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日産ギャラリーで歴代の名車と再開! その3

2016年06月10日 | トッポパパの愛車
グループAのレースは事実上GT-Rのワンメイクとなってしまったため、1994年からはグループAに代わり全日本ツーリングカー選手権、全日本GTカー選手権が行われることになりましたが、その後もGT-Rは活躍を続けます。
かつての佳き時代を知る者にとっても、現代のクルマ好きにとっても、『GT-R』というネーミングは一種独特のもののようです。



1995年1月発表された3代目GT-Rの使命は、先代R32GTRを越える車となることでした。
R-32GTRを越えたことを演出する舞台に、ドイツのニュウルブルクリンクサーキットのオールドコースが選ばれました。
ここで8分を割るラップタイムを刻むことが目標とされ、8分切るのはジャガーくらいと言われた難コースにおいて、新型GT-Rは7分59秒を叩き出しました。
ほとんどレース仕様とも言えるようなチューンドマシンであることが判明し、比較対象が妥当かどうかの論議もあったようです。



その後、1997年にスカイライン4代目、R33 GT-RのVスペックが登場します。
ちょっと雰囲気がR32GTRに比べると、マイルドな感じになり、全体のフォルムが丸く、大きくなった感じです。
もちろん様々な点において、先代を上回っていたことは事実でした。
このほかにも細部にわたって改良が重ねられ、進化を遂げましたが、『GTRはもっと荒々しい車でなかったか』という疑問も上がったようです。



それにつけてもR33 GT-RVスペックはエンジン、サスペンション形式、シート形状、アテーサやHICASなどの先進機器etc...、様々な点において、先代を踏襲していたので、いかにR32GTRの設計が優れていたかを何より物語っています。
トッポパパも、洗練されすぎたフォルムに、性能向上は認めますがちょっと違和感を感じました。

1998年に、R33ベースのスカイラインGT-R 4ドア オーテックが発売されます。
スカイライン誕生40周年を記念してリリースされたモデルです。
『大人のための最高性能スポーツセダン』をコンセプトに、1997年の第32回東京モーターショーに出品後、翌1998年月から発売されました。
BCNR33型GT-Rに4ドアボディを流用し、リヤスポイラーは装着せず、フロントスポイラーも小型にして、外観は2ドアGT-Rに比べて落ち着きがあります。



1999年、5代目GT-Rが発表されました。
コンセプトは、今までと同様『究極のドライビングプレジャーの追求』でした。
あらゆるシーンで最上級の走りを提示し、安心感をベースにした意のままの走りを実現しようというのが開発における目標でした。



スタイリングは2ドアクーペをベースにしながらも、ルーフとドア、トランク以外は専用設計です。
ボリュームを増したボンネットフード、大きく口を開けたインテーク。大きく張り出したフロント・リアフェンダー、そして、専用設計となる2枚翼のリアスポイラーが装着されました。
R33 GT-R以降は、『公道を走る(羊の皮を被った)レーシングカーからレースが主戦場のスポーツカー』の色合いが感じられます。
公道のどこを走るの?と思わせるハイパワーの追及、モンスター・マシーンを思わせるフォルムは本来のスカイラインGT-Rとは違う世界に向かったような気がします。



1969年に登場したPGC10型初代スカイラインGT-Rにはじまり、1973年のKPGC110型までを第一期、1989年に登場したR32型からR35型までが第二期なのかなと個人的には思います。
結局、GT-R(KPGC10)とR32GT-Rが『スカイラインGT-RらしいGT-R』だったように思ってしまいます。



5代目GT-Rのあとは、『スカイラインGT-R』という言葉は使われなくなります。
代わりに日産車全体のフラッグシップとして『日産GT-R』となるのもわかる気がします。


続く......................................................................。

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