風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

恵み

2008年02月26日 | スピリチュアル
朝から雨です。
冬の雨という感じではなく、柔らかくシトシト降っています。
明日は一段と寒くなるそうですが、それでも春は日々近づいてきています。

恵みというのは、恵みを恵みと知ることから始まるのでしょう。
どんなに恵まれていたって、それを恵みと知らなければ、不満の種にしかなりません。
なかなか厄介な人の性です。
あれも欲しい、これも欲しい。
なんで欲しいのかと聞かれれば、曖昧な情報に踊らされているだけだったりします。

生きているということが、どれほどの恵みかを人は知ろうとする余裕がありません。
つまらない通勤時間、つまらない職場、つまらない人間関係。
そう思ってしまえば、生きていることはつまりません。

自分が何が出来るか、何をしたいのかということに焦点を絞れば、つまるつまらないは自分次第になるでしょう。
何をされたいか、何が欲しいかに焦点を絞ると、不平不満の塊になるのでしょう。
要するに、自分中心でものを考えると必ず行き詰ります。
自分ごときが中心であるはずもありません。
それでも、自分のことは自分で決めていく大いなる自由が保証されています。
その自由であるということと、自分のいるべき位置を知るということと、両立させなければなりません。

自分の位置が決まっているということをわきまえるということは、
自分の運命は不自由だということを受け入れることだと思うかもしれません。
自分の位置が分からなければ、どこへ進むも退くも分かりようがありません。
自分の位置を知るというのは、自分の自由の方向性を知るということです。
位置のない自由というのはありません。
位置のない自由と言うのは、カオスの海に呑みこまれるだけです。

位置というのは主体が主体足るべき足場です。
位置がない主体というのは、足場のない虚無という自由の仮面を被った化け物に欺かれるでしょう。

ベクトルというのは、ある点が定まってはじめてその位置とエネルギーを獲得します。

自分の位置を知るというのは、とても大事なことです。

そんなこんなで、自分の位置を知らせてくれるすべての関係性に感謝します。