風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

そろそろパッチリ目を覚まそう

2010年01月12日 | 雑感
昨日は成人式でした。
大盛りに
盛り上がった茶髪に、羽織袴というのが流行のスタイルなんですね。
道の横幅いっぱいに徒党を組んで、やたらに叫びながらねり歩いていました。
誰もが彼らに視線を向けることを避けていました。
成人式おめでとう!と、彼らを応援するような雰囲気は微塵もありませんでした。
成人したことを周囲がみんなで祝福する意味でない成人式をする意味を全く感じませんでした。

ということで、「外国人参政権法案」が今国会に提出されるそうです。
この法案のいかがわしさについては、ネットではずズ~ッと主張されてきましたが、案の定メディアで詳しく議論されているのを聞いたことがありません。
詳しく議論されたら、反対する人間が増えるからでしょう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E5%8F%82%E6%94%BF%E6%A8%A9

さっさと法案を提出して、国民の理解と議論が深まらないうちに、衆議院の圧倒的な議員数を背景に法案を通そうとしているのが見え見えです。
どうも民主党の若手議員の中には、そのコメントを参照する限り、この問題の本質を理解していないような人がたくさんいるみたいです。
日本国民にとって、どんなメリットがあるのか、そのメリットを説く人を見たことがないというのもこの法案の特徴です。

この法案の成立を小沢幹事長は訪韓の際に約束してきているそうです。
国民の意見も訊くことなく、一政党の幹事長が参政権を外国籍の人に与えるという重大事項を、他国と約束してしまう。
一度これを許してしまえば、組織的に、なし崩しに日本という国の枠が融けて行きます。
日本という国体なんかないほうがいいんだというイデオロギッシュな人たちが盛んに推進を叫んでいた法案でもあります。

これが通ったら、次は「人権擁護法案」です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E6%A8%A9%E6%93%81%E8%AD%B7%E6%B3%95%E6%A1%88

それも国会を通過したとしたら、「日本人の日本人による日本人のための」政策というのは、おそらく不能になります。
その方がグローバル時代にはいいじゃないか、という考えは甘すぎます。
どこかの国の、どこかの組織的な運動が日本の政策を大いに左右することになります。

20世紀後半はアメリカの時代といってもよく、彼らの掲げる「自由と正義と民主主義」の旗印の下、多くの人々が戦乱に巻き込まれ、
国の富を奪い取られ、自由も時には命さえも奪われてきました。
そして今や「グローバル時代」の美名の下、国々が何世紀にも渡って育んできた文化伝統が無価値なものとして捨て去られようとしています。
国々の枠をはずしたら、世界人類が仲良く暮らすようになるなんて、ありえません。
どこかの国の誰かが、そうしたほうが安定的な搾取構造を維持できるからに他なりません。
世界中が人間牧場になるのが、グローバル主義の裏の目論見です。
世界統一政府の言うことをきけ、そうすれば飢え死にしない程度の食い物と住処は保障してやる。
ただし、逆らうな。
お前たちには娯楽(テレビ、映画、セックス、酒)を楽しむくらいの自由は与えてやるが、それ以上は求めるな、考えるな。

この件は、なにをいまさらという感じで知る人は知っているのですが、知らない人はほとんど何も知らないという状態です。
自民党が骨抜きにされた今、野党にこれを阻止する力はなさそうです。
国民が駄目なものは駄目といい続けない限り、日本解体というシナリオは最終段階に入ります。
陰謀論と頭から否定する人もいますが、陰謀論で唱えられていたとおりに実際に世界の流れは動いているようにしか見えないのも事実です。

ヒトラーの狂気も毛沢東の狂気も、民衆の圧倒的支持があったからこそ実現してしまいました。
日本はそういう狂気とは無縁だと思っていますと、そういう油断に狂気は忍び込んでくるものです。
首相と幹事長の政治資金の問題にしても、メディアの追及の甘さは自民党時代には考えられないことです。
すでに狂気の渦の中に巻き込まれつつあると見ていたほうがよいと思います。
狂気は美辞麗句の甘い顔をして近づいてくるものです。