TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

トッポと八景島シーパラダイスへ、Part Ⅱ その7

2010年07月13日 | トッポの世界
トッポ、『この高さのほうが、よく見える!』



これもよく見かける紫陽花です。



トッポ、『暑いから早く写真撮って、何か飲もう!』



というわけで、ちょっとまじめに写真を撮ってみました。
ほんとに紫陽花は個々、いろいろな花の色彩があるようです。



チェックポイントで、参加者に頭をなでられ、ご機嫌のトッポです。



こちらもちょっと違った雰囲気の紫陽花です。



途中で薔薇園もあったのですが、港の見える丘公園で薔薇の紹介をしましたので、薔薇の花は割愛します。



この紫陽花はシンプルですが、淡い色がいい雰囲気です。



そろそろスタンプラリーも終わりのようです。
トッポ、『早く水くれ! アッカンベー!』



続く........................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その101の3 『永平寺』

2010年07月12日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
東側の廻廊を昇りきると、一般の寺院でいえば本堂に当たる『法堂』に至ります。
永平寺の伽藍で一番高いところにあり、間口18間、奥行14間の法堂です。



1843年に再建された禅師説法の道場であり、毎朝のお勤めや、各種法要が執り行われます。
中央には本尊『聖観世音菩薩』が、両側には阿吽の白獅子が置かれています。
法堂は、一山の住職が修行僧に説法をする場所です。



永平寺内の傘松閣にかかっていた達磨絵です。
天井には230枚の花鳥図がはめ込まれていましたが、写真は失敗してしまい、うまく撮れませんでした。



達磨大師は南インドの香至王の第三王子として生まれ、その後中国にわたり禅宗(臨済宗・曹洞宗・黄檗宗)を開かれた祖師です。
達磨大師ってインド人だったんですね。

ネット情報によると、
『達磨大師はインドの香至国の王子として生まれたお方です。のちに出家し、お釈迦様から28代目の教えを継がれて、中国に渡られました。梁の武帝との問答や、嵩山少林寺での面壁九年の話は特に有名です。その教えは慧可禅師に継がれのち日本に伝わり現在では世界中に広まっています。禅宗では初祖達磨大師と仰ぎますが、七転八起、面壁九年の不 不屈の精神は宗派を越え、誰からも親しまれ、慕われ、信仰されています。』



永平寺は、約750年前に道元禅師によって開創された『日本曹洞宗』の第一道場で出家参禅の道場になっています。
樹齢約700年といわれる老杉に囲まれた静寂なたたずまいの霊域に、七堂伽藍を中心に70余棟の殿堂楼閣が建ち並んでいます。



法堂を過ぎてしばらく進むと、西側の下りの回廊になります。
七堂伽藍は全てこの回廊でつながれている。
テレビなどで雲水(修行僧)が並んで廊下の拭き掃除をしている様子が放映されるが、この回廊です。
毎日7時過ぎから全山で一斉清掃が行われ、これも修行の一つのようです。
回廊はどこもきれいに磨き上げられていて光っています。



回廊の途中で、中庭の景観を撮ってみました。



大庫院前に掛けられている『大すりこぎ棒』です。
明治35年改築された仏殿の地突き棒を捨てずに、丸めて『すりこぎ』にして飾ったすです。



永平寺の開祖道元禅師は、鎌倉時代の1200年に京都に誕生され、父は鎌倉幕府の左大臣久我道親、母は藤原基房の娘といわれています。
8歳で母の他界に逢い世の無常を観じて比延山横川に出家し、その後、京都の建仁寺に入られ、24歳の春、中国に渡り天童山の如浄禅師について修行し、悟りを開き、28歳の時に帰国し、京都の建仁寺に入ります。



