風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

2006年06月03日 | 雑感
今日は少し蒸し暑いようです。
朝のうちは爽やかでしたが。
明日は早起きできたら山にでも登ってきます。

なんかいろんな人生がありますが、みんなそれぞれ歯を食いしばって山を越え、底なしの不安と戦いながら深い谷を渡って生きているわけです。
それで見晴らしのいい草原に出てときに、ホッと一息つき、更に地平線のかなたに伸びる道をまた歩き始めます。
誰もがたどる道ではあるのでしょうが、真面目な人ほど躓くことを恐れ、先が見えないことを恐れます。

今日二人のお客さんが来たのですが、二人ともそりゃ真面目です。
だから、自分をすぐに追い込みがちです。
誰も責めていないのに、自分で自分を責めます。
さぞかし苦しかろうと思いますが、そういう真面目な人たちというのは、その責めから目を逸らしません。
なんでもいい加減に放り投げるぼくのつめの垢でも煎じて飲ませたいくらいです。

高い山を登るのが苦しすぎるのなら、低い山を登ればいい。
あんまり谷底が深くて足がすくむなら、大きな橋が架かっているところを探せばいい。
歩き続けるのが疲れたのなら、草むらに寝転んでしまえばいい。
ぼくなんかはすぐそう思います。
でも、そういう真面目な人たちは、なかなか自分の進路を変えようとはしません。
意地を張るというよりも、人に迷惑を掛けたくないとか、人の期待を裏切りたくないとかという理由が大きいのです。
人の期待と、自分のしたいこと、できることが分裂した時、彼らは自分の都合を押し殺してしまいがちです。
ぼくには絶対真似の出来ない心境です。

でも、その二人は、そういう苦しみを今は抜け出しつつあります。
だから、ぼくなんかの所に来て色々思っていることを語れるようになっているわけです。
その苦しみを抜けた人は、おそらく人より優しく、寛容に、大きな世界で生きることが出来るのではないかと、ぼくは思います。

みんな、平凡な日常のうちに非凡な苦しみを抱えて生きていることを、ぼくは思います。
ぼくは何もして上げられません。
その人の道はその人が歩くしかありません。

その人の道はその人が歩くしかないと本当に思い知った時に、人からの期待を必要以上に意識しないですむのではないかとも思います。

なかなか色々大変です。
目の前に山があれば、ガンガン自力で登ろうとするタイプの人間ばかりがいるわけではありません。
今の世の中、ゆっくり歩こうとする人のための道って、なんかどんどん減っているような気がしないでもありません。