風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

アバター

2010年01月16日 | 雑感
そういえば先週「アバター」を見ました。
わざわざメンズ・デーに行ったのですが、3Dは割引なしとのことで2千円取られました。
あれだけの映像を作ることができるのなら、もうどんな映像でも作ってしまえますね。
例えば、地獄と冥界と天界を描き分けるとか、もうなどんな世界も表現できてしまいます。
今後の映像表現は無限に広がっていきそうです。

そういえば「パブリック・エネミーズ」も見ました。
マイケル・マンという監督は、「銃」のリアリティにとてもこだわります。
銃の口径やタイプによって違う炸裂音や破壊力や、そんなこんなの違いを丁寧に描写します。
そういうのは、実際に戦場に出たことのあるような人にとっては、とても気になるポイントだとは思います。
銃声で敵のものか味方のものかを聞き分けなければならなかったでしょうから、気になる人には気になって当然ですね。
ジョニー・デップはカッコよかったです。
何でもこなしますね。
へんてこな味を出す役柄のほうが好きみたいですが、この映画では渋く決めていました。
そういえば、ジョニー・デップの次回作は3Dの「アリス」ですね。
予告編だけでも存分にへんてこな味を出してました(笑)

何の映画にせよ、これだけ大金と労力と才能をつぎ込んだ映画とういうものを見れるというのは、文句なく幸せです。
映画というものをなめていない映画は、どんな映画でも好きです。
企画ありきで、主人公をどのアイドルにするかを最初に決め、適当に監督を頼み、脚本をやっつけ仕事で書かせ、
編集もずさんに、スケジュール通りに一丁上がりなんていう映画は見るだけ損です。
映画というのは原作の持つ世界の確かさと、監督の想像力と、役者の存在感と、各スタッフの職人技と、全員の情熱が合わさったものだと思います。
そんな映画なら何本でも見たいです。

何かで読んだ話ですが、黒澤明が線路を走る列車を撮ろうとしていました。
ところが、線路の後方に写る民家の存在がどうしても気に入らない。
大金を払ってその民家を買い取り、解体してしまった。
そんな話だったように記憶しています。

そこまでするのは無理だとしても、学ぶべきは自分が撮るべき映像への情熱のすごさです。
黒澤はエキストラに対する注文も大変うるさかったようです。
何十人といるエキストラの誰一人にも一切の不自然な動きを許さなかったそうです。

ぼくにとっては芸術性が高いかどうかというのは、あまり重要ではありません。
ヴィスコンティも未来少年コナンも、作る人の本物の情熱を感じられれば、心地よく見られます。
芸術性が高い=難解ではないことは言うまでもありません。
絵画にしても、映画にしても、前衛芸術の名の下に難解さが前面に押し出された時代がありました。
精神を切り開いていくのは究極のシンプルさだと思っているぼくからすれば、そのようなポーズとしての難解さは精神のフン詰まりにしか見えません。

まぁ、とにもかくにも今後の映画界は「アバター」を契機にその表現領域を飛躍的に拡大しました。
志ある人にとっては大いに表現するチャンスの到来です。

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