続く......................................................................。

海外の都市の紹介、 その80の2 『ゲント』

2010年07月11日 | 海外の都市の紹介
早朝の街中を、近代的な路面電車が走ります。



ゲントはブルージュと同様、川に囲まれていて水路が多くあります。



今も昔のままの面影を色濃く残す旧市街は大変情緒があり素敵な街です。







レイエ川の川下に向かって、右岸が『グラスレイ(穀倉の埠頭)』で、左岸を『コーレンレイ(穀物の埠頭)』といいます。



ギルドハウス
切妻屋根が立ち並ぶ美しい川沿い



両岸とも中世には船着場で、ギルドハウスなどが並んで栄えていた場所です。
特に、グラスレイには華麗な切妻のファサ―ドを持ったギルドハウスが並んでいて、景観が美しいです。



特に有名なギルドハウスが6つ並んでいて、1200年建造のロマネスク様式の穀物倉庫や1531年建造のブラバン・ゴシック様式の自由船員組合のギルドハウス、1682年建造のフランドル・ルネサンス様式の港使用税長税官の家などが並んでいます。



ゲントはベルギー東フランダース州の州都ですが、使われている言語はオランダ語・フランス語・ドイツ語と多様です。
過去の国の歴史が言語にも影響が出ているのでしょう。



続く.......................................................................。

トッポと八景島シーパラダイスへ、Part Ⅱ その6

2010年07月10日 | トッポの世界
紫陽花ラリーは数ヶ所にチェックポイントがあり、そこでスタンプを押して回ります。



トッポはアスファルトの舗装道路の温度が上がってきたので、バックに入れて移動です。、



こちらはガクアジサイと呼ばれています。
大形の集散花序をつけ、外周の中性花(装飾花)には花弁状の萼(がく)が4個あります。



トッポ、『バックの中も暑いんだけど!』



アジサイは花色が変化するので、『七変化』とも呼ばれるそうです。
赤色のアジサイを買ったのに、翌年は青い花が咲いてしまったり、咲き始めは薄い青色していたのがだんだん紅色から赤紫色に変わることがあります。
そういえば、我が家の紫陽花も毎年多少色が変化しているようです。



青い花も赤い花も花の色の違いは色素の種類によるものではないそうで、アルカリ土壌では赤色に、酸性土壌では青い花が咲くそうで、土壌のpHが何らかの影響を与えているそうです。



ママは一生懸命スタンプを集めています。



紫陽花は、もともと東アジアと南北アメリカに自生するアジサイ属の植物で世界に40数種、日本に10数種が自生しています。



日本の紫陽花が18世紀後半にヨーロッパへ渡り、品種改良されたのち西洋アジサイとして日本に里帰りしたそうです。

トッポ、『冷たいもの飲みたい!』



続く..........................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その101の2 『永平寺』

2010年07月08日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
七堂伽藍の中心になる『仏殿』です。
古来より禅宗では伽藍の配置を人体図に相当させ、頭が法堂(はっとう)、心臓が仏殿(ぶつでん)、左手が庫院(くいん)、右手が僧堂(そうどう)、腰が山門(さんもん)、左足が浴室(よくしつ)、右足が東司(とうす)になるようです。



奥に観えるのが『大庫院(だいくいん)』です。
東側の回廊を登った所に在る建物が大庫院で、地下1階地上4階、延べ750余坪あります。
修行僧や参籠者(さんろうしゃ)の三度の食事を作る場所でもあります。



荘厳な雰囲気の中で、 今も750年前に道元によって定められた厳しい作法に従って禅の修行が営まれています。



苔に覆われた古木も、歴史を伝えているようです。



承陽殿は永平寺の御開山道元禅師の御真廟で、曹洞宗の聖地とでも言うべき場所です。



僧堂より左側廊下を登っていくと左側に門が見え、入り口にあるのが承陽門です。
一天門とも呼ばれ、この奥に御開山御真廟(ごかいさんごしんびょう)があり、これを承陽殿といいます。



