風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

情熱家

2005年06月02日 | スピリチュアル
だんだん蒸し暑くなってきました。
クーラーではまだ寒いという人もいるため、店の入っているビルはクーラーではなく送風です。
狭い店の中はハロゲンライトに暖められた空気が、送風の風でかき回されています。

世の中には情熱家と呼ばれる人々がいます。
具体的なものであれ、抽象的なものであれ、対象に向かって一心に向かっていく人々です。
芸術家なんかは、情熱家でなければ、作品が形になるまでとても辛抱が続かないと思います。
こういう人たちにとっては、この世は大いなる晴れ舞台です。
思い切り自分の役を演じきるだけです。
演じきるための困難をものともしません。

一方、あの世の「本当のこと」に情熱を傾ける人々もいます。
この人たちは、この世の情熱家たちとは違って、この世に深く悩み、絶望したからこそ、
あの世の「本当のこと」を追い求めるようになりました。
彼らは影のような「本当のこと」を求め、時には身を削り、時には瞑想し、時には山に籠ります。

上記二種類の情熱家の、情熱を向ける方向は全く逆方向です。
逆方向なのですが、その方向性を極めたところで、二者のあり方は一致するように思われます。
前者はこの世の自分の行いを通じて、あの世の「本当のこと」を感受し、後者は「本当のこと」に行き着いたとき、
この世の尊さを再認識します。
二者とも、あの世もこの世も一体不二であることを、深い感慨を持って知るにいたります。

そして、情熱家には程遠いぼくがいます。
無駄な考えや思いにがんじがらめになっています。
無心に何かを追い求めることが出来ません。

道元禅師は、何かのために座るのではなく、座るそのことのみのために座るみたいなことを言っています。
「何かのため」という功利臭さが残る行為は、無心を妨げ、情熱を妨げます。

子供の頃から、「何かのため」になるかならないかで価値判断を強いられてきた習性は、
なかなか断ち切れません。
ここに「在る」ことそれ自体が恩恵であり、祝福なのだと、全身で受け止められる日が来ればいいのですが。




最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
情熱家 (かなりや)
2005-06-03 17:20:03


 少し考えましたが思いつくままのコメントです。

 はたから見れば大まかに「情熱家」に見えていても、ご当人はそれなりにあなたと同じように悩んだり苦しんだりしていて、絶えず納得した人生を歩んでいるひとなどいないと思いますよ。それぞれ、短期間何かに向かって情熱を燃やす事は多くあっても・・・。

文才がないのでうまく言えません。

無視して下さい。
返信する
そうですね、 (torut21)
2005-06-06 15:30:04
それぞれの人たちが、それぞれの人生のサイクルの中で、それぞれの機縁に応じて、情熱を燃やしたり、情熱を失ったりというのが実相でしょうね。少し類型化しすぎました。

脚のお具合はどうですか?

返信する

コメントを投稿