TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その87の1 『河津桜』

2010年03月07日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
河津桜の紹介です。
今年はこの時期仕事が忙しく、昨年のようにウォ-キングラリーに参加できませんでした。
トッポママが河津桜を観に出かけましたので、その写真から紹介です。



コンパクトデジカメでの撮影でしたので、ブレのある写真が多かったのですが、この写真はよく撮れているようです。



河津桜の原木も満開です。



白い花は梅です。



紅白の桜と梅を左右に遊歩道がを歩いています。



河津桜の下に、国指定の天然記念物で樹齢約1000年の大ソテツです。



河川の両側に延々と続く、ピンクにそまった河津桜です。



ちょっとくもり空だったのが残念ですが、それなりに河津桜を満喫できたようです。



来年は、ぜひもう一度トッポと一緒に歩こうと思います。

続く..........................................................................。

神奈川の景勝50選、 その26の6 『曽我梅林PartⅡ』

2010年03月06日 | 神奈川の景勝50選
曽我梅林の最後のアップです。
久しぶりの散歩で、最後にトッポは土のにおいをなつかしんでいるようです。



3時間近くも曽我梅林を歩きまわっていた理由は、曇り空が晴れて、もしかしたら梅林越しの富士山が見えるかもしれないと待っていたのです。
残念ながら、かすかに富士山を拝むことができただけでした。



トッポは土のにおいに何を感じているのでしょうね。



この辺りがベストスポットのようですが、富士山をアップに撮るのはあきらめました。



水仙の花もあちこちで咲いています。



トッポ、『僕を撮っていないんでしょ!』



なんという種類の水仙の花かわかりませんが、よく見ると奇麗な花です。



そろそろ帰ることにします。
トッポ、『もう帰るよ! 何してるの!』



トッポ、『写真はもういいから。 早く帰らないと混雑するよ!』



20年以上も前の古い車ですが、まだ現役でがんばっています。
マニュアルなので、手が痺れていたときは手放さなければならないと思いましたが、運転も支障がないくらい回復しました。
ありがたいことです。



それでは、曽我梅林よりです。

海外の都市の紹介、 その71の5 『SEOUL 』

2010年03月05日 | 海外の都市の紹介
ソウルの中心部にありながら、敷地面積は約13万5000㎡もあり、13棟の宮殿に28棟の楼閣がある立派な王宮です。
トッポパパも初めての訪問でした。
『宣政殿(ソンジョンジョン)』です。
王の執務所だった場所で、現存する宮殿の中で唯一青い瓦の建物です。



それぞれの建物の床の下には『温床(オンドル)』という、いわゆる床暖房のようなものが備えられています。
昔は、薪を燃やして床下の石板を熱することで床を温める仕組みのようです。



王と王妃の寝殿であった『大造殿(テジョジョン)』です。
王とその家族が生活した中宮殿でもあります。



質素ながらも造形の美しさと周囲にある自然環境との調和がとれている建物は、儒教道徳に基づく統治を行っていた王朝の成せる技なのでしょう。



ここに、平成元年まで、ひとりの日本人女性が住んでいました。
女性の名は、李方子です。



李方子は、梨本宮方子(なしもとのみやまさこ)として誕生しました。
1920年、朝鮮の皇太子である垠殿下に嫁ぎます。
『楽善斎(ナクソンジェ)』です。
ここで、李方子が晩年を過ごした所である。



皇太子垠は1907年、幼くして両親から引き離され、11歳にして日本に留学するため、伊藤博文に手を引かれて来日しました。
政略結婚であったとの話はありますが、李垠(イウン)殿下と共に韓国と日本の“かけはし”として、その重責を果たしました。



戦後、朝鮮は日本の支配から解放され独立を果たし、2人は皇太子の母国の土を再び踏むことを切に願い、やっと悲願が叶い韓国へ渡った時、皇太子は脳血栓と脳軟化症に倒れ、すでに意識は無く7年後、方子を残して李垠は苦難に満ちた生涯を終えます。



夫の死後も方子は韓国の地に留まり、残りの人生を恵まれぬ人々の為の福祉と慈善活動に費やした。
現在、韓国で一番尊敬され、深い愛情をもって記憶されている日本人は、李方子でしょう。
1989年、方子は87歳で逝去され、葬儀には多数の韓国人が参列したそうです。



政治のことは触れませんが、ひとりの日本人が苦難の道を歩きながら、韓国人として生き、その献身的な社会奉仕が韓国の人にも深く感銘を与えたことを、忘れてはいけないのでしょう。

それでは、ソウルよりです。

神奈川の景勝50選、 その26の5 『曽我梅林PartⅡ』

2010年03月02日 | 神奈川の景勝50選
曽我梅林も大体観終わったので、またコーヒータイムです。



トッポ、『そのミルク、僕にちょうだい!』
コーヒーに付く、ミルクが大好きなトッポです。



少し暖かくなってきたので、ワンちゃんもたくさん集まってきました。



白梅、紅梅そして、菜の花を纏めてみました。



見つめあったまま固まっている2ワンです。



団体でご挨拶に来ました。



3頭同時にあいさつされて、ドキドキのトッポです。



それを眺める、また別の集団です。
コーヒーを飲んでいるだけで、たくさんのワンちゃんに会うことができました。



続く...........................................................................。

海外の都市の紹介、 その71の4 『SEOUL 』

2010年03月01日 | 海外の都市の紹介
『昌徳宮(チャンドックン)』の紹介です。
昌徳宮1405年に、朝鮮3代目国王・太宗が建てた宮殿で、正宮である景福宮についで2番目に古い朝鮮時代の宮殿です。
1405年に建設され、景福宮が1592年に焼失してから1868年に再建されるまで、約270年の間王宮として使用されました。



『敦化門(トンファムソ)』です。
1412年創建の正門で、壬辰倭乱によって焼失したが、1607年に再建されました。
ソウルで現存する一番古い二層門です。
昌徳宮は1997年ユネスコの世界文化遺産に登録されています。



昌徳宮は秘苑として有名です。
韓国の王宮の中では最も保存状態がよく、有数の名園として知られるています。



敦化門を通り昌徳宮に入ると右側に、1411年に造成されソウルに残っている石橋の中で最も古い橋である錦川橋があります。
この橋の上で、下に流れる川に写る自分の身なりを見つめなおし、王様に謁見するのに相応しいかどうかを確認する場です。



その橋を渡り進善門をくぐり奥へ進みます。



東西500m南北800mに及ぶ、広大な敷地に建つ宮殿は13棟もあります。



昌徳宮の正殿である仁政殿の前の仁政門です。



仁政殿へ続く通は段ができていて、中央が一番高くなっています。
中央は王様だけが歩くことのできるスペースです。
屋根に置いてある置物は魔よけで、孫悟空をイメージして順番に揃っています。



朝鮮末期の建築様式の『仁政殿』です。
仁政殿は1405年以降、昌徳宮の政殿、王の即位式、臣下の朝礼式、外国大使の接見等、国の重要行事が執り行われた建物です。



仁政殿は、堂々たる風格の瓦ぶきの2階建ての楼閣です。
朱色の柱が建物をしっかりと支え、外壁には見事なモザイク模様が描かれ、朝鮮王朝の宮廷美を今日にしっかりと伝えています。



家臣たちが王様の前に勢ぞろいする時は、官位によって立つ位置が決まっていて、当然高い地位の者ほど王様の座る仁政殿に近いところに立つことになります。
内部の天井は 国王を象徴する鳳凰が描かれていました。



続く............................................................................。