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海外の都市の紹介、 その71の5 『SEOUL 』

2010年03月05日 | 海外の都市の紹介
ソウルの中心部にありながら、敷地面積は約13万5000㎡もあり、13棟の宮殿に28棟の楼閣がある立派な王宮です。
トッポパパも初めての訪問でした。
『宣政殿(ソンジョンジョン)』です。
王の執務所だった場所で、現存する宮殿の中で唯一青い瓦の建物です。



それぞれの建物の床の下には『温床(オンドル)』という、いわゆる床暖房のようなものが備えられています。
昔は、薪を燃やして床下の石板を熱することで床を温める仕組みのようです。



王と王妃の寝殿であった『大造殿(テジョジョン)』です。
王とその家族が生活した中宮殿でもあります。



質素ながらも造形の美しさと周囲にある自然環境との調和がとれている建物は、儒教道徳に基づく統治を行っていた王朝の成せる技なのでしょう。



ここに、平成元年まで、ひとりの日本人女性が住んでいました。
女性の名は、李方子です。



李方子は、梨本宮方子(なしもとのみやまさこ)として誕生しました。
1920年、朝鮮の皇太子である垠殿下に嫁ぎます。
『楽善斎(ナクソンジェ)』です。
ここで、李方子が晩年を過ごした所である。



皇太子垠は1907年、幼くして両親から引き離され、11歳にして日本に留学するため、伊藤博文に手を引かれて来日しました。
政略結婚であったとの話はありますが、李垠(イウン)殿下と共に韓国と日本の“かけはし”として、その重責を果たしました。



戦後、朝鮮は日本の支配から解放され独立を果たし、2人は皇太子の母国の土を再び踏むことを切に願い、やっと悲願が叶い韓国へ渡った時、皇太子は脳血栓と脳軟化症に倒れ、すでに意識は無く7年後、方子を残して李垠は苦難に満ちた生涯を終えます。



夫の死後も方子は韓国の地に留まり、残りの人生を恵まれぬ人々の為の福祉と慈善活動に費やした。
現在、韓国で一番尊敬され、深い愛情をもって記憶されている日本人は、李方子でしょう。
1989年、方子は87歳で逝去され、葬儀には多数の韓国人が参列したそうです。



政治のことは触れませんが、ひとりの日本人が苦難の道を歩きながら、韓国人として生き、その献身的な社会奉仕が韓国の人にも深く感銘を与えたことを、忘れてはいけないのでしょう。

それでは、ソウルよりです。