風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

占い

2010年06月29日 | 雑感
今日も梅雨空です。
時折、雨が落ちてきます。

今日のラジオのゲストは、占い師さんでした。
明るくかわいらしい人でしたが、どうも今ひとつ気が乗りません。
占いというのは、その人の持っている気質や特性や運命的な時節時節を知るには、とても有効なものだとぼくも思います。
でも、生きるという一人ひとりにとっての大イベントの最終目的をきちんと視野に入れていない占いは、?だと思っています。
お金や異性や成功といった功利的な問題に答えを出すような占いというのは好きではありません。
そんなのは正面からとことん苦しんでこそ、問題としての価値があるというものです。
今日の占い師さんは、できるだけお客さんの話を聞き、相談に乗ってあげ、そっと背中を押してあげて、
お客さんによりよい人生を歩んでくれるようという思いが主体でしたので、何とか話にはなったかと思います。

占い師も、なによりもその人の資質が問われるのは言うまでもありません。
やたらと改名を勧める人もいますし、方角に凝る人もいますし、人の運命を断定的に決め付ける人もいます。
一番大切なことは、その占いをする人が、人が生きるということに対してどれだけの見識を持ちえているかが問われるわけです。
どうしたら金持ちになれますかという問いに対して、どんな答えを提示できるのか。
素敵な彼氏が欲しいんですがという問いに対して、どんなアドヴァイスができるのか。
こうこうすれば、金持ちになったり、素敵な彼氏が現れるといった指南をすることがよいことなのか。
金持ちになりたいという欲望こそがあなたを苦しめているものだと指摘し、素敵な彼氏を得るためには、
まずあなたが素敵になりなさいと諭すことがよいことなのか。

占いと付き合うためには、ある意味での賢明さがいるんだと思います。
自分の隠れた傾向やら、自分では気がつかない長所や欠点に気づいたりするには、とても面白く有効なツールだと思います。
恐ろしいほど的確な占いがあるんだということもぼくは経験しています。

でも、やはり何よりも大切なのは、気づいた後、自分がなにをするかです。
その点では、今日のゲストの方も「常連になって相談していくうちに、いずれ超えて占いを卒業して欲しい」という言葉で、
共通でした。
ひとというのは、救いを誰かや何かに求めたら、救いがたくなります。
自分で自分を救う以外におそらく生きるという苦悩から超越する方法はありません。
超越というのは、問題から逃げたときには決して起こりえない状況です。
問題に馬鹿正直にぶち当たって、それでもぶち当たり続ける覚悟と勇気が生み出す状況だと思います。

それが、今度のWCの日本のサッカーチームのような気がします。
ということで、思い出しましたので、とっとと帰ってサッカーの試合を見ます。




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2 コメント

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wakiwaki さんへ (torut21)
2010-06-30 21:43:29
勝てなかったけれど、負けはしませんでしたね。
PKはじゃんけんみたいなものですから。
でも、日本の形がようやく見出せたWCだったと思います。
チーム・ワーク。
選手の誰もが口にした言葉でした。
どの国の人も恐れるのが、日本人のどこから来るのか分からないチーム・ワークです。

簡単です。
「和をもって尊し」とする聖徳太子以来です(笑)
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いい試合でした (wakiwaki)
2010-06-30 02:31:54
・・あれで勝てたら文句ないんですが。
しかしいい試合でしたね。
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