今日はお客さんを連れてネネさんの知り合いのヒーラーの方に伺いました。
もう、テレビで有名なEさん並の力のある方で・・・。
テレビに出たら一躍有名になるでしょう。
若くて美人だし。
もちろん、いろいろなヒントをいただきました。
予想通り、肝臓がだれているそうです。
これからの指針としては、目の前に起こることを己の鏡とし、より高い視点から対処すること。
前世からの癖で、己の信念から判断してしまうことが多いため、いらぬ誤解やら摩擦を生んでいるとのこと。
どうやら、「判断」を手放すことを、どうしても学ばなければいけないみたいです。
その「判断」を生かす生き方は過去世でさんざんしてきたので、今生はより大きな視点から人間関係を学ぶ必要があるということなのだと思います。
目の前に起こることに感謝することができるようになれば、現実がよりスムーズに流れ始めるということでした。
無駄なアドバイスがなく、ぼくが最も気になっていることを、問う前からズバズバ指摘されるので、心地いいくらいでした。
一緒に行ったお客さんも、今の生き方を改めて肯定していい視点を与えられたので、満足げでした。
自分の前世というのは、興味がないことはないのですが、それよりも今生での使命というほうが興味があります。
前世のあり方を知ることによって、今生の使命というのがより明らかになっていくと言うか。
で、今生の使命が明らかになったかと言えば、それはぼく次第です。
酒飲んで、管を巻いていながら、使命などというのは負えるものではありません。
負うなら、負うという覚悟がいります。
ぼくにはその覚悟が欠けています。
ほっといて覚悟ができるはずもありません。
そろそろ潮時です。
ぼくは、出会う人やら出来事にはかなり恵まれている方だと思っています。
でも、感謝が足りません。
出会う人やら出来事を「判断」すると、感謝はできにくくなります。
「判断」は自分の視点からものを見るときに生まれます。
では、自分以外の視点とは?
その視点を受け入れることなんだと思います。
勇気と覚悟がいりますね、やっぱり。
でも、そのように事態が動いていく、背中を後押ししてくれているということは認めざるをえません。
こういう出来事全体を受け入れ、感謝すること。
心の癖を直すというのは、誰にとっても難しいものですね。
もう、テレビで有名なEさん並の力のある方で・・・。
テレビに出たら一躍有名になるでしょう。
若くて美人だし。
もちろん、いろいろなヒントをいただきました。
予想通り、肝臓がだれているそうです。
これからの指針としては、目の前に起こることを己の鏡とし、より高い視点から対処すること。
前世からの癖で、己の信念から判断してしまうことが多いため、いらぬ誤解やら摩擦を生んでいるとのこと。
どうやら、「判断」を手放すことを、どうしても学ばなければいけないみたいです。
その「判断」を生かす生き方は過去世でさんざんしてきたので、今生はより大きな視点から人間関係を学ぶ必要があるということなのだと思います。
目の前に起こることに感謝することができるようになれば、現実がよりスムーズに流れ始めるということでした。
無駄なアドバイスがなく、ぼくが最も気になっていることを、問う前からズバズバ指摘されるので、心地いいくらいでした。
一緒に行ったお客さんも、今の生き方を改めて肯定していい視点を与えられたので、満足げでした。
自分の前世というのは、興味がないことはないのですが、それよりも今生での使命というほうが興味があります。
前世のあり方を知ることによって、今生の使命というのがより明らかになっていくと言うか。
で、今生の使命が明らかになったかと言えば、それはぼく次第です。
酒飲んで、管を巻いていながら、使命などというのは負えるものではありません。
負うなら、負うという覚悟がいります。
ぼくにはその覚悟が欠けています。
ほっといて覚悟ができるはずもありません。
そろそろ潮時です。
ぼくは、出会う人やら出来事にはかなり恵まれている方だと思っています。
でも、感謝が足りません。
出会う人やら出来事を「判断」すると、感謝はできにくくなります。
「判断」は自分の視点からものを見るときに生まれます。
では、自分以外の視点とは?
その視点を受け入れることなんだと思います。
勇気と覚悟がいりますね、やっぱり。
でも、そのように事態が動いていく、背中を後押ししてくれているということは認めざるをえません。
こういう出来事全体を受け入れ、感謝すること。
心の癖を直すというのは、誰にとっても難しいものですね。
前世に興味を持って、探っていたことがあります。
探って知ったからといって
そのように今世でできるかどうかは
ほんとに、私次第だと思います。
私は、ある方に私の使命を尋ねたことがあります。
すると・・・
「使命というのは『命を使う』ということです。
あなたに、もし、前世が僧侶であったとして
それを今から出家してそのように生きることができますか?
むやみやたらに「使命」を尋ねるものではない。」
と、叱られてしまいました。
私は、あらゆる人との出会いに感謝することはできるようになりましたが、
「思い切る」という覚悟が足りません。
足りないところを埋める修行が必要なようです。
来月、淡路島へおいでになるとの事
できましたら、
スケジュールなど、お知らせ願えないでしょうか?
スケジュールなんて、公開できませんよね
ははっ調子に乗ってすみません
どういう日程なのかは、ぼくも詳しく知りません(笑)
「思い切る」というのは、ホント難しいと思います。
何か一つの思いに掛けるということは、他の思いを切り捨てるということでもありますから。
思いのままに生きていたら、それが使命だったなんてことはないですかね、ないですね(笑)