風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

想像力

2010年01月20日 | 雑感
昨日知人に誘われて、今朝も滝に行きました。
家を出るときには4度だった温度が、山の奥にある滝場に着いたときには14度でした。
南からの風が急激に吹き込んできたのでしょう。
水は冷たかったですが、一月の滝とは思えない風情でした。

別の知人に段ボール箱一箱分の絵本をもらいました。
昨夜遅くに取りに行って、居間に置いておきました。
朝方、娘が騒いでいるので目が覚めました。
何十冊もある絵本を見て娘は興奮してました。
十数年前の絵本ですから、今のとは作風も違うでしょう。
娘の喜び具合からすると、貰ってよかった、ありがたかった絵本でした。

ぼくも幼稚園の頃は絵本が大好きでした。
今でも覚えている絵本があります。
ある少年が自転車を買ってもらいます。
少年は嬉しくて堪らず、町中を乗り回します。
そこで少年はいろいろな景色や人に出会います。
それだけの話なのですが、その絵本を見るたびに躍り上がるようなワクワク感を感じたものです。

ぼくが若い頃、世界中を見て回りたいと熱望していたのは、その絵本の影響だったのかもしれません。
それとも、生まれつきそういう性向があって、感覚的にマッチしたのがその絵本だったのかもしれません。
どちらでも構いません。
なんの知恵も分別もないない幼少の頃に見る絵本の世界というのは、幼児にとってはとてもリアルな世界です。

幼児の想像力というのは制限なく羽ばたきますから、ひとつの絵から感じとる世界は大人が思う以上に深くて広いのだろうと思います。
いい絵本に出会うというのはとても大切なことに思います。
ぼくから見ても、今回いただいた絵本の中には面白いなぁ~という絵本がたくさんありました。

大人になると意味もなく分別くさくなりますが、大人は大人で存分に想像力を巡らすことはできます。
いい映画もありますし、いい本は無論たくさんあります。
想像力が巡るうちが生命が躍動する期間といってもいいのかもしれません。
想像力がその役割を停止し、現実の生命を維持することだけが関心事になったら、そりゃ人生は乾燥していきます。

想像力を縦横無尽に駆け巡らせる。
思う存分、誰にも遠慮せず、駆け巡らせる。
それっておそらく人間だけに許された恩寵です。

若いときには、若いときなりの想像を巡らせる。
年取ったなら、年取ったなりの想像を巡らせる。
老いも若きも自在に想像を巡らして、心の世界で自由に飛び回ればいいのです。