風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

魔球

2010年01月15日 | 雑感
携帯がメールを受信したり着信したりしますと、PCのスピーカーから大きな雑音がバリッバリッと発せられます。
そうとう強力な電磁波が大気中を飛び交っているのでしょうね。

昨日何気なくテレビを見ていたら、統合失調症と診断された女性が、自分を見つめなおしていく過程を写したドキュメンタリーをしていました。
統合失調症という病名からはなにがなんだか分からない病気ですが、要するに本来の自分を見失ってしまっている状態のように感じました。
自分で自分が自分であるように思えない。
だから、自分がすることなすことに意味を感じなくなってしまう。
意味を失った灰色の世界に、意味を失った灰色の自分がぽつんといる。
そんな感じなのでしょうか。

まぁとにかく、何度も自殺未遂をした彼女が、本当は自殺をしたいのではなく、
誰かと繋がりたいというのがその行為の裏に隠された本当の自分のメッセージなのだと気がついていく。
「当事者療法」とかいう療法で、自分がなにをしているのかを深く掘り下げていくことによって、
自分の本当の姿を見つけ出していくというような感じでした。

「誰かと繋がる」ということが、それが叶えられなければ死んでしまいたいと思えるほどまでに、人の心にとって大切なことであるということですね。
それで、どうして彼女は「誰かと繋がること」ができなかったのか。
彼女は自分で答えを探し当てます。
「相手に魔球ばかりを投げてきた」と。
つまり、ストレートに思ったことを言わず、言えず、誤解が積み重なって、誰ともうまく人間関係を築くことができなかった。

「魔球」という言葉は興味深いです。
変化球を投げてもそれほど自分を追い込むことにはならなかったでしょうが、「魔球」を投げていた。
彼女が魔球と呼んだ言葉が、実際どんなものであったのかは知りえませんが、なんとなく想像がつきます。
自分がしたい、して欲しいことを相手にストレートに言わない。
相手がそれを察知して、相手から自分のしたい、して欲しいことを言わせようとする言い方ってありますね。

「明日は(一所にドライブに行きたいんだけれど)休み?」
「休みだよ」
「(じゃあ、一所にドライブに行こうよ!)ふ~ん」
「・・・」

カッコ内を言わないわけです(笑)
お互い疲れますね。
疲れるだけならいいのですが、伝えたいことを伝えない習慣がつきますと、誰ともよそよそしい関係になっていきます。
一番大切なカッコ内を言わないわけですから、誰だってこの人なにが言いたいわけ?、となって行きます。
大切なことは全部自分のカッコのなかにしまいこんでしまい、大切でないことばかりを言うようになる。
そうなれば、人は離れます。
大切でないことばかりを言う人と一緒にいても楽しくないのは当たり前のことです。

原因はよく分かっていないといわれる統合失調症という病気ですが、そんなに難しい方向へ持っていく必要もないのではないかと、ぼくは思います。
偽者の自分を出せば、偽者とは付き合いたくない他者から疎外される。
まだ、この段階では病気にはなりません。
そういう自分に気がついて修正すればいいだけです。
自分で表現する偽者を偽者と感じなくなったときに、自分が分からなくなり、自分を疎外する他者を分からなくなるのだろうと思います。

正直な自分に帰ること。
その正直な自分をそのまま表現すること。
そうできるようになるまでは、根気よく彼なり彼女なりを見守ってくれている人が必要ですが。

ぼくが言いたいのは、統合失調症とか、精神を病んでいる方の症状を軽く見ているのではありません。
得体の知れない心の症状に苦しんでいる方々に掛けるべき言葉も知りません。
でも、テレビに出た彼女が自分の心に向かい合ったときに涙を流しながら発した言葉がすべてのポイントに思えてなりません。
「さびしい」

「寂しさ」というのは、薬や治療法でその感覚を緩和することができるのだとしても、根本的治療にはなりえません。
自分の寂しさと真正面から対する。
自分の寂しさから目をそむけ続けると、あるいは心を病むという状態になるのかもしれないなと思いました。