承陽殿の入り口を中庭越しに承陽門を観ます。
1881年の再建で本殿(御真廟)には御開山道元禅師の御霊骨と二代尊の御霊骨が奉祀されています。



承陽殿の中庭にある鐘楼です。
この承陽殿が曹洞宗の発祥の根源です。



承陽殿です。
拝殿には明治天皇より下賜された『承陽』という勅額が掲げられています。



続く.........................................................................。

海外の都市の紹介、 その80の1 『ゲント』

2010年07月07日 | 海外の都市の紹介
今回は、ベルギーの首都ブリュッセルの西約50Kmにあり、フランダース地方の中心都市の『ゲント』です。



アントワープに次ぐ港を有し、ブリュッセルの玄関港として大きな役割を果たす港湾都市です。



フランドル地方は繊維によって多くの富を得ます。
昔、商人はこの広場のギルドハウスで布地の取引をしたのでしょう。
銅像は、毛織物商人のリーダーであった、ヤーコブ・ファン・アルテフェルデです。



ゲントはブルージュと並ぶフランドルの古都です。
中世からの歴史的建造物も多く残り、中世的雰囲気が濃い街です。



広場に面する建物は、12世紀から16世紀にかけ、400年の歳月をかけて築き上げた要塞都市の名残りが観られます。



フランドル伯爵の居城です。
バイキングの侵入に対抗するために、848年頃にボードワン伯爵が建てた城砦が起源で、1180年フランドル伯フィリップ・ダルザスが再建したもので、シリアにある十字軍の要塞をモデルにしたと言われています。



周囲に堀をめぐらせた堅牢なつくりで、城というより中世の頑丈な要塞といった趣きです。
今にも鉄の甲冑を着た中世の騎士が出てきそうな雰囲気です。



西洋らしい華やかな宮殿の見学とは趣が違いますが、争いの絶えなかった中世の様子を垣間見ることができます。



続く........................................................................。

トッポと八景島シーパラダイスへ、Part Ⅱ その5

2010年07月06日 | トッポの世界
それでは当初の目的であった紫陽花ラリーに参加します。



最初は海と紫陽花の散歩道から始まります。



トッポ、『これ何?』
たぶん、マンボウでしょうかね。



ウミガメが迎えてくれました。



海側では、潮干狩りか磯遊びのようです。
潮干狩りが目的で来る人もいるようです。



訪問した時は、まだ満開にはちょっと早いようでした。



トッポ、『僕を撮っているのじゃないの?』



では、トッポの記念撮影です。
この写真も、ちょっとお気に入りです。



最初のチェックポイントです。



続く.........................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その101の1 『永平寺』

2010年07月05日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
トッポパパのディスカバージャパンも100を超えて、101ヶ所目の紹介になります。
今回は、曹洞宗大本山『永平寺』の紹介です。



永平寺は、本尊は釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来の三世仏で、神奈川県、鶴見にある『總持寺』と並んで、日本曹洞宗の大本山です。



曹洞宗大本山永平寺は、今から約750年前の1244年、道元禅師によって開創建された出家参禅の道場です。



室町時代に天皇から『曹洞宗第一道場』の勅額を贈られ、日本の禅修行の場として歴史を刻んでいます。



通用門より中に入ります。
この門は元来、修行僧が入門の際通り過ぎる最初の門でしたが、現在地に移された後は一般の参詣、参拝者が出入りする門となったそうで、永平寺に入る人は、全てこの通用門より入門します。



33万平方メートルにも及ぶ広大な敷地には、山門・仏殿・法堂・僧堂・大庫院・浴室・東司などの 修行の中心となる『七堂伽藍』 など、70余棟の建物が、樹齢600年を越える老杉の巨木に囲まれながら 静かにたたずんでいます。



