風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

2007年02月27日 | 雑感
今朝はストーブも要りませんでした。
春ももうすぐです。

穏やかな大気の中に何かを感じれればいいのですが、その余裕があるでしょうか。
心を空っぽにすると言いますが、いつも心の中にはなにが詰まっているのでしょうか。
心配、不安、疑い、恐れ、迷い、妬み、全ては我欲、我執が創り出した幻だとある人は言います。
幻に振り回されずに、ぽかんとした気持ちで春の大気のなかに何かを感じることができる日が来るのでしょうか。

子供のころ時間がたつのを忘れるほど空を流れる雲を眺めていましたが、
その時の心にはなにが宿っていたのでしょうか。
楽しいという感情も自覚もなしに、ただ雲を眺めていたいから、雲を眺めている。

今なら、雲を眺めている自分の心理を探り、そんな姿を人にどう見られているかを気にし、そうしているうちに雲のことなど忘れてしまい、
照れ笑いをしてその場を去るのがオチです。
計算高く、不自由で、こそこそしています。
どの瞬間も、「自分」が顔を出します。
「自分」がどう思うのか、どう思われるのか、どうすべきなのか。
雲をみたいから見るが、いつのまにか雲を見る自分についての考察にすりかわっています。
まるで神経症にかかっているみたいです。

ぽかーんとしたいことをするというのが、こんなに難しくなってしまっています。

旅行に行っても落ち着かないという人がよくいます。
ぽかーんとできなければ、知らない土地にいったらなおさら神経を使うのでしょう。

どんな小さな行為をするのでも顔を出さずにはいられない「自分」というもの。
子供のころになにをするのでも夢中になることができた経験から言えば、その「自分」は後々の教育、経験で作られたものです。
何のために?

今はぽかーんとなれれば、どれほど楽しいかと思います。
酒飲んで、だらーんとなるのとは全然違う境地です。

すみません、ダラダラ書いてしまいました。

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3 コメント

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Unknown (もも)
2007-02-28 01:59:43
私も子供の頃いつも空や雲を見ていました。
実をいうと今もです。
買物の途中でも通勤の途中でも見たくなります。
空や雲を見るとなぜホッとするのでしょう。
何かに包まれる感じです。
飛行機が飛んでもアーッというように立ちすくんでじっと見てます。
空はすごく素敵で嬉しくなるのです。
おかげで車に轢かれそうになったことも。
なぜ人は空や雲にひかれるのでしょうか・・
(夜の雲やもちろん月、星も)
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 (かなりや)
2007-02-28 16:47:15
 わたしも子供の頃よく雲を見ていました。
 
 そして
 今日も見ました。今日は真っ青な空の端っこの、山に隠れるようにして白い雲がおりました。

 最近になって、「やっと雲や空をゆっくり見ることが出来るようになったなぁ・・・」と思うのです。音楽もやっとゆっくり楽しめるようになったような気がします。
 それは、大人になってからあまりにも齷齪といそがしく暮らしていたのが原因だったように思います。空を見るのも音楽を聴くのも、絶えず自分の内の何かを養うため・・という感覚がどこかにあったように思えます。

 今、老境にあってはじめて子供の頃のような純粋さで見られるような気がしています。
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Unknown (torut21)
2007-02-28 18:44:41
>ももさん

空や雲ってホント見ていて飽きないし、やさしい気持ちになれますよね。
夜の雲というのは、全然違う雰囲気で、ゾクゾクする感じですね。
宇宙空間から地球を見た人が神秘家になるのがなんか分かる気がします。

>かなりやさん

なにかを養うためにみるって、ホントそういう癖がついてしまっていますよね。
そのままをそのまま楽しんだらどんなに楽か。
お庭や目の前の山の季節の移ろいを、無邪気に楽しんでいるかなりやさんが目に浮かびます。
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