風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

新春

2010年01月04日 | 雑感
明けましておめでとうございます。
あっという間の年末年始でした。
たそがれ時の薄明のなかにいるような、妙な感じで時間が過ぎていきました。

年末のFM番組のゲストは、定職を持ちながらも休みの日などに自分で描いた絵ハガキを路上などで売っているという若い女性でした。
誰に相談したのでもなく、路上でいきなり自分で書いた絵ハガキを売りはじめたそうです。
なんでもママチャリで日本全国を回りながら、ギターの弾き語りでその日の糧を得ている青年との出会いが、
そうした思い切った行動のきっかけになったのだそうです。

そういう思い切った行動の延長で、その次にはアフリカのザイールに青年海外協力隊の一員として赴いたのだそうです。
一ヶ月ほどの短い滞在だったみたいですが、現地の子供たちにクレヨン画を描くことを教えたりしたそうです。
短い滞在期間ながらも、たくさんの強烈な思い出を作ったみたいです。
ぼくが印象深かったのは、現地の世話人みたいな人から彼女があらかじめ注意事項として言われたという言葉です。
「あまり世界のいろいろな職業のことを語ってくれるな。彼ら(子供たち)にはそういう職業に就く選択肢がないから」

きっと彼らのほとんどは生まれた土地で、親と同じ職業について、貧しいままこの世の人生を終えるのでしょう。
そう遠くない昔の日本でも状況は同じようなものだったと思います。
それでも子供たちは、嬉しいときは笑い、悲しいときは泣き、目を輝かせて空の下を駆け巡るものです。
逆に、現代日本のように、建前上は無限に開かれた選択肢があると、かえって選択するのが困難になるのかもしれません。
どんな道を選んでも、もっといい選択があるのかもしれないと迷い続けることにもなりかねないからです。

選択肢がなくても苦しいですが、選択肢がありすぎて選べないのも苦しいです。
ニート問題というのは、ニートになることを選んだのではなく、何も選べない結果としてニートになったということでしょう。
どちらがより幸せだとか不幸だとかということではありません。
選択肢がなくても人間は苦しむし、選択肢が多すぎても人間は苦しむということです。
ものが溢れかえると、人の購買意欲が低下するのと一緒のことです。
この世はひどくバランスが悪いところになってしまっています。

で、彼女の話を聞いていて思ったのですが、今リストラにあったり、就職先が見つからなかったりする人は、
思い切って世界に出るのは大変有意義なことだろうということです。
ぼくなんか若いときには本気で青年海外協力隊に応募しようと何度も思いました。
諸事情で行けませんでしたが、今とりあえず無為に過ごせざるを得ない人は、海外に飛び出ればいいと思います。

生活費やら諸手当は出るみたいですから、自分の生活の心配は置いておいて、世界の貧しい国々の人たちのために自分が出来ることを精一杯してやればいい。
日本を離れて暮らすことによって得られることはたくさんあります。
世界の現状を知れば知るほど日本という国が見えてきます。
視野が広がり、多角的なものの見方が出来るようになります。
語学も鍛えられます。
結果を出せれば、人々に感謝されます。
プロジェクトを人々と協力して遂行するということは、ビジネスでも学問でもどこでも同じ能力が必要になりますから、後々の自分の人生に応用できます。
いいことづくめです。

もちろん人々が必死に生活しているところに入っていくわけですから、旅行気分ではいけません。
いろいろな人がいるのはどこでも同じで、危険もあるでしょう。
それでも世界のどこかの人々の役に立ったという自信は一生の宝物になるでしょう。

青年海外協力隊というのはJICAという組織の管轄らしいですが、その組織の悪い噂話なども聞きますが、それはまた別問題です。
今の日本で無為に時間を過ごすということは、おそろしく精神を荒廃させる何かがあるような気がしてなりません。
JICAがどんな利権にまみれた組織であろうと、国費で海外で暮らせる、しかもただ暮らすのではなく、現地の人と現地のために働らけるというのは、
ある意味とても恵まれたチャンスだと思うのです。

何よりも大きいのは、何ごとも自分しだいなのだということに気がつくことなのかもしれません。
ボランティアですから手を抜こうと思えば抜けるのでしょうし、やろうと思えばどこまでもやれるのでしょう。
なにを得るのも得ないのも、すべては自分しだいなのだということにきっと気がつくでしょう。
それに気がつけば、日本でも同じことなのだと気がつくはずです。
日本でも、やろうと思えば出来るのだし、やろうと思わなければ結果が残らないだけなのです。

まぁ、ご参考まで。

最後に頭に浮かんだ俳句をば。

「たくさんの 扉を開いて 春の来る」