがいいなぁといつも思います。
先日、車で出かけるついでに、どんな人なのかガソリンスタンドを観察してみました。
あの同じ声が聞こえます。
思わずにやりとしてしまいます。
中肉中背のメガネをかけた普通の中年の男の人でした。
あんなに毎日気持ちよく仕事をしたら、ストレスも溜まらないだろうなと思います。
大声を出しながら、丹田も鍛えているので、病気にもかからないだろうなと思います。
他にも従業員がいるのですが、彼の声だけが聞こえてくるので、社命で大声を出しているのではないと思います。
自発的の、自らの快感原則に素直に従って、大声を出しているのだと思います。
前にもちょっと書きましたが、この辺りは、あまり治安のいいところではありません。
どうしようもなく荒んだ少年少女もよく見かけます。
彼ら彼女らも、この男性の丹田を震わせた大声を聞いているのかと思うとうれしくなります。
うるせーなー、クソ親父とか思っているのでしょうが。
不思議なことに、どんな職場や地域や環境に行っても、こういう人を元気付けるというか、
ほのぼのさせれくれる人というのがいます。
反対に、どんなところに行っても、人を不愉快にさせずにはおかない人というのもいるのですが。
どちらに同調するかは、こちらの心持しだいです。
で、その環境、環境で、なんというか善悪、美醜、明暗のバランスが取れているものです。
ある地域に行けば、善人だらけ、ある地域に行けば悪党だらけ、ということはまずありません。
評判のいい地域に行っても、意地悪な人もいるし、小ズルイ人もいます。
評判の悪い地域に行っても、親切な人もいるし、おおらかな人もいます。
学校でもそうです。
どこへ行っても、虐められる子がいて、虐める子がいます。
度量の大きい先生もいれば、人格障害者みたいな先生もいます。
職場もそうです。
有能な上司がいて、無能な上司がいます。
見込みのある部下がいて、どうしようもない部下がいます。
どこへ行っても、学ぶことはみな同じということです。
そういう意味で、受験や就職という進路選びに過度に神経質になるのは感心しません。
「お受験」などということになると、親の子供に対する自信のなさのほうが心配になります。
幼児のうちなど、母親が夢のある物語でも聞かせてあげたほうが、余程幼児の想像力や感受性が高まると思うのですが。
世の中捨てたものではないというのは、そういう意味では本当にそうです。
どこへ自分が行こうが、そこで吸収すべきものをし、反面教師とすべきものを知り、そうしながら自分の道が見えてきます。
アメリカやヨーロッパに留学すれば、人格陶冶が進んで、度量が広くなるかといえば、決してそんなことはありません。
外的条件次第で、人間が進歩すると思うのは幻想です。
どこからでも、どこにでも道は繋がっています。
外的条件にこだわればこだわるほど、進める道幅が狭苦しくなります。
狭苦しい道を通り抜けた人は、エリートと呼ばれ、賞賛されますが、まぁ、それはそれです。
エリートと呼ばれる人たちが組織する会社・官庁でも、やっぱり無能な上司がいて、あがき・もがきがあるのです。
えらそうなことを言いますが、ほんと、そう思います。
できれば、それぞれの環境で、ガソリンスタンドの彼みたいに、腹の底から声を出して働くような、
そんな人生を送れれば、なにも言うことがありません。
かな(笑)
朝の6時半くらいになると、元気のいい男の声で「・・・オー」とか「・・・アー」とか聞こえてきます。
何を言っているのかは不明ですが、挨拶やらお礼やらなのでしょう。
窓を閉めていても聞こえてくるのですから、腹の底から声を出しているのでしょう。
別に不愉快だとかうるさいだとかではありません。
元気がいいなぁ、気持ちがいいなぁといつも思います。
先日、車で出かけるついでに、どんな人なのかガソリンスタンドを観察してみました。
あの同じ声が聞こえます。
思わずにやりとしてしまいます。
中肉中背のメガネをかけた普通の中年の男の人でした。
あんなに毎日気持ちよく仕事をしたら、ストレスも溜まらないだろうなと思います。
大声を出しながら、丹田も鍛えているので、病気にもかからないだろうなと思います。
他にも従業員がいるのですが、彼の声だけが聞こえてくるので、社命で大声を出しているのではないと思います。
自発的の、自らの快感原則に素直に従って、大声を出しているのだと思います。
前にもちょっと書きましたが、この辺りは、あまり治安のいいところではありません。
どうしようもなく荒んだ少年少女もよく見かけます。
彼ら彼女らも、この男性の丹田を震わせた大声を聞いているのかと思うとうれしくなります。
うるせーなー、クソ親父とか思っているのでしょうが。
不思議なことに、どんな職場や地域や環境に行っても、こういう人を元気付けるというか、
ほのぼのさせれくれる人というのがいます。
反対に、どんなところに行っても、人を不愉快にさせずにはおかない人というのもいるのですが。
どちらに同調するかは、こちらの心持しだいです。
で、その環境、環境で、なんというか善悪、美醜、明暗のバランスが取れているものです。
ある地域に行けば、善人だらけ、ある地域に行けば悪党だらけ、ということはまずありません。
評判のいい地域に行っても、意地悪な人もいるし、小ズルイ人もいます。
評判の悪い地域に行っても、親切な人もいるし、おおらかな人もいます。
学校でもそうです。
どこへ行っても、虐められる子がいて、虐める子がいます。
度量の大きい先生もいれば、人格障害者みたいな先生もいます。
職場もそうです。
有能な上司がいて、無能な上司がいます。
見込みのある部下がいて、どうしようもない部下がいます。
どこへ行っても、学ぶことはみな同じということです。
そういう意味で、受験や就職という進路選びに過度に神経質になるのは感心しません。
「お受験」などということになると、親の子供に対する自信のなさのほうが心配になります。
幼児のうちなど、母親が夢のある物語でも聞かせてあげたほうが、余程幼児の想像力や感受性が高まると思うのですが。
世の中捨てたものではないというのは、そういう意味では本当にそうです。
どこへ自分が行こうが、そこで吸収すべきものをし、反面教師とすべきものを知り、そうしながら自分の道が見えてきます。
アメリカやヨーロッパに留学すれば、人格陶冶が進んで、度量が広くなるかといえば、決してそんなことはありません。
外的条件次第で、人間が進歩すると思うのは幻想です。
どこからでも、どこにでも道は繋がっています。
外的条件にこだわればこだわるほど、進める道幅が狭苦しくなります。
狭苦しい道を通り抜けた人は、エリートと呼ばれ、賞賛されますが、まぁ、それはそれです。
エリートと呼ばれる人たちが組織する会社・官庁でも、やっぱり無能な上司がいて、あがき・もがきがあるのです。
えらそうなことを言いますが、ほんと、そう思います。
できれば、それぞれの環境で、ガソリンスタンドの彼みたいに、腹の底から声を出して働くような、
そんな人生を送れれば、なにも言うことがありません。
かな(笑)
たまに入ったお店で店員さんが二ッコリともしてくれなかったりすると、どうして来たのだろう?と後悔してしまいますよね。店員さんだって大きな声で「いらっしゃ~い!」と言えない気分の時もあるでしょうが・・。
もっと言えば「この人どうかしたのかな?」ってこちらが気を遣ってしまうような場合もありますよ。
わたしも、相手に会った事を後悔されないようなにこにこバァさんでいるようにしましょう。
ドキッ
時々不機嫌でいてゴメンナサイ。
ブッラクホールみたくなっていてゴメンナサイ。