風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

洋画

2006年06月02日 | 雑感
昨日はお客さんとフランス料理を食べに行きました。
お任せで頼んだら、大好きな岩ガキが出てきました。
生のままに、軽くあっさりとしたドレッシングをかけただけです。
その次には、白アスパラです。
これも大好物です。
軽く焼いて、チーズと酸味の利いた小粒のトマトと一緒に食べます。
その他、子羊のペッパー焼きなどもでましたが、なんといっても岩ガキと白アスパラで感動しました。
二人でワインのカラフェを4本飲んだので、勘定は高いものにつきましたが。

ドイツに行ったとき、白アスパラの写真があちこちのレストランに張られていました。
ドイツ人にとって白アスパラは初夏の旬のものなのでしょう。
日本で言うと、筍みたいな感じでしょうか。
キンと冷えたドイツワインで食べる白アスパラは、一度で大好きになりました。

普段はあまり食事に拘る方ではないのです。
納豆と湯豆腐と味噌汁があれば満足します。
でも、やっぱり本当に美味しいものは、心も満足します。

ところで、某画家がいつまでも往生際が悪いですね。
ますます日本の洋画界の評判を世界中に貶めています。
政財界に顔が利くみたいですから、何とかなると思っているのだとしたら、大馬鹿者です。

だいたい、日本の洋画の世界というのはもの凄く閉鎖的で、胡散臭い上に、高慢です。
ぼくは日本の洋画というものに対してはまったく評価しておりません。
だれそれの先生は号幾らだなどという、下らない価値基準がまかり通り、作品全体の力や魅力ということを語ることなく取引されます。
その価値基準というのが、とこかで貰った賞とかなんとか、政治力やらなんやらが絡みに絡んだ世界で、怪しげに決められます。
政治家の換金商材としても使われているみたいです。

同じ洋画を買うなら、そりゃヨーロッパの19世紀のものがなまじ有名な日本人の画家のものよりも安く買えます。
基本的に、日本人の描く裸婦やら風景やら花なんぞというものを見て、ああ、いいなと思ったことがありません。
この先生はだれだれで、どこの大学を出て、どこぞに留学して、号幾らで、といった話を聞いたところで、
つまらないものはつまらないのだからしょうがありません。
日本の芸大のあり方というものにも、強い疑問を持っています。
別に、日本人が洋画を描いて悪いわけはないのですが、そのなんというか、エリート臭というか俗物臭というか、なんか嫌です。
それを扱う人たちも独特の臭気があり、好きではありません。

稀に力があるなぁーと思う作家もいないこともないんですが。
熊谷守一、香月泰男、平野遼などは、好きではあるんです。
でも、みなさん、デパートの美術画廊の壁にかけてある油絵見て、感動します?
どこかで見たような手法、モチーフ、色使い。
前衛を気取れば、訳分からないのが高等だみたいな、自意識ぷんぷんの絵。
まぁ、好きな人は好きなんでしょうから、ぼくの悪口で気分を害したらゴメンナサイ。

ぼくは海外に行くと必ず美術館に行きます。
ロンドンのナショナルギャラリーに行けば、必ずレンブラントの自画像を見に行きます。
10分位はその場に立ちすくんで、じっと見ます。
それから時間があれば何十点とあるルーベンスやらムリリョなどの絵を見ます。
ゴッホやらルノアールやらセザンヌやらのコーナーは混み合っているし、何度も見たいと思う絵ではないので歩きながらさっと見るだけです。

要するに、日本でその一点あれば、その一点だけで展覧会が出来そうな絵が、あちこちの美術館やなんやらにごろごろしているわけです。
そうすると、日本の洋画は、なんというか、あらゆる面で底が浅いです。
浅くてもいいのですが、高尚、深遠に見せようとする洋画を取り巻く世界というものが、どうにも胡散臭いです。
日本画は筆致、色彩、デザイン性、空間の奥行きといった点で、もの凄い完成度を持っているのに、
洋画はそれを取り巻く環境が悪すぎる気がしてなりません。
それを象徴しているのが、今回の件だと思います。
誰がどんな理由で賞を上げたのか、責任者は誰で、誰のアドヴァイスを受けてそうしたのか、裏を探ればうんざりすることだと思います。

ちょっと悪口が過ぎますが、あれほど世界に誇った日本の芸術を取り巻く世界というのが、あまりにも情けないんで。