150名の雲水たちによって、荘厳な雰囲気の中、 今も750年前に道元によって定められた厳しい作法に従って禅の修行が営まれているそうです。



杉に囲まれた中に見える門が唐門(勅使門)です。



この門は、永平寺貫首の就任の時と、皇室からの使者が上山する際等に開かれ、正面には永平寺50世玄透(げんとう)禅師揮毫の「吉禅山」という額が掲げられています。



続く,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,。

海外の都市の紹介、 その79の5 『ハーレム』

2010年07月04日 | 海外の都市の紹介
ハーレムの街を楽しんだ後、海が近いと聞いてちょっと寄ってみました。



海水浴にはまだ早すぎるようですが、海外で砂浜を見るのは久しぶりのことです。



誰もいない海、とても奇麗な海岸線です。



好天に恵まれて、海風も心地よいです。



日本でいえば、海の家のようなものでしょうかね。
もうすぐ海水浴客向けの準備にないるのでしょう。



いまの時期でもオープンしているお店がありました。



誰もいない海だと思ったのですが、ここでは日光浴に来ている近隣の人たちが、のんびりくつろいでいました。



仲間の人たちはビールを飲んで楽しんでいましたが、トッポパパはあまりの気持ちよさに居眠りをしてしまい笑われてしまいました。



真夏には、多くの人があつまる有名なリゾートのようです。



それではハーレムより

トッポと八景島シーパラダイスへ、Part Ⅱ その4

2010年07月02日 | トッポの世界
紫陽花ラリーのようなものがあると聞き、ルートを探しています。
トッポ、『その前にあっちの乗り物に乗ろう!』



まだお客さんが誰もいないので乗り放題?です。
わくわくソニックパトカーと書かれていますが、わんわんソニックパトカーになりました。
なかなか、いい感じの写真になりましたので、保存版にします。



こっちは機関車トーマスです。
なんでも乗り放題です。 早起きは三文の得ですね。



トッポの貸し切り電車です。 
ここはママと離れているのに離れているのに、よくおとなしく写真を撮らせてくれました。



これは何でしょうか? 消防のはしご車?でしょうかね。
スペースが足りないので、ママは身体を隠しきれませんでした。(笑)



こちらは新幹線のようです。
お客さんが来ていないので、ゆっくりと写真を撮ることができました。
トッポが触れた場所は、後でちゃんときれいに拭いておきましたので、ご安心ください。



ブルーフォールが始動を始めました。



107mの高さから垂直落下するブルーフォールは迫力満点です。
カメラの性能が上がったので静止状態のように見えてしまいます。
ちょっとシャッタースピードを落として、動きを表現したほうがおもしろかったようです。



高層ビルの高さで約35階の高さから、一気に落下するストレートドロップの他に、落下直後に一旦減速、再び加速し始めるフェイントドロップがあるようです。



続く......................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その100の3 『十和田湖』

2010年07月01日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
十和田湖には東南から中山半島と御倉半島の二つの半島が湖に突き出ていあす。



湖は深い所で70mで西湖は50mくらいです。
中湖の水深327mは田沢湖の423mに継ぐ、2番目の深さです。
十和田湖の湖水面の海抜は401mです。



この時期、5月といえども風雨が強いと寒さが厳しくなります。
身体が冷えたので暖かいものが欲しいと、何年振りに鍋焼きうどんを食べることになりました。
 


こうして秋田、青森の旅は無事最後まで終えることができました。
最後に、天気は悪かったのですが、展望台等から十和田湖を眺めています。



瞰湖台は十和田湖を眺めるには最高の場所で、ここからは、十和田湖が眼下に広がって見えます。



この湖を御鼻部山1010m、十和田山1053m、十和利山990m、白地山1034mなどの1000m級の山々が取り囲んでいます。



これらの外輪山から水が湖に流れ込み、奥入瀬渓流に繋がる部分のみが湖の水の排出路となっています。



予定より早く十和田湖に着いたので、晴れ男、トッポパパの神通力も効かなかったのですが、この後晴れたのです。
ちゃんと予定通り行動しろとのことだったのでしょう。
予定通りの到着であれば十和田湖も晴れだったのでしょうが、さすがに600Kmに及ぶ走行は、疲れましたので、予定を早めて帰路につきました。

それでは